学校におけるクラブ活動とともに、日本のアマチュアスポーツ文化を形成しているもののひとつに「実業団」があります。人材を資本として捉え、その価値を柔軟に発揮させることが企業に求められるようになった現代社会において、企業に所属しながら、同時にアスリートとしても活動する実業団の選手たちは、働き方の多様性を表すひとつのアイコンと言えるのではないでしょうか。そこで実業団の選手はどのような働き方をしているのか、『大崎電気工業株式会社(以下、大崎電気)』のハンドボール部「OSAKI OSOL」に所属する香川壮次郎選手にお話をうかがいました。
第一印象は「何だこの競技!?」。香川選手とハンドボール
ソトコト 香川選手は今年で29歳、「OSAKI OSOL」には2018年から所属されていますが、ハンドボールに触れたきっかけとこれまでの活動について教えてください。
香川壮次郎選手(以下、香川) 小学校6年間はバレーボールをやっていたのですが、兄が中学校でハンドボール部に所属しており、顧問の先生から「ぜひ来てほしい」と誘われたのがきっかけでした。それまではハンドボールというスポーツを知らず、ルールも他の競技とまったく違うので、当初は「何だこのスポーツは!?」と驚いたことを覚えています(笑)。
その後、高校ではジュニア交流競技会の代表に選ばれてプレーをして、そこから大阪体育大学に進み、大崎電気工業株式会社(以下、大崎電気)に入社しました。
ソトコト 最初は驚いたというハンドボールについて、その特徴や魅力をお話しいただけますか。
香川 ボールを相手のゴールにシュートして得点を狙うという点で、サッカーやバスケットボールに近い印象を持たれている方も多いと思いますが、ハンドボールは正面からのコンタクト(接触)プレーが許されているため、激しい身体のぶつかり合いが起こり、「格闘技」と呼ばれるくらい激しいスポーツなんです。
ゴールを決める際も、ダイナミックなジャンプから相手に身体を投げ出しつつ時速100キロ前後のシュートが放たれますし、キーパーもそれを一切の防具などをつけることなく防がなくてはなりません。
また、試合は1チーム7人対7人で行われますが、試合中はタイムを取ることなく、何度でも選手を交代させることができるため、非常にスピーディーに選手やボールが行き来します。
これらの迫力やスピードが合わさった臨場感が、ハンドボールの特徴であり、魅力です。生で観戦するのが一番面白いです。きっと最初はその激しさにびっくりすると思いますよ。
会社員とアスリートの両立。実業団の選手としての働き方
ソトコト 香川選手は大崎電気で社員として働きながら、「OSAKI OSOL」の選手として活動されていますが、普段の業務について教えていただけますか。
香川 社員としては品質保証部の部品検査職場に所属しており、工場で生産されたスマートメーターの部品の検査を行っています。体育館が埼玉の事業所に併設されており、私を含めチームメンバーやスタッフは基本的にこの事業所に勤務しています。
1日のスケジュールでいうと、平日は午前8時半から勤務を開始して、お昼に休憩を取り、14時半まで業務にあたります。その後15時から17時半まで練習をする、という感じです。
ハンドボールのリーグは国際大会の開催などによって変動することもありますが、一年のうち約8か月間開催されており、その間は土日に試合があります。また、試合がないときも、たとえば小中学校にハンドボールを教えに行ったり、チームを応援してくれている方との交流会があったりもします。
ソトコト 毎日仕事をしながら練習もして、土日は試合やイベントとなると、かなりハードな印象があります。
香川 最初は大変でしたね(笑)。大学生のころも講義と部活という二つの軸はありましたが、その時よりも朝の始動が早く、やっていけるのかと少し不安に思ったこともありました。「OSAKI OSOL」に入って3年目くらい、レギュラーとして試合に出られるようになった頃にようやく慣れて、仕事とハンドボール、そしてプライベートのオンオフがうまくできるようになりました。
ソトコト シーズン中は、たとえば遠征などもあると思いますが、やはりハンドボールへの比重が上がるのでしょうか。
香川 そうですね。試合の前日などは朝から試合に向けた調整をして、それから移動ということもよくあります。もちろん、会社もそれはわかっていて「午後からいない、あるいは一日いない」という前提で仕事を割り振ってくれていますし、日曜日に試合があったときは月曜日に休みを取れるようになっています。
ほかのチームから移籍してきた選手などに話を聞くと、たとえば午前9時から18時まで仕事をして、それから練習というチームもあるそうなので、大崎電気ではハンドボール選手としての活動をだいぶ優先してくれているなと感じます。
ソトコト 企業、そして実業団に所属する選手として、普段から心がけていることはありますか。
香川 実業団は、個人でチームと契約するプロではありません。あくまで企業の一社員として活動していて、ハンドボールを通じて大崎電気という会社を広報する立場にあることを忘れないようにしています。
大崎電気の一員として活動しているという意識は年々強くなってきました。
業務を通じて、自分がハンドボールに取り組めているのは、協力してくださっている人たちがいるからだと実感しているからだと思います。普段から、これからも支え続けてもらえるような行動をと心がけています。
ソトコト 大崎電気が選手を尊重し、選手もまた大崎電気を信頼しているのが伝わってきました。選手として会社に貢献できたと思えたことがあれば、教えていただけますか。
香川 従業員をはじめ、小学校でのハンドボール講習や、地域の交流会などを通じて、そこで会った方がハンドボールに触れ、試合を観に来てくれたときですね。チームの、そして大崎電気のファンを増やすことができたんだと、自分の活動が大崎電気にとってプラスになったんだという実感がわきました。
選手としてのこれからと、叶えたいこと
ソトコト 今は会社員とアスリートの両方で活動されていますが、今後のキャリアについて考えられていることなどはありますか。
香川 実業団とプロの大きな違いは、やはり企業に所属しているのか、個人としてチームと契約しているのかです。
「やれるところまで現役を続ける」というのは変わりませんが、引退したあとも社員として働き続けられるのは実業団の大きなメリットであると考えています。現時点では、将来への不安を感じることなくハンドボールに取り組むことができていますし、引退後も大崎電気で働いていきたいと思っています。
ソトコト 「OSAKI OSOL」の選手として、これから実現されたい夢や展望があればぜひお聞かせください。
香川 選手とファンの交流の場を増やしたいです。いつでも行けば必ず選手がいて「OSAKI OSOL」の試合が見られる専用アリーナができたらともっとうれしいです。そこに行けば選手がいて、触れ合えるという環境をつくれればいいなと思います。そうすることで、ハンドボールに興味を持ってもらえる、そして「OSAKI OSOL」と大崎電気を好きになってもらえるきっかけを増やしていきたいですね。
香川壮次郎(かがわ・そうじろう)
香川県出身。1995年5月23日生まれ。身長187cm、体重100kg。
2018年に大崎電気工業(株)入社。「OSAKI OSOL」ではPV(ピボット)を務め、味方と相手ディフェンスの間に立ち、連携の要となる。
選手を見つめる部長にもお話を聞く
「OSAKI OSOL」所属の香川壮次郎選手にお話を聞きました。実業団の選手の働き方や、所属するチーム、そして大崎電気への強い愛情が感じられました。こうした働き方ができることは「人的資本経営」の取り組みのひとつのケースと言えそうです。最後にもうひとつ、「働く側」の視点だけでなく「雇う側」の視点からも大崎電気での働き方を見てみたいと思います。「OSAKI OSOL」の部長を務めている、専務執行役員の根本和郎さんにお話をうかがいました。
ソトコト 「OSAKI OSOL」では選手やスタッフの多くが大崎電気の社員でもあります。選手でも社員でもある方々が働く職場において、配慮されていることなどはあるのでしょうか。
根本和郎さん(以下、根本) 一口に「選手である社員」と言っても、若手かベテランか、といった部分でパーソナリティは異なります。一般的に、若手選手の場合はやはりハンドボールに集中したいという気持ちが強く、日本代表やプロになることへのモチベーションも高い場合がほとんどです。一方で、ベテランの選手であればハンドボールに取り組みつつも、引退後のセカンドキャリアなどへの意識が高まってきます。このように、選手それぞれに対してふさわしいサポートは違ってくるので、個人個人に合ったサポートをするように心がけています。
また、今は「OSAKI OSOL」の社員選手は全員が埼玉事業所に勤務していますが、選手を引退した方は、埼玉だけではなく東京の本社で働いてもらうこともあります。どういうセカンドキャリアを歩んでもらうのか、それはしっかりと適性を見て判断するようにしています。
ソトコト 香川選手であれば、現在は品質保証部に所属されていますが、それは選手としての活動があるからという面も考慮したもので、選手を引退されたあとは、新しい部署に配属されることもあるわけですね。
根本 はい。現役時代は選手であることを加味して働いてもらう部署を決めますし、引退後にも大崎電気に残るならば、その人にふさわしい働く場所を提案するようにしています。過去の例でいうと、営業部に行かれる方が比較的多いですね。選手活動で培ったコミュニケーション能力などを活かして活躍してもらっています。
ソトコト 「OSAKI OSOL」があることで、社員の働き方に多様性が出ていると感じますが、大崎電気という企業にとって「OSAKI OSOL」があって良かったなと思う瞬間などはありますか。
根本 まず、一番大きな点として大崎電気の名前を広めてくれているという点が挙げられます。試合ごとに、そして大会で優勝したときに報道を通じて、会社をPRすることができます。本業である電力量計・スマートメーターの事業より、ハンドボールの方が有名なくらいです(笑)。そのことでハンドボールの経験者の方が大崎電気を選んで就職を希望されることもあるので、人材の確保という点でも役立っていると言えるでしょう。また、大崎電気の社内においても試合を通じて交流の場……たとえば現役社員とOBが知り合うきっかけになったり、一体感を高めたりするのに貢献していると感じます。
ソトコト 最後に、「OSAKI OSOL」の選手や彼らとともに働く一般の社員の方々に、どのような働き方、生き方をしてもらいたいと考えているか、お話しいただけますか。
根本 働き方一つをとっても、世の中は大きく変わってきています。それは個人単位ではなく、企業単位でも同じだと言えます。大崎電気は長らく電力量計を中心にやってきましたが、今後はそれだけでは成り立たず、時代に合わせた製品やサービスをつくっていかなくてはなりません。これまで培ってきたいいところはそのままに、新しい分野にも目を向ける必要があります。そのためにはさまざまな経験を積むことや、新しい物事にチャレンジする姿勢を持たなくてはなりません。
私自身も生産部門、経理や総務といった仕事に携わることで、それまでまったく触れたことのない仕事をして、「意外とこの分野もおもしろいな……」と思う機会がたくさんありました。それが今の自分を形づくるのに役立っているとも感じています。
アスリートとして活動することは素晴らしい経験です。そして、同時に社会人として働き、世の中を知っておくことも大切です。また、同じ部署に実業団の選手がいる環境で働いていたということだって、のちに何かの役に立つこともあるでしょう。選手たちだけでなく、それ以外の社員も含めて、新しい経験を積むことを恐れない姿勢で、仕事に取り組んでもらえればと考えています。そして、それができる環境づくりをさらに推進していくことも、大崎電気としての新しいチャレンジになっていくのではないでしょうか。
根本和郎(ねもと・かずお)
1977年に大崎電気工業(株)入社。
埼玉事業所で生産管理の仕事に携わった後に本社へ異動。
経理部長、総務部長、人事部長を経て2011年から管理本部長(現職)。
休日には長年の趣味であるゴルフや、ウォーキングを楽しむ。