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多様性

連載 | こといづ

いのち

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 「あのおっさんが死んでしもたんや」、ハマちゃんが大きな声ではっきりと言った。ハマちゃんのお兄さん・耕作さんが朝に亡くなられた。

 「大将、どこ行くんや?」。車に乗ってどこかに出かけようとすると、よく耕作さんに出会った。「ちょっと買い物に出かけるんやけど、何かいるものある?」。窓を開けながら返事をすると、首を横にふって「いんや、それより大将。きゅうり持ってけ」と巨大なきゅうりが大量に入った袋を手渡してくれた。「お前は畑をするな。んなもん、わしの畑から勝手に持っていったらええ。わしがちゃんと育てとる。好きな時に好きなだけ持ってけ」と、よく言ってくれた。いつからか、何故か僕のことを「大将」と呼んでくれるようになって、それが何か誇らしかった。耕作さんの一人暮らしの家はいつも綺麗に片付いていて、山も畑もどうやったらこんなに綺麗にできるのだろう、見事に美しく柵が張られていたり、徹底的に草刈りがなされていた。背筋を伸ばして、ハンチング帽を被り、作業着をぴしっと着こなしている姿はまるでヨーロッパの農家のようで素敵だった。ほっそりしたその顔は、どこか僕のおじいちゃんにも似ていて、笑うと金歯が光った。大体いつも玄関先で椅子に腰掛けて、ビールを美味しそうに飲んでいた。れた声で「大将、ビール飲むか?」、ニカッとビールを差し出してくれた。ありがとうと一緒に飲みながら、今年はあの野菜が難しいとか、見知らぬ車が集落の奥に入っていったが一体誰なのか、妹のハマコは元気か、お前ら夫婦は元気なのか、耕作さんは元気なのか、そういう話を山や空を見ながら。横でごんごんごんごんと、手洗い場には山から引いてきた水が溢れ返っていて、その勢いのある豊かさが耕作さんをとてもよく象徴していた。

 2年ほど前から「死に支度をしとる」と、耕作さんは言うようになった。細やかに美しく割った薪をたくさん積み上げて、「わしが死んだ時に葬式の炊き出しに要るやろう」と、今の時代には必要ないはずなのに、昔の人と同じように自分の最期のしめくくりに取り掛かり始めた。「スエさん、ちょっと相談にのっとくれ」、収穫した野菜を携えて、耕作さんが珍しく大工のスエさんの家を訪ねた。「使っとらん小屋をつぶしたい」というので、たまたまそこにいた僕も解体を手伝った。「大将、助かっとるぞ。お礼じゃ、ビールを飲んどくれ。こないだまでは自分で小屋も建てたし、なんでも一人でやってきたんやけんど、えらい。もう躰がえんらい」。90歳になったというのに、僕の何倍も働いている姿を見続けてきたので、「またまたあ」と気楽に受け取ったけれど、それから、日に日に、耕作さんの家の周りがすっきりしだした。庭の木々も耕作さんが自分で刈りれる高さに切り揃えられている。必要のないものもどんどん処分しているようだった。いつものように家の前を通りかかると、耕作さんが頭を抱えて座っている。「わしはもうあかん。この前、頭がつめとうなった」と、独り言のように呟いた。「つめとうなってから、ものがよう覚えられん」。そうして、車の免許書を返納して、唯一の移動手段だった軽トラックも処分してしまった。その頃から少し元気がなくなって、急に耳も聞こえにくくなったのか、「大声で」とマジックで大きく書かれた張り紙が玄関先に張り出された。

 夏の暑い日、村のみんなで草刈りをしていたら、耕作さんが畑から手を振っているので「おお〜い」と笑って振り返すと、ゆっくりこちらに向かってきた。本当にゆっくりゆっくりだったので、迎えに行って「どうしたん?」と聞くと「手伝おう」と手鎌をひょういと持ち上げた。「いやいや、耕作さんは大丈夫。ゆっくりしてて。若いもんで頑張るから」と、なんだか歩き疲れたようだったので休ませようと肩をそっと掴んだら、思った以上に小さくて。それまで大丈夫、大丈夫と勝手に思っていたけれど、本当に、そうか。一緒に横に座って、村のみんなと笑いながら話をした。「いや、わしは刈れるぞ。畑もやっとる」と目をキラキラさせながら言うと、「耕作さんに倒れられたら仕事が増えてかなん」とみんなであたたかく笑ったけれど、みんなも感じ取ったんだと思った。みんなで並んでゆっくりゆっくり耕作さんと歩きながら、夕暮れ前の黄色い家路、あたたかくて優しい村が思い出になった。

 半年前、家で転ぶようになってしまって、入院した。病院にお見舞いに行くと、耕作さんがナースステーションで楽しそうに話している。「高木です」と言ったけれど分からないようだった。どうしたらいいのか困ったけれど、しばらく話しているうちに、そういえば「大将、大将」と呼んでいて「高木」という名前は使ったことがなかったかもしれないなと気づいたら、耕作さんがそっと耳打ちした。「お前に愛人がおったことは、わしは誰にも言うておらん。墓まで持っていくから安心せい」。真剣な面持ちで目と目を合わせた。「ん?なんのことやろう?」、全くわからないので話題を変えて、「耕作さん、毎日何をしとるの?」と聞くと、「毎日、門番をしておる。ベランダに出て、怪しいもんが入ってこんか見とる。ほんまやぞ」と、また真剣な面持ちで答えてくれた。ちょっとした冗談なのかなと思った。「さ、耕作さんお薬の時間ですよ」と時間が来てしまったので、「またね」と別れた。「耕作さん、誰かと勘違いしたはったんかな。僕らのこと分からんかったんかな」と妻と話しながら運転していると、あっ! 思い出した。3年前、僕の母親が遊びに来た時、耕作さんの家の前で車を止めた。助手席にいた母親が耕作さんに「いつもお世話になってます」とあいさつをした。耕作さん、なぜか驚いた顔をしていた。後日、高木が妻に内緒で女の人を家に連れ込んだと、そういう風な噂が、耕作さんから立ち上ったことがあった。あれは、お母さんやん! なんでやねんっ! そういういうことなら「門番」っていうのも、ああ、そうか、確かに家の前に椅子を置いて、誰が村に入ってきた、見知らぬ車が入ってきた、そういう報告をよくよくしてくれていた。耕作さん、病院に行っても門番してくれてたんやなあ。そうかあ。山奥の村で安心して暮らせていたのは耕作さんのお陰やったんやと、おらんくなってきちんと感じる。

 耕作さんが村に帰ってきたので家に上がらせてもらう。お花に包まれた顔は、よく知っている耕作さんだった。村に耕作さんがいる。ほっとした。「目を閉じてるところ、はじめて見た」と妻が泣いた。ふと、ヒヨコのピヨが耕作さんと重なった。先日、家で飼っている烏骨鶏にヒヨコが2羽生まれた。でも、そのうちの1羽が、生まれた時から少し様子がおかしくて、でも懸命に鳴いて懸命に走り回って。命が輝いていて、毎日会うのが楽しみだった。これからが楽しみだった。でも、あっという間に、たった数日でこの世を去ってしまった。周りに生えている花を摘ませてもらって、土の中に一緒に入ってもらった。目を閉じたピヨと、花々と、土と。なぜだか、ほんとうに美しいと思った。命はほんとうに美しいと思った。ピヨがいなくなって、さびしくなった。虫が鳴いたり小鳥が歌ったりすると、ピヨかもしれないと本気で振り返ってしまう。ピヨがいなくなって、ピヨがどこにもいるようになった。耕作さんに別れのあいさつをして、外に出ると、ハマちゃんも出てきた。「ありがとうな。今年は姉貴ものうなって、きょうだい、みんなのうなってしまった。病院でもどこでも、おるだけでよかったな。さびしなったな。ほんまにさびしいな。あんたら、よろしく頼むで」、そういって小さく微笑んだ。そうやなあ、さびいしいな。いつかハマちゃんがしてくれたように背中をさする。小さな背中。空を見上げると、高くて、雲が流れて、山があって、村があって、ああ、耕作さんだと思ってしまう。

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