強い紙を求めて

連載 | 標本バカ | 106 強い紙を求めて

2021.12.24

こうなればいろいろと紙を購入して、自分で実験してみるしかなかろう。

 博物館で紙といえば標本ラベルである。現在使用している標本ラベルは10年ほど前に作製したものだが、水濡れに対して少々弱い。昨年から未登録の液浸標本を整理しようと計画し、液体に浸けても耐久性のある標本ラベルを作りたいと思っていた。弱い紙を取り付けられた液浸標本の末路は悲惨である。データを記述して取り付ける一般的な道具に、荷札と呼ばれる針金付きの紙があるが、データを記入する紙部分は水に弱く、経年と共に針金だけが標本に残されて、それぞれの個体データが底に堆積したものとなる。こういう液浸標本が僕のところには実在する。

「強い紙」といえば紙幣だろう。何度折り曲げて引っ張ってもなかなか破れない。水にも強く、ポケットに入れたままの財布を洗濯しても、それが原因で形が崩れることはない。限りなく余談に近いが、僕の妻が先日洗濯機の前で悲鳴をあげた。息子が服のポケットに運動会のプログラムを入れたままなのに気づかず洗濯してしまったのだ。普通の紙を水中で攪拌すると溶解してしまう。ほかの洗濯物にまで繊維が広がって、あわれ洗濯のやり直し。ポケットに入れていたものが千円札ならばこんなことにはならない。子どもたちがポケットに入れて洗濯しても被害が出ないような標本ラベルが欲しい。

 ところが紙幣の紙質というものは極秘だそうな。仕方がないので、インターネットで「強い紙」「耐水紙」といったキーワードで調べてみる。自慢の紙を紹介している会社の質問受け付けに「アルコールに100年浸けていても大丈夫な紙を探しています」と博物標本の意義についてまで書き添えて投稿するのだが、「それほど長期間保証できない」と、得られるのは控えめな回答のみ。こうなればいろいろと紙を購入して、自分で実験してみるしかなかろう。とここで、かつて岡山県の実家を手伝っていた時のことを思い出す。僕の実家はクリーニング屋である。日々、店に届けられる洗濯物に番号が印字されたタグをホチキスで留める。洗濯物は有機溶剤や洗剤を含む熱い溶液で攪拌され、高温のアイロンで処理される。あの紙は僕が必要としている要件を兼ね備えているに違いない。「耐洗紙」と呼ばれる特殊紙である。

 類似した紙をネット上でいくつか見つけた。現在のラベルは針で糸をとおして使用できるようにハガキほどのやや厚手の紙なのだが、同じ厚さのものもあった。これら数種を購入して、ラベル書きに使用しているペンと鉛筆の両方で文字を書き込み、僕が標本処理の過程で用いる“最凶・最悪”の環境といえる、骨標本作製用の恒温槽に入れてみた。この中は摂氏70度のお湯で大型獣の処理中。茶色く濁って表面は肉骨から染み出した脂がどす黒く覆っている。普通の紙なら脂とお湯の総攻撃でじきに繊維が崩れてしまうだろう。さて、この中に入れて1か月、思っていたとおり厚手の耐洗紙は優秀で耐え抜いてくれた。業者に標本ラベルの印刷・裁断を依頼してついに完成。ただし、この新ラベルが本当に半永久的に保存されるのかどうか、それは100年後、あるいはそれより先の未来にならなければわからない。

文●川田伸一郎
題字・金澤翔子
illustration by Fumihiko Asano

かわだ・しんいちろう●1973年、岡山県生まれ。農学博士。国立科学博物館動物研究部研究員。著書に『モグラ博士のモグラの話』(岩波書店)、『モグラ−見えないものへの探求心−』(東海大学出版会)、『標本バカ』(ブックマン社)など。

記事は雑誌ソトコト2022年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。