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サスティナビリティ

連載 | やってこ!実践人口論

ジャムおじさんはいない

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「実践人口」を増やすための合言葉が「やってこ!」である。「やってこ!」が世代を超えたつながりを生み、ローカルをおもしろくする。1階に降りてきた実践主義者のあなたに会いたい。

 「僕の顔をお食べよ!」と言うのは、みんな大好きアンパンマン。おなかが空いている人がいたら、自分の顔をちぎって食べさせる。“利他心”の塊みたいな存在です。

 僕もローカルに生きる実践主義者のひとりとしてそうありたい。そして多くの人に自己実現の機会を与えたいんです。そうして誰かの人生にいい影響を与えられれば、それがイコール僕の喜びにもつながります。だからみんな、やってこ! アンパンマンになろっ!

目次

愛と勇気だけが友達。

 でもここで知ってほしいことがあります。それは、アンパンマンにはなれても、その顔を修復してくれるジャムおじさんはいないということ。悲しいけれど……現実世界にジャムおじさんはいないんです!

 僕らはジャムおじさんなき世界に生きる、本質的に孤独な存在です。実践主義者としてやればやるほど、あなたの顔は変わっていくし、何かがそぎ落とされてもいくでしょう。

 僕も数年前はツルツルの顔をしていました。それがローカルに飛び込び、たくさんの実践者という名の“思想おじさん”と向き合っているうちに、ずいぶんとザラついた顔つきになりました。

 2019年で37歳。単純に老けただけかもしれません。でも、それが今の自分です。そうなった以上は、もう「元の顔」には戻れません。そして「元の顔」に戻してくれる人もどこにもいないと感じます。

 みなさんにはパートナーと呼べる人がいるでしょうか。自分にとってはそのパートナーがジャムおじさんなんだ、という人もいるかもしれません。でも、今ここではっきりと言っておきます。その人はジャムおじさんではない。パートナーは共に切磋琢磨していける関係性が理想であり、孤独の穴埋めを期待するのはやめましょう。そして実践主義に生きるなら、自分の内から湧き出る「愛と勇気」だけを友達にしましょう。そうしてただ、孤独の闇を突き抜ける。それが僕の信じる道なんです。

吾輩は猫である名前はまだ無いどこで生れたかとんと見当がつかぬ何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事
吾輩は猫である名前はまだ無いどこで生れたかとんと見当がつかぬ何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事

「穴」は埋まらない。

 ただそうは言っても、突き抜けるってどうすればいいの? という人もいるでしょう。そこで僕が最近知っておもしろいと感じたことをお伝えします。

 僕は家庭環境に恵まれずに育ちました。一家で夜逃げをしたこともありますし、貧しく、さみしかった時代の経験は僕の心に大きな「穴」を開けました。あの時代には戻りたくない。社会的な存在として認められたい。そうして僕は心の穴の欠乏感を埋め合わせながら生きてきました。

 でも不思議なことに、いくらやってもその穴が埋まらない。メディアの編集長として、『やってこ!シンカイ』のオーナーとして、人を育てる立場にもなっているのにです。あれ、なんで……?

 そんな話をあるローカルの友達にしたところ、彼もまた「穴」に関心を持っていて、その類語派生に「孔」という言葉があると教えてくれたのです。「孔」とはつまり「突き抜けた穴」として、意図的に区別して表記する場合があります。どこまで行っても壁に突き当たることのない、空洞です。

 興味深いと思いました。もしそうだとするなら、「穴」はそもそも埋めるものではなくて、突き抜けるために存在しているのでは? 実践主義者の心構えとして大切なのは、自分のなかにあるこの「孔」を見つめることなのでは? そう思ったのです。

「社会の要請」と「孤独」の狭間で。

 でも、僕は孤高に生きるアーティストでも仙人でもない。社会から自分を切り離してでも強く生きたいけれど、今はまだ目の前にある「社会の要請」に応えないといけない。僕にはその責任がある。

 もちろん責任を果たすことのキツさも日々実感しています。メディアの編集長もお店の運営も、なんでこんなにキツいことをわざわざやるのかと思います。でも、後戻りはできません。やめたらいろいろな意味で死ぬ……実践主義とはそういうものです。

 僕は今、「社会の要請」と「孤独」の狭間に揺れています。ただ、それを楽しみたいとも思っています。「孔」を見つめる先に何があるのか、どこに向かっていくのかは、きっと自分だけが知っているのでしょう。

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