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サスティナビリティ

連載 | 森の生活からみる未来

凶暴な天使?外来種との闘い 後編

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 両手、両足はどろどろボロボロ。文字どおり全身全霊をかけての格闘を数日間続け、いったん休戦とすることに。我が家の森に繁殖した、強力な外来種ジャスミン駆除のことだ。

 この作業を経てわかったことは、たとえ人が管理可能な範囲であったとしても、一つの植物を駆除する行為は想像以上に大変だということ。同じくジャスミン問題を抱えていたご近所さんに見てもらったら、これは長期戦になるという。

 森は、壁や天井によって区切られているわけでないから、植物は縦横無尽に森中を駆け巡ろうとする。

 そもそも、ジャスミンには罪はない。大自然に解き放たれ、そこの環境がよければ、自由自在に繁殖を続けるというのは当たり前の行為で、当然そこには一切の悪意なんてない。"彼女"の種子を、この地に持ち込んだ人間が悪いのである。

 フラフラになりながら、森の一部を覆いつつあるジャスミンを駆除していると、つい「敵意」みたいな感情を持ってしまう。でもそれは間違いだ。繰り返しになるが、"彼女たち"が悪いわけじゃないのだから。時折、鼻腔に飛び込んでくる可憐な香りには思わずうっとりしてしまう。

 鎌で切除する時、根から引っこ抜く時、できる限り心の中で「ごめんね」とつぶやきながら作業を進めた。そうすると、だんだんと、その悪魔的ともいえるほどの生命力や、なかなか切れない強靭なツタに対して、敬意の気持ちが湧いてくるように。そして、同時に"彼女たち"がこの森で「存在している意味」に対して、哀しく切ない想いを抱くようになったのである。

 世界のどの大陸からも離れているうえに、多様な四季と天候があるため、どこにもない唯一無二の豊かな自然形態と生態系を創造してきたニュージーランド。ユニークなだけに外来種に対して弱く、繊細で壊れやすいと前回書いたが、この国ではジャスミンに限らず、外来種の増加が大きな社会問題となっている。

ジャスミン駆除の後半の一枚。真ん中にたまるのが、カットして集めたツタの塊。
ジャスミン駆除の後半の一枚。真ん中にたまるのが、カットして集めたツタの塊。

 元々この国の森は常緑樹であった。陸上には、哺乳類は存在せず鳥類しか存在しなかった(ただし、小さな原種のコウモリが生息し、これは生物学的には哺乳類ではある)。

 しかし今では、シカ、イノシシ、ウサギ、ネズミ、イタチ、ポッサムなどの多くの哺乳動物が森に入ってしまい、紅葉する樹や桜の樹が、街に近い森に繁殖するようになっている。皆、人間の都合で持ち込まれた種族たちだ。

 もちろん、春に満開となる桜や、秋に赤や黄色に輝く葉は、人間の目には美しいし、前述の動物たちはどれも偉大なる野生生物である。

 もちろん、生態系を壊さない種も一部ある。だが残念ながらこれらの多くが、この国の「もともとあった自然」を破壊し、ここ固有の植物や生き物を駆逐する立場に立ってしまっているのだ。結果、多くの種が減ったり、姿を消してしまっている。つまり、ここでは歓迎されない存在なのである。

 外来種たちとの「哀しい闘い」は、うちの森に限らず、ニュージーランド中で日夜繰り広げられている。そして、我が家のジャスミンと同じく、それは間違いなく長期戦となっている。それも気が遠くなるほどの。

 うちのジャスミン問題を湖畔の集落の仲間たちに話したら、ほぼ全員が日々、自分たちの敷地はもちろん公共エリアの原生林でも、自主的に外来種駆除の活動をしているということを知った。

 この国が世界に誇る美しき自然環境は、そういった市民による、極めて個人的なボランティア活動から、国家政策といった大規模なものまでの、人のたゆまぬ努力の上に成り立っているのである。

 人間の努力は偉大だ。だが、先住民を除く移民こそが、最もこの国の自然を破壊してきた「最悪の外来種」であるということも忘れてはいけない。そこにはぼく自身も含まれるわけで、それを胸に刻み、より謙虚になりながら、持続可能な森の生活を追求し続けたいと思う。

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