MENU

仕事・働き方

連載 | デジタル地方創生記 くじラボ!

世界的品評会で頂点に!ソフトウェア会社社長の手がける日本酒とは 高知県土佐酒造(前編)

  • URLをコピーしました!

くじらキャピタル代表の竹内が日本全国の事業者を訪ね、地方創生や企業活動の最前線で奮闘されている方々の姿、再成長に向けた勇気ある挑戦、デジタル活用の実態などに迫ります。

今回は、日本酒「桂月」で知られる土佐酒造株式会社様を高知県土佐郡土佐町にお訪ねし、代表取締役である松本宗己(まつもと むねき)さんにお話を伺いました。

東京工業大学出身で、自ら起業したソフトウェア会社を経営する傍ら、ご実家の酒蔵を「お願いして」承継した松本社長。ワインを通じて鍛えた知識と前例に囚われない合理的な思考で、日本酒業界に次々と新風を吹き込んでいます。

今回は前編です。

目次

東工大 → システム開発会社起業 → ワインへの傾倒

松本 取材を受けるのに先立ってくじらキャピタルさんのホームページを拝見しましたが、中小企業の再生という観点でいうと、僕のしてきたことと結構似ているかもしれません。僕自身、大学生の頃にソフトウェア会社を起業したのですが、その後一族が営んでいた酒蔵をお願いして譲り受け、再生した経緯があるからです。本当に再生できているかどうかは分かりませんが。

  世界を飛び回り日本酒の素晴らしさを伝え続ける土佐酒造株式会社 松本代表取締役
 世界を飛び回り日本酒の素晴らしさを伝え続ける土佐酒造株式会社 松本代表取締役

竹内 そうだったんですね!順を追ってご経歴を教えてください。松本社長は元々、この辺り(高知県土佐郡土佐町)のご出身ですよね?

松本 そうです、ここ土佐町で生まれまして、大学は東工大の第4類(機械・システム・経営工学系)に進学しました。3年生になると周囲は就職活動を始める訳ですが、僕の一族には会社勤めをしている人があまりいなかったのと、僕自身あまり大学に行っていなかったので(笑)周囲がそんな就職活動をしていることを知りませんでした。

気付いたら自分を雇ってくれるところはなくて、それだったら自分で何とかするしかないな、ということで、学生時代からちょこちょこ自分で商売をしていた延長でソフトウェア開発の会社を立ち上げました。本当はロボット工学を志していたのですが、これは設備投資や研究開発にめちゃくちゃカネがかかるんです。

皆さん、心配しましてね。大学の先生も「卒業したらあなた何するの?」「自営業です」と言ったら、えらい心配してくれて、お客さんを紹介してくれて、それで何とかうまくいきました。自社開発の医療関係のソフトウェア、具体的には電子カルテとかX線の画像管理システムなど作る商売を始め、これが6、7年経つとメンテナンス・フィーだけで食えるようになったのです。

ビジネスが軌道に乗り、時間ができたので週3回昼間からゴルフに行くような生活をしていたのですが、その頃ワインの魅力に取り憑かれます。たまたま行ったフレンチレストランでソムリエの勉強をしている人がいて、いいワインを格安で出してくれたのですが、そこで出会ったのがシャトー・マルゴーのセカンドラベル「パヴィヨン・ルージュ・ドゥ・シャトー・マルゴー」の1999年。

「なんだこれは!」「こんな美味いものがあるのか!」と衝撃を受け、そこからは毎日晩酌はワインになり、またホテルオークラ東京のワインアカデミーに通って徹底的にワインの勉強をしました。

そのワインアカデミーの同期生だった年配の人と仲良くなり、一緒にワインを飲むようになるとフランスには「特級畑」とか「1級畑」などの畑にこだわり、畑の名前が付けられたワインが一杯あることに気付きます。その最高峰と言われるのが通称「DRC」と呼ばれるドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの畑ですが、大きさなんて1ヘクタールちょっとしかない。その知り合いに、ふと「日本酒でもそういうものを飲んでみたいね」と言われた時、実家が酒蔵でそれなりに日本酒のことを知っていたつもりなのに、田んぼにこだわった銘柄をパッと答えられなかった。

田んぼにこだわり、世界で売る

松本 帰って調べたら、日本酒の酒蔵数ってその当時で1,400くらいで、今は1,150くらいに減っていますが、その中で酒米の産地を特定の田んぼにまでこだわっている酒蔵は10くらいしかありませんでした。

これだ!と思いました。やるならこれしかない!と。

竹内 酒造りに使われるのは、ほとんどが兵庫県産の山田錦ですよね。

松本 そうです。兵庫県に電話して注文すると、トラックで山田錦が届けられ、それを使って醸造する酒蔵さんも多いです。そうすると、テロワール(ワインの味わいを決めるその土地ならではの気候や土壌、地形)はなく、地元の気候風土とのリンクがないように感じた。

そうではなくて、実家の酒蔵を継いで、100%うちの町と隣町のお米、うちのお酒を毎日晩酌で飲んでくれている人が作るお米だけを使うというのはどうだろう、というのがこの時頭に浮かびました。

そうすると地元の人と一緒にお米を作ることができる。いいお米作ってもらえると、毎日の晩酌が美味しくなって、飲む人にも作る人にもメリットがある、という姿を思いつきまして。

また、ワインを勉強していると、フランスやらニュージーランドやらのワイナリーの人たちがいっぱい日本に来ては、自分のワインを売り込んでくる姿を見る訳です。そこで仲良くなった人たちのワイナリーを調べたら、うちの実家の規模と大して変わらないのに世界的に有名だったりする。

この差は何だろうと考えたら至極単純で、彼らはわざわざ日本に売りに来ている。一方、日本酒の酒蔵で海外にまで売りに出かけている酒蔵は非常に少なかった。

地元のお米にこだわり、世界に売りに行く。閃いたその日のうち、「酒蔵を譲って欲しい」とお願いしました。

代々受け継いできた土佐酒造を守り続ける蔵
代々受け継いできた土佐酒造を守り続ける蔵

竹内 いきなりの急展開ですね!

松本 一般的な事業承継のように「子供なんだからお前やれ」ということでは全くなくて、自ら手を挙げて譲ってくださいとお願いした訳です。もちろん、一族ではあったので、代替わりという体裁にはなりましたけど。

竹内 その時土佐酒造を経営されていたのはご親戚の方ですか?

松本 祖父の弟でした。

竹内 その時の反応はどうだったのでしょう?

松本 喜んでいました。もう廃業しようか、という状況だったので。

その時は30年連続で売上が減っていて、会社として辛うじて存続はしてましたけど、10年後になくなっているのは確実な状況でした。その時醸造していたのは、95%が旧酒税法でいう「二級酒」や「普通酒」と呼ばれていたお酒で、かつ高知県内向けの売上が95%。東京向けはほぼゼロで、海外は完全にゼロ。

地元マーケットにすごく依存していて、商品も昔ながらのもの。コアな地元の愛飲者は非常にありがたく、それこそ365日晩酌のお酒はうちのお酒で一切浮気をしないのですが、高齢化で1人当たりの酒量は減り、人数自体も減っていて、一方で新しいユーザーを獲得するとなると他の華やかなお酒には勝てない。

要因が分かっていても人口構成の変化は著しく、設備投資用の借入金も一部あり、そんな状況でやりたいという人は誰もいなかったので、すぐに株を100%買い取らせてもらうことができました。2012年のことです。

竹内 すんなりと株が集約できたのはレアケースですね。親戚から株を集めるに際して揉めてしまう話をよく聞きます。

松本 それくらい企業として弱っていたからだと思います。ただ、前社長はその当時高知県の酒造組合の理事長をやっていて、その関係上すぐに社長交代とはならなかったのですが、前社長が理事を退任した2015年に正式に土佐酒造の代表取締役に就任しました。

いきなりの大ヒットを生んだ2つの出会い

松本社長と竹内

松本 100%株主になっても、2015年に社長になるまでは一切表に出ず、裏で会社のことをやっていました。

2014年から海外マーケット用のお酒を造り始めて、それは純米大吟醸でいこうと決めたのですが、それまでの土佐酒造は醸造アルコールを添加した「普通酒」しか造ったことがなく、純米大吟醸を造る設備もなければ、経験のある人もいませんでした。純米酒はありましたが、大吟醸はない。

純米大吟醸を造るテクノロジーを手に入れなければならず、自分なりに本を読んでかなり勉強しましたが、実際に経験のある人に手伝って貰わないと無理だと思い、兵庫県にいた「ミスター大吟醸」と呼ばれていた先生を見つけ出しました。その方は、昨年亡くなられてしまいましたが、元々国税局の鑑定官室にいた方で、ご実家も酒蔵で、日本における大吟醸造りの権威みたいな方です。

その方にうちの純米大吟醸造りの指導をお願いしたら、いきなり「あんたのところは難しいよ」とにべもなく断られます。実はその方、高松国税局にいらした時にうちの酒蔵を見たことがあるらしく、「あんたのところは(純米大吟醸造りには)程遠い酒蔵。無理や」とはっきりと言われました。

諦めきれず、兵庫まで押しかけたり、先生が出席されていたロータリークラブの例会にアポなしでお邪魔したり、3回お願いしたら向こうが根負けして「諦めました、やりますわ」と言ってくれました。そこからはうちの顧問、家庭教師として色々教えて頂き、それこそ専用タンクを作ることから多くの試行錯誤を繰り返しました。

竹内 執念ですね。

松本 加えて、もう1つの出会いがありました。2015年4月だったと思いますが、その頃最初の輸出先であった台湾のインポーターがいて、非常に親しくさせてもらっていたのですが、その方に「あんたに友達を紹介するよ、面白い人だから」言われ、東京で食事をしたことがありました。

彼らを、うちのお酒を4種類くらい置いてくれていたフレンチレストランにお連れして、日本酒とフレンチを楽しんでもらおうと思ったんですけど、たまたまお店の人が4 種類とも違う形のグラスでサーブしてくれました。そのうちの1 つがシャンパン用のフルートグラスで供されたのです。
その時紹介された友人、John という台湾人ですけど、彼が「なぜ泡でないのにこのグラスなんだ!」と僕に食ってかかる訳です。そのうち「確かに日本酒に泡が入っていたら面白いよね」と盛り上がって。

その頃、日本酒のスパークリングはちょこちょこありましたけど、甘いものばかりでした。辛口の「ザ・日本酒」というスパークリングはほとんどなかったので、それを造ろうかなとその場で思い立ち、「今日あなたと話していて思いついたから、その酒ができたらあなたの名前を付ける」と伝えました。初対面なんですけど。

ただ、彼の英語名であるJohn をそのまま付けるのではなくて、一捻り加えたいなと思ったんです。そこで、中国系の人って外来語にすごい当て字をするじゃないですか?コーラを可楽と書いてみたり。それで、John と読める漢字はないかと聞いたら「将」と「匠」はJohn と同音だというので、職人的な手作り感が字面に出る「匠」を選びました。

漢字も思いついて、ラベルデザインもできたけど、この時点ではまだ肝心の酒がない。

台湾人との出会いからスパークリング日本酒「匠(JOHN)」が生まれた
台湾人との出会いからスパークリング日本酒「匠(JOHN)」が生まれた

竹内 大変です。

松本 それで酒蔵に戻り2 か月くらいスパークリングの日本酒を造る実験したのですが、これが全然ダメ。まずくてとても飲めたものではない。これはあかんと思っていても、約束をしたジョンは仕事で毎月日本に来るんです。来日の度に飲もうぜと誘われて、約束のお酒をものすごく楽しみにしている。酔った時の約束なのに、しっかり覚えているんです。
これは参ったな、と。ただ、やると言っておいて嘘つく訳にもいかないので、一大決心をしまして、その時まだヒット商品もなくてお金もないんだけど、思い切って設備投資しました。新しい専用タンクで本格的にチャレンジを始め、半年後にようやく飲めるものができたんです。

竹内 こちらも執念ですね。

松本 これ結構うまいんじゃないのっていうのができましてね。ワイン仲間の意見も聴こうと思いご馳走したら、評判がいい。約束をしたジョンにも連絡し、飲んでみて、と。
その時の試作品はA とB の2種類あって、僕はB がいいなと思っていたのですが、ジョンもB がいいと言ったら成功だなと思っていたら、案の定B を選んでくれたんです。美味しい、と。
先生との出会い、ジョンとの出会いが重なって純米大吟醸のスパークリング「匠(John)」の製品化に至った訳ですが、ジョンには「あなたのために造ったんだから責任もって台湾で飲んでよ、あなたの接待パーティーの時に使ってよ」と言って、台湾に輸出することになりました。

そのタイミングでたまたま、インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)の情報を見つけたのです。

IWC SAKE部門「スパークリング」カテゴリーでいきなりの最優秀賞

世界最大規模のワイン品評会 IWCスパークリング部門で第1位を受賞
世界最大規模のワイン品評会 IWCスパークリング部門で第1位を受賞

松本 実は、実際に出品するまでIWCのことは知りませんでした。とあるメールの下部にIWCの結果発表が兵庫であるみたいなことが載っていて(筆者注:2016年、兵庫県がIWCのSAKE部門開催誘致に成功し、初めて同コンテストが発祥地ロンドン以外で開催された。)、何のことかと思いGoogleで検索するとお酒のコンテストらしい、と。よく見るとスパークリングの部門もあるので、これ関係あるんちゃうの、とピンと来まして、すぐに応募しました。

まさに締切日だったので急いでサンプルを送り、一安心した2ヶ月後。電話がかかってきましてね。結果発表のため、兵庫に来てくださいと。なんだろう、何かの賞にでも引っかかったのかと思ったら、もう1回電話がきて、絶対来てくださいね、と。実はその日、酒蔵でお酒の先生と会う予定があったんですが、あまりにも絶対来いと言われるものだから、先生には理由を言ってお断りして神戸に行ったら、なんと1位。

竹内 最初に造った純米大吟醸スパークリングがIWCで最優秀賞とは、なんともドラマティックな話です。大吟醸を造る難しさに加え、スパークリングにする難しさもある訳ですよね。

松本 純米大吟醸にガスを入れてスパークリングにするために、かなりユニークな方法を使っています。高校、大学と物理を勉強していた関係で、液体にどう上手にガスを入れるか学んでいたことが役に立ちました。多分他のメーカーは絶対にやらない方法なので、そこがうちの独自性というかユニークさに繋がっています。

ただ、周りに人に「どんなお酒を造るんですか?」と質問されても僕はテクニックの話は一切しなくて、「友達と飲みたいと心の底から思うお酒を造るんです」と答えます。

なぜ、この酒蔵はここにあるのか

松本 本格的に自分でやるという時にちょっと考えたんです。なんで、そもそもこんなところに酒蔵があるんだろう、と。

この酒蔵を始めたのは自分の高祖父(祖父の祖父)の父で、明治10年のことです。駅の近くでもないし、その頃は東京の銀座にすら電気がない時代。電気もポンプもない中での酒造りは本当に大変で、なんでこんなことをやりたかったのか、書き物としては残っていないので自分なりに想像するとこんなことだったのかな、と。

つまり、この辺りに一族の田んぼがいっぱいあったから、お米はある。当時は娯楽といっても映画もなかった時代ですから、自分たちの米でお酒を作って、それを飲んで皆でワイワイやろうぜっていうのが最初にあって、だからこの辺に酒蔵を作ったのかな、と僕なりに勝手に解釈しましてね。

そう考えると自分も一緒だな、酒蔵に原点に立ち戻るのであれば、それをやらなきゃいけないな、と。この町でとれる自慢のお米を使って、自分たちが飲んで本当に楽しい、地元の仲間と飲んで楽しいお酒を造りたい。

そこで地元のお米だけを100%使って造ることを決めました。僕がテクニックの話をせず、「友達と飲みたいと心の底から思うお酒を造りたい」と答えるのは、そういうことなのです。

辺り一帯の斜面を埋め尽くす棚田の数々と、山深い土佐町の地形が独特の景観を作り出す
辺り一帯の斜面を埋め尽くす棚田の数々と、山深い土佐町の地形が独特の景観を作り出す

竹内 痺れますね。

松本 そこだけはぶらす訳にいかないので、その基準に従って、やるかやらないか全部決めています。たとえば、うちは柚子のお酒も造っていますが、それは土佐町で柚子がいっぱいとれるからです。「梅酒はもっと売れるから梅酒も造ったらどうか」と言われることもありますが、僕は何度頼まれても気が進まない。梅は、ここの名産じゃないからです。桃のお酒なども同様です。

竹内 松本社長がこだわるテロワールからもズレますしね。

松本 そうそう、ストーリーがぐちゃぐちゃになるから、売れてもやりません。

竹内 我々くじらキャピタルも、再建のお手伝いに際してストーリーテリング(storytelling)とかナラティブ(narrative)という観点にこだわっているのですが、その一周も二周も先をいかれていて驚きです。

ヨーロッパのワイナリーであれば、たとえばそのシャトーの領主が10何世紀から代々畑を受け継いで、みたいなストーリーがあるから人は惹かれる訳ですよね。

松本 世界のワイン愛好家に日本酒を売り込むのであれば、その視点は必須でしょうね。最初は「日本のお酒か、お米で作った酒か」といって珍しがられるかも知れません。でもいよいよ本丸に入っていこうとして、日本酒をヨーロッパに持っていくと輸送費や関税で値段が3倍になり、高級ワインと近い値段になります。そうなると必ずストーリーを聞いてきますよ。

片方では「ジュヴレ・シャンベルタン村のこの畑で、どこの誰々がいつからやっている」という話をしているのに、「〇○県産のお米」という情報だけでは、あちらからすると何のストーリーも見出せませんとなってしまう。
また純米大吟醸にしても、米を機械で一生懸命削って、精米歩合20 何パーセントです、と言ってもヨーロッパでは全然響かないでしょう。

竹内 そもそも米を磨く、削るという工程そのものの意味が伝わっていません。

松本 米を削ると説明したら、なんでそんなことをしなきゃいけないの、と言われてしまいます。うちも過剰精米はやりません。今の世界の潮流からいうと、精米をあまりやりすぎると嫌がれると思います。思いっきり精米してその削ったお米の粉はどうしてるの?捨てているの?となりますから。これは気を付けないといけない。

「EUバージョン」

松本 もう一つ気を付けなくてはいけないのは、日本酒をEUに持っていくと、アルコール度数が12度から15度の間に入っているものはワインと一緒で酒税がすごく安くなりますが、この15度を0.1度でも上回ったら罰金みたいに税金が高くなることです。

竹内 ハードリカーなどの蒸留酒扱いになるのですね。

松本 日本酒は普通に発酵させると大体アルコール度数が16 度とか17 度になるので、特にヨーロッパのマーケットを攻めていくには15 度以下にして過剰な酒税を避けることが重要になります。醸し方によっては全部発酵しきった時にでも15 度以下に収まる配合のさせ方、レシピがあるので、うちはそれで造っていますが、酒蔵によっては国内で通常売っている酒を水で薄めて15 度以下にしたものを「EU バージョン」と称するところもあります。ラベルも変え、国内向けのものとは違う味です。
僕は、酒税のために完成した酒に手を加えて世界へ出すよりも、最初から世界で通用するフォーマット、アルコール度数にして一番美味しい酒にしたい。なので、うちでは地元で売るのも東京で売るのも、ヨーロッパや世界の裏側で売るのも全部一緒の中身・ラベルにしています。

竹内 水で薄めていたとは!

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね
  • URLをコピーしました!

関連記事