安定した職業を目指す若者が多い一方、生き方の多様化が進み、夢に挑戦する人も増えている。しかし年齢や家族、周囲の目など、悩むことも多いはずだ。舞台を中心に活躍する箱田暁史さんは、大学卒業後アルバイトなどで生計をたてながら俳優活動を続けてきた。そして今秋、新国立劇場で行われる舞台「イロアセル」にてメインキャストに決定。安定を捨て理想の俳優像を求め続ける箱田さんの人生からは、夢を追う人たちにとって、生き方や考え方のヒントが得られるはずだ。(タイトル写真提供:新国立劇場)

1979年、福岡市生まれ。西南学院大学入学後に演劇と出会い、同校演劇部の作品に複数出演。卒業後、文学座附属演劇研究所に入所(45期)。卒業後、総合芸術集団GUCCI&BOCCI(現LA・TATAN舎)に入団する。2009年以降の活動休止に伴い退団後、劇作家・長田育恵主宰の劇団「てがみ座」に所属。所属事務所は株式会社地球儀。現在に至る。主な出演作品に、てがみ座第10回公演 「汽水域」(2014年)、KAAT&KUNIO15共同制作「グリークス」(2019年)など。2021年11月、新国立劇場フルオーディション企画第4弾「イロアセル」に出演予定。(写真提供:株式会社 地球儀)
この役は自分がやりたい!と挑んだ、舞台「イロアセル」のフルオーディション
2021年11月、新国立劇場にて上演される「イロアセル」は、有名無名にかかわらず全出演者をオーディションで決定する企画の第4弾。箱田さんは1800人を超える応募の中から、見事メインキャストの一人である「囚人」役に抜擢された。物語の舞台は「すべての言葉に固有の色がついていて、発言が可視化されてしまう」島。囚人は、そこに外部からやってきて変化をもたらすという重要な役である。
箱田さん「この役を絶対やりたくて。何も失うものがない一人の人間が檻から手を伸ばし、ものすごく大きなパワーを掴み取ろうとする。ジェットコースターのような痛快なエンターテインメントです」
今回の囚人役は、これまでのキャリアを通しても、特別な思いがあるという箱田さん。
箱田さん「フルオーディションで勝ち取ったということに大きな意味があります。全員平等にチャンスがある中みんなが全身全霊で役を獲りにいく。そういう状況は物語とリンクする部分もあるし、僕自身の人生と重なるところもあるんです」
一発逆転を狙い、どこか野心的ともいえる囚人の姿に、共感する部分も多いと話す箱田さん。物語同様に平穏や安定とは無縁だった二十数年の俳優人生を振り返ってもらった。
【#イロアセル】
— 新国立劇場の演劇 (@nntt_engeki) January 19, 2021
フルオーディション・第四弾!
全キャストが決定しました!!
2021年11月上演予定です。ご期待ください!!!
⬇️出演者詳細はこちらからhttps://t.co/DG6DohPxII
(#倉持裕 さんと小川絵梨子演劇芸術監督のコメントあり)#オーディション #新国立劇場 pic.twitter.com/V1fRRxTbTa
大学で出会った演劇。俳優という夢を先取りするために上京
箱田さんが演劇に出会ったのは、出身地・福岡市の大学に通っていた頃。しかし、所属は演劇部ではなく、美術部だった。ある時、人手が足りなかった演劇部から声がかかり、たびたび出演することに。部員でないにもかかわらず、主演を務めることもあった。
箱田さん「結局卒業するまで演劇部には在籍せず美術部員でした。でも正式な部員じゃないくせに、演出や脚本にもしょっちゅう口を出していた迷惑な奴でしたね(笑)」
演技の魅力にのめりこんでいった箱田さん。就職は頭になく、何とか演劇を続けていきたいと考えていた。
箱田さん「それなら俳優という未来を先取りするためにも、とにかく上京しようと。でも、それまで人に誘われたり流れにのることが多く、丸腰で行くことに少し不安もあったんです。それで何か自分発信でやりたいと、なぜか大学祭の女装コンテストに応募して優勝したり(笑)、夏木マリさん主催の演劇ワークショップに参加したりもしましたね」
受け身な自分を変えるべく成功体験を重ね、卒業前には自ら企画・演出・主演を務める「箱田暁史卒業公演」を上演。そして、本格的に俳優を目指し上京した。
箱田さん「上京したての頃はほんと甲殻類みたいに、ガチガチに気を張っていました。やられる前にやる、みたいな(笑)」
未来への期待と自信を体中にみなぎらせていたが、それはいとも簡単に打ち砕かれることになる。

挫折しても貧乏でも続けられた20代。その理由とは…
上京した翌年、高倍率の試験に無事合格し、名門・文学座付属演劇研究所に入所。1年間の本科研究生となる。舞台にも立つが、もちろん出演料はないし学費を払う必要もある。風呂無しアパートに住み、朝から夕方までパチンコ店で働いて、夜に稽古という生活だった。
箱田さん「研究所では学生時代と変わらず生意気でしたね。研究生の同期にもダメ出ししたり…。今思えば『自分が一番だ!』という去勢を張っていたというか。演劇って集団でやるものなのに、集団行動が苦手でした」
本科卒業公演の主役オーディションにも「俺がやる!みんなどいてくれ」と言わんばかりに挑み、見事主役に選出。本科卒業後は一握りの優秀者のみが研究科へ進み、その後に待っているのは文学座の俳優としての道だ。
箱田さん「自分は主役に選ばれたんだし、『未来は明るい』と信じきってました」
しかし後日、自宅に届いた一通の薄い封書。研究科への進級は叶わなかった。まさかの結果に挫折感はあったが、まだ20代半ば。それほど焦りはなかったという。
箱田さん「いつも貧乏でしたしよく生きてこれたなと思いますが、周りの演劇仲間も同じような生活をしていたので、誰かと比べて悲観することはなかったですね。たまに会社員の友達と会っても、『お、スーツ着てんな~長財布持ってるんだな~』と思うくらいで(笑)」
なんとか俳優は続けたいと、声をかけてくれた芸能事務所に所属し、CMやドラマなど映像の仕事も経験。そんな時、ある現場で知り合った劇団員から誘われて、総合芸術集団GUCCI&BOCCI(現LA・TATAN舎)に入団する。
箱田さん「ここで過ごした時期はすごく楽しかった。お客さんも少ないし、自分の演技自体もまだ楽しめるほど技量も余裕もなかったんですけど。劇団の仲間と一緒に過ごす日々が、僕にとっては遅れてきた青春みたいな」
しかし30歳になろうとする頃、同劇団は活動を休止。箱田さん自身も、この先を考える必要に迫られる。
