わしてどうぜず

連載 | こといづ | 85 わしてどうぜず

 まだ暗い、朝の4時半、あやしく複雑な旋律を一羽の鳥が歌いはじめる。日本のウグイスのように、うっとり聴き惚れてしまう。ひとつのメロディを何度も繰り返し歌いながら、少しずつ少しずつ、おおきな蕾が開いていくように、美しい庭園中にあたらしい今日の香りをび覚ます。


 気がつけば、朝は青く染まりきって、さまざまな鳥たちが、おのおのの歌を、競い合うでもなく、まるで譲り合うように、順番に、今日一番の歌を捧げ、世界を明らかにしてゆく。桃色に熟し切った空が金色を帯びて、いよいよ今までにない一日がはじまった。


 スリランカに到着して、8日目。ようやく日本で抱え込んでしまったものたちが剥がれ落ちて、躰も心も空っぽになってくれた。何を抱えていたかというと、何でもない、だいたいは自分で自分に課してしまった真理ではない約束事で、「あれはしないほうがいい、こうしたほうがよい。あれは絶対に避けるべき、必ずこうしなければならない」と決めてしまったことで、日々をできるだけ楽にこなそうと、いちいち考えずに済むようにしていたのだなと思い当たる。


 そんな一時的にこしらえた常識を何でもないものにしてしまえたことで、すっかり身軽になった。あたらしい衣服に手足を通した時のように心が軽い。食べては出して、受け取っては送り出して、そういう日々の営みがあるように、心にも魂にも、溜まってしまったものをすうっと洗い流してゼロにしてしまう時間が必要だ。ほんとうにそう感じる歳になった。できれば一年に一度は、こんな旅に出たい。10日間くらいがいい。1週間でようやく要らないものを手放せて、8日目からあたらしい花が咲き始める気がする。


 最近は旅といっても、いろいろ動き回るよりも、気に入った場所にゆったり腰を下ろして、なんでもない一日を過ごしたいと思うようになった。見知らぬ国で、わっと驚きたいのはもちろんあるけれど、もっときちんと毎日の暮らしに繋がっていくような、家に帰ってからの日々に、ちいさな一歩でもいいから、わずかな前進が、自分の夢の実現に近づくような、そんな穏やかな美しさを求めている。


 最初の1週間は、アーユルヴェーダという伝統的な治療を受け続けた。ここでの生活は規則正しい。毎朝、決まった時間に目覚め、薬草を飲み、呼吸を整え、躰をほぐし、朝食をいただく。マッサージを受け、ハーブのお湯に浸かり、鍼灸を受け、昼食をしっかり摂る。午後は高い波が次々と押し寄せる海に揉まれたり、夕暮れの刻々と移り変わる色彩のありがたさをあまねく味わって、夕食をいただけば、もう眠たくなっている。


 ほとんど裸のまま、美しく整えられた施設の中を歩いていると、同じく治療を受けに来たさまざまな国の人たちも裸に布を巻いて歩いていて、まさしくここは治癒の場なのだと感じる。日本の温泉のような健やかさがある。ゆったりと気品あるドクターたちとすれ違いざまに挨拶して、子どもの頃、通っていた学校のような懐かしさに包まれた。


 香り立つ黄金色の薬草湯に、窓から差し込む陽光がてらてらと反射して。まるで生まれたばかりの赤子がいるべき場所のように柔らかい。優しく優しく躰に触れられ、やさしくやさしく、乳母のような女性にちゃぷちゃぷと全身にお湯を掛けてもらっていると、子どもから赤子へと、どんどん戻されていくようだった。


 こんな1週間を味わうなんて、思ってもいなかった。自分の躰へのいたわり。心へのいたわり。躰ひとつ、いったいいくつの神経が、筋肉が、内臓があって、どのようにつながり合っているのだろう。


 鼻から入った空気が、鼻の奥へ、喉へ、肺へ、全身へ、どのように行き渡っているのか静かに観察してみることで、たくさんの気づきがある。一度自分の躰でそのこまやかな現実に気がつけば、今度は外の世界のさまざまな連なりに心が動き出す。流れ流れ巡り巡る世界。


 近頃、心に留めている言葉がある。「和して同ぜず」。個をしっかり保ちながら、全体の中で常にあたらしいバランスを見いだすこと。あの鳥のように、自分も恐れずにひとつの音を奏でながら、周りのすべてと調和を試みること。


 いまは、また次の宿泊所にて。ジャングルに囲まれた静かな湖畔であたらしい朝を迎えた。おびただしい数のあたらしい歌が聞こえる。わたしは何を奏でよう。

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