たましい

連載 | こといづ | 77 たましい

 いよいよ映画『未来のミライ』の公開が迫ってきた。じたばたしても内容は変わらないので、どんと構えていればいいのだけれど、やはりそわそわする。畑のじゃがいもを掘りながら、なんでそわそわしているのだろうと考えてみると、ああ、映画音楽はもうやり終えた仕事なのであれはあれでよいのだ。そうではなくて、いつの間にか自分の魂がまた新しい場所に向かい出していて、いったいどこに向かっているのか、自分のことなのにさっぱり分からなくてそわそわしている。


 このそわそわ、人生で何度も味わっているけれど結構辛い。魂だけが先に進んで、頭も躰もちっとも追いつけない。それでも、何か作りたくてうずうずだけするので、ぴやっとピアノを弾いてみても、この重い湿気のようになんだかホニャホニャ。ついでに今まで弾けていた昔の曲も急に弾けなくなってしまう。


 これから先がわからなければ、過去も消え去ってしまうようだ。何を手に取っても、「いま探しているのは、これじゃなくて」と楽しめない。これでもなく、あれでもなく、どこにもなく。ない、ない、ないのないものづくしになってしまう。寝ても覚めても、ずっと探しものを探している状態で、いまここを楽しめない。こんな心で、魂に追いつく訳がない。


 それで、えいやと大空の下に仰向けになって、いつだって凄いなあと見惚れる。凄まじい大雨が降って、雲が流れ去って、うちの山の川はぎりぎりであふれずにすんで家も無事だったけれど、居ても立ってもいられずに大掃除をはじめてみる。


 長らく使っていないものは、思い切って手放す。読まなくなった本も、もうすっかり頭に入っただろうと手放した。「この身ひとつに入ったものだけがすべて」と意気込みつつ、それでも手元に残しておきたいものが結構ある。結局、手元に残るものは毎度毎度だいたい同じで、手放しても買い戻したり、またどこかで再会したり、気がつけばぴったり人生に寄り添っている。


 雑巾を絞ってそこら中を拭いてまわる。ああ、なぜだろう。雑巾掛けをする度に、何より清々するな、じたばたせずに雑巾掛けするだけでいいなと感動する。そういえば、以前読んだ本に「雑巾で拭くと綺麗になる。なぜならからである。雑巾をいったりきたり擦るので、そこにエネルギーが生まれる。エネルギーが発生するから汚れが浮くのである」といったようなことが書かれていて、なるほどと思った。


 雑巾で拭いたり、箒で掃いた後は、いろんなものが擦れ合って、どこもかしこもエネルギーに満ち満ちる。そうやって自分でエネルギーの場をつくればいいのだろう。そんな場ができたら、何かが自ずと生まれそうだ。


 セミが鳴き始めた。ひぐらしが鳴き始めた。一日一日、いろんな生き物の気配が移ろって、どこかからやってきて、どこかにかえってゆく。ぐるりと巡って、結局、何を生み出したか、何を作ったのかというよりも、一日一日を楽しめたのか、ひとつひとつと関わり合えたのか。


  「おいしかろ」、そう言ってかわいらしく肩をすぼめるハマちゃん。たくさん料理したきんぴらごぼうを、村中の家々に配り歩いたようだ。つい先日も「カレーを食べなさい」と持ってきてくれたところだった。今日は夕方、村の入り口に住んでいるマサミさんが「トウモロコシが採れたで、食べるか」と近くまで持ってきてくれたので、妻と二人で昔の唄をうたいながら坂を下った。


 夏になると日本の唄が欲しくなる。「よう植える人も よう植えんわしも 同じ水をたたいた ほいな〜」。昔の唄には、共に生きた人の顔やいつも一緒にいた自然が鮮明に刻まれていて、ぐっとくる。


 「せみ ひぐらし 川遊び 入道雲 草刈りの汗 すいか〜 ああ みんなで水背負って お掃除にあがるよ あなたに誘われて よっこらしょと行くよ〜」


 自分たちで作った歌をうたいながら、「ほんまに。今日の午前中のまんまやな。サチコさんと誘い合って、水背負って、山の神社のお掃除に上ったで。おもしろいなあ」。


 そろそろこの文章も終わりにしようと思ったら、白猫がごろごろ喉を鳴らしながらやってきて、ぱたんと横に寝転んだ。うりゃうりゃ、ぼてっとしたお腹を思いっきり撫でまわす。ああ、ようやく魂に追いついた。

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