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サスティナビリティ

連載 | こといづ

あいらぶゆ

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 この星は、宇宙から見るとやっぱり丸くて、それはそれは青くて、うっとりするんだろうなと、きちんと想像させてくれるようなどこまでも青くて高い空に、音の波のような雲が渡っている。雲の形が何に見えるかを言い当てたくなる季節と違い、秋の雲は、どんな音を出したらこんな雲になるのだろう、この雲の形からどんな音が聞こえてくるだろうと、そんな風に心が遊びだす。

秋の大祭が今年もやってきて、この晴れ晴れとした天気のように、村中のあらゆるものものが、なにやら音を発しているような賑やかな雰囲気に包まれる。夜になると、若い男衆が公民館に集まって、祭りの準備に取り掛かる。子どもたちに祭り囃子を教えるのだ。笛、鉦かね、太鼓に三味線。子どもの頃に、自分も同じように大人たちに教えられ、山車に乗って奏でた同じ旋律を、いまの子どもたちに引き継いでいく。一応、楽譜のようなものが残っているものの、どのように伝えるかは、口伝えであって、そして実際に楽器を演奏してみた体験からしか伝えることができず、その教え方はなんともぼんやりしているけれど、「山車の演奏といったら、こんな感じや。ここはもっとゆっくりや。ほっ、イーヤー!  掛け声はもっと大きい声出さんかい。よし、今晩の練習は終わりや。遊ぼか」とゆるやかな練習を繰り返すうちに、昔から連なっている、この土地ならではの素朴な祭り囃子へと確実に仕上がっていく。子どもたちの顔つきも、人というよりは山の何かであるような、ごく当たり前のように自然の一員であるような、言ってみれば、かみしゃまの似姿に近づいていく。

いよいよ祭りの日、出会う人、みんなが朗らかで晴れ晴れしくて、この同じ山の村で同じ景色を見て同じ水を飲んで同じ山の恵みをもらって毎日を暮らしてきたみんなが、同じようにこの日を祝っているのが何よりもありがたい心持ちになる。子どもたちも山車の上で今年一番の音を奏でている。突然、「おっ、ともだち!握手!」と目をきらきらと輝かせながら、まさしさんが手を差し出した。その迫力に咄嗟に驚いて「おおお、お久しぶりです!  祭りやね!」と握手しようとしたら、ぎゅっとうまく握れず、無理やりな握手になってしまった。そのあとも出会う度に「ともだち!  今日は祭り!  たのしい!  握手!」と言って握手しようとしてくれた。まさしさんは、64歳、隣の集落に住んでいるので時々しか出会わないからお互いに詳しくはないけれど、会うと、その純粋すぎる眼差しに背筋が伸びて、なぜだか必死でまさしさんに追いつきたい気持ちになる。何もごまかしては駄目だという気持ちになる。まさしさんがどういう人なのかをどう書けばいいのか分からないけれど、かみしゃまに近い人だと言いたくなる。

よっしゃ、神輿を担ごうと、男衆が緊張した面持ちで境内に集まった。僕も今年も担ぎたかったけれど、数日前にちょっとした手術を受けたこともあって、担ぐのは諦めて応援することにした。必死の形相の男衆が、もみくちゃになりながら重すぎる神輿を何度も何度も揺らしては「せいやっ!」と高く持ち上げる。なんと勇ましくて晴れ晴れしい。中に入って神輿を担いでいると、あまりにも重くて必死でわからなかったけれど、外から見ると、こんなにも胸が熱くなるものなんだ。気が付いたら「わっしょおおい。がんばれ!」と大きな声で応援していた。すると、「ごおおおおおおおぉぉぉ、わあぁぁぁじょおおおぉぉいいいい!!!」と、とてつもない唸り声が横から聞こえてきた。まさしさんが手を固く握りしめながら、満身の力を込めて必死の応援をしている。その横で妻もつられて一緒になって「うおおおぉぉぉ、がんぶぁれいいい」と必死で大声を出している。さらにつられて、隣の家のひろしさんが「おい、かっちゃん、応援したれや。わしもいくぞ!  うおおおぉおおい、わっしょい!!」と怒涛の雄叫びをあげた。かつて、若かりし頃、この神輿を同じように担いだひろしさんにつられて、周りのおじいちゃんたちも雄叫びをあげた。僕もつられて、よく覚えていない声で必死に応援していた。

帰り際、まさしさんがこの日、何回目だろうという握手を、やっぱり目をきらきらさせて、今度は「アイラブユ!  アイラブユ!」とおっきな声で手を差し出した。力いっぱい握り返した。がっしりと握りあえた。

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