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連載 | 瀬戸内の古民家で子育てはじめました

古民家が「危ない」ってホント?【瀬戸内の古民家で子育てはじめましたvol.7】

小林友紀

小林友紀

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2020年9月。当時1歳と0歳の子を連れ、東京から愛媛県の今治市へ移住した。今治は妻である私の生まれ故郷。つまりUターンである。昨年、築70年を超す古民家を自宅として購入、再生し、家族4人で暮らしている。そんなわが家の日常を通して、住むほどに味わい深く、子育て世代におすすめしたい古民家の魅力をお届けしたい。

目次

石の上に建つ、スケルトン古民家

前回書いた通り、解体過程で井戸が出たり、ハプニングに見舞われながらも無事に? スケルトン化したわが家。床がなくなり家の基礎が露になると、ふとあることに気づく。
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え、基礎、コンクリートブロックやったん?
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主に母屋は石(束石)、改築と思しきキッチン周りはコンクリートブロックが使われていた。これは「石場建て」とも呼ばれる伝統構法に基づいた建て方で、戦前、つまりざっくり70年以上前に建てられた古民家には多いとされる。

わが家の場合はメインの「玉石基礎」に、改築に伴って「コンクリートブロック基礎」が採用されていたようだ。

(ちなみに風呂場周辺は煉瓦だった)

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改築されたキッチン部分。床下にコンクリートブロックが使われていた。
現代の建築基準法では(違法ではないものの)あえてこうした建て方をするケースはかなり稀といえるだろう。私たち夫婦も、設計の段階から耐震構造については何度か設計士さんと議論を重ねていた。

つまり、現代の一般的な建築基準に照らし合わせて、コンクリートを流し込む「布基礎」へと基礎・土台ごとリノベーションするか、補修をベースに現状維持の方向で行くかだ。

石場建ては昔ながらの工法で社寺建築では多くがこの工法で建てられている。一見すると地震に弱そう、とも思えるが、足元を揺らして地震の力を逃がす「免震構造」になっている。一方の布基礎は、がっちりと土台と基礎を地面に緊結する「耐震構造」だ。

結論を言うと、わが家のリノベーションでは現状の構造を活かす決断をした。理由は、これまで70年以上、地震や台風にも負けずこの地に建ち続けてきたという事実に「実績」があると考えたからだ。また地震大国で多くの社寺建築が今なお残るということは一定、理にかなった工法であるとも思えた。

そもそも免震構造の古民家なので、完全に「耐震化」するには費用も工数もかかる。そこまでして現代の安全性だけを追い求めるのも、古民家のフィロソフィーを冒しているような気がしたというのも一因だ。

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石場建てをベースに補修してもらった基礎。
ただこの構造に関しては様々な主義主張があり、「正解!」というものも存在しない。あくまでも私たちの希望として、古民家ならではの工法を選択したということである。

解体は進み、光を得た土間

構造問題に私たちなりの解を出し、引き続き解体は進む。

わが家には2階があり、そこには和室が3部屋あった。しかし1階だけで充分な居住スペースがあり、また平屋暮らしへの憧れもあったため、ここも併せて解体することに。

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かつての2階。
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2階があったころの土間。
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土間の上の2階が抜かれ、明るくなった。
厳密にいえば2階の半分を残し、土間の真上だけ抜いてもらった。残したスペースは現在季節ものや客用布団など、普段使わない荷物のスペースになっている。

設計時点から日常的に活用しないことを想定していたため、階段は室内からではなく土間から上がるように新設してもらった。小さな子供たちが不用意に2階に上がったりすることもなく、1階の居住空間も広く取れて、まさに一石二鳥だと思っている。

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徐々に形作られてきたわが家

かくしてわが家は光を得た。

基礎では伝統工法を活かしたが、壁の工事においては合板で補強するなど、可能な範囲で耐力アップを図ってもらった。もともと壁の少ない古民家ではあるが、壁が取れる位置には意識的に壁を作ってもらった。

のちにリビングとなる座敷などは最大限古民家の意匠性を残しつつ、影響の少ない場所ではある程度の安全性も担保できるよう、設計士さんもさまざまな考慮をしてくれた。

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耐力壁の設計図面(途中段階のもの)。
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構造部分の解体、補修、間取り変更を経て、次回。
いよいよ仕上げの工程に入っていく。
文・写真:小林 友紀(こばやし・ゆき)
大学卒業後、都内大手総合PR会社にて日用品メーカー・製薬会社・商業施設など幅広い広報業務の支援に従事。5年のPRキャリアを積み、2020年に愛媛県今治市にUターン。現在はフリーランスのPR・ライターとして活動中。2児の母。大学在学中には、島根県美郷町の「地域おこし協力隊」を務めた。

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