都内で日本料理店を営んでいた木村哲詞さんは、店を人に任せて妻子4人で千葉県鋸南(きょなん)町に移住した。移住後に見つけた仕事は、8時~14時までのレストラン勤務。選んだ理由は、「何かあったら夜、東京の店に行けるから」。
移住当初は東京と行き来しながら暮らしていた木村さんが、今では漁港での仕事をこなし、週末はカフェの料理長、冬は醤油搾り師、合間に酪農ヘルパーと米作りを行うパラレルワーカーになるまでの話を聞いてみた。
目次
鋸南町から東京へと通う日々
毎朝4時に築地へ行き、自分の目で食材を選び、料理を提供する店を営んでいた木村さんの睡眠時間は1~2時間。繁盛して忙しくなると売上は伸びていったが、木村さん自身は苦しくなっていったと言う。そんな生活を辞め、店を人に任せて次女が0歳のとき鋸南町へ移住した。移住後は8時から14時までレストランで仕事をし、都内の店の予約状況により、夜は東京へと通う日々。そんなとき、東日本大震災が発生。20日後、木村さんの板前仲間が遺体で発見されたことを知った。
木村さん「ぼくにできることは何だろう。ボランティア? 経験のない人間が何かできるのかな……。料理人のぼくができることは、東北地域から素材を仕入れ、東北を意識した料理を提供することじゃないか」
そう考えた木村さんは、5月末に閉店予定だった店の契約を3年延ばすことに。東京と鋸南町を行き来し、睡眠時間は1時間とれない日も多かったと言う。それでも都内の店を営業し続け、3年後に閉店した。
気になる場所に、飛び込みで求人確認
鋸南町の隣りにある鴨川市は、外房に面している。木村さんはほぼ毎日鴨川の海を訪れ、東北の方角に手を合わせていた。東京の店を閉める半年前、料理長として自分の店に復帰したため、レストランの仕事を辞めていた木村さんは「毎日鴨川に来ているし、鴨川で仕事があれば」と思い、ふらっと漁港に立ち寄って仕事があるか聞いてみた。港に上がった魚の選別や加工をして配送まで行う魚の仲卸会社で、7時~12時までの仕事があるとの返事をもらい、午後は自分の時間を持てるのが魅力で即決。
料理人の木村さんは魚を見る目も、さばく腕も持ち合わせていたので、研修生たちからは「先生」と慕われ、会社の人からも「10トンさばくのに何人必要?」と相談されるようになっていった。
手づくり醤油を搾る、醤油搾り師という仕事
鋸南町を含む安房(あわ)エリアには、自給用に醤油を手づくりする「安房手づくり醤油の会」が存在している。木村さんは移住後すぐに醤油搾りの様子を見学し、いろいろと質問攻めにしたところ「職人だね。店辞めることになったら、ひと声かけて」と当時の搾り師に言われていたという。
醤油は年に一度、寒の時期に専用の道具で搾る。搾り師は道具を持って各樽を巡り、醤油を搾る作業を行う。店を辞めた木村さんはさっそくワンシーズン弟子入りし、搾り師のノウハウを学んだ。
木村さん「ぼくのやりたいことは、人に伝えることのできる仕事。自分ができることをやって満足するのでなく、人に伝えることをやりたい」
木村さんの醤油搾りは説明がとてもていねいで、参加者たちは搾りたての生醤油に舌鼓を打ちながら、好奇心も満たしていく。
究極の米を手に入れるには、自分でやるしかない
料理人として、いい米、いい醤油を仕入れて使ってきた木村さんだが「究極の米を仕入れたいなら、自分でやるしかないですよ」と言われたことをきっかけに、米も醤油も自分で作り始めた。
木村さん「今まで電話一本で発注していた米や醤油が、どうやって作られているのか知らなかった。それで料理人と言えるのか? 自分でやればいいんだとやってみたら、尋常じゃない大変さだった。こんなに手間暇かかるものだったなんて」
木村さんの米作りのこだわりは、「収量ではなくどれだけ土と向き合うか」だと言う。人手不足で荒れていく田んぼを見て、「自分が関わっているところは荒らさない」をやりがいに、地域の景観や棚田の維持を守りながら続けている。
田舎ならでは? 酪農ヘルパーという仕事
酪農が盛んな南房総では、搾乳や餌やりなどを行う酪農ヘルパーという仕事がある。移住後ヤギを飼い、そのヤギが死んでしまったことをきっかけに、もっと動物のことを知りたいと思ったのがきっかけで酪農ヘルパーをしている友だちに相談。仕事現場について行き、「手伝いをさせてもらえないですか?」と酪農家にお願いしたと言う。17時30分からの3時間、入れるときに手伝っている。
木村さん「米も作っている人で、田舎暮らしのノウハウを持っている。チェーンソーも使えるし、畑もしているし、ぼくにとって教科書のような人で、この3時間は会話から何かを得られるチャンスがあって、塾に通うような気持ちで手伝っている」
元保育所をデリ&カフェに。週末限定カフェの料理長
娘との何気ない会話のなかで、「パパはやっぱり料理だよ」と長女が発した言葉が心に残っていた木村さん。そんなときSNSで、元保育所の建物を利用したHEGURI HUB DELI&CAFÉでシェフを募集している投稿を目にし、手を挙げた。
漁港で働く木村さんらしく、新鮮な魚をたくさん使い、地元の野菜や千葉県産の豚・鹿肉なども利用した「選べる3品デリBOX」はその名のとおり、ショーケースのなかから好きな総菜を3品選ぶことができる。
週末と祝日限定のデリ&カフェなので、ここで働く人たちはそれぞれ別の顔を持つパラレルワーカーだ。野菜を作る農業だったり、果樹をメインにした農業だったり、英語教師だったりする。
パラレルワーカーの一週間
いくつもの顔を持つ木村さんの一週間は、こんな感じだという。
月~木曜日は一日漁港で仕事。当初は半日のみだったが、今では基本的に一日働いている。天候に左右されるので、海が荒れたときは休みだ。そんなときは田んぼ作業にシフトする。
金~日曜・祝日は、デリカフェの料理長として材料を仕入れてメニューを考え、料理をする。酪農ヘルパーは曜日に関係なく、お互いの予定が合った日に。
木村さん「米作りとヘルパーの仕事は教わることが多く、生徒の気持ち。醤油搾りと漁港の仕事は、大切なポイントを伝える先生のような感じ。デリ&カフェは、料理人として生かしてもらっていると思う」
そんな木村さんに、今後やりたいことを聞いてみると「天丼のキッチンカーをやりたい」と即答。自分の店を持つまで長年天ぷら職人として働いていた木村さんは、「季節のかき揚げとタレにこだわって、天ぷらを通して地域の良さを伝えたい。天ぷらに育ててもらったから、天ぷらに恩返しがしたいし、キッチンカーを作るところからやってみたい」と、そう遠くないであろう将来の夢を語った。
「田舎暮らしをしたけど、仕事がないから」と思い込んでいる人がいるかもしれないが、田舎にだって仕事はある。都会と同じものさしで、同じ条件で、となると難しいかもしれないが、田舎には田舎ならではの、都会にはない魅力的な仕事があるのだ。仕事がないと決めつけず、自分のものさしを田舎バージョンに更新してトライしてみてほしい。
写真:木村哲詞、写真AC、鍋田ゆかり
文:鍋田ゆかり
取材協力:HEGURI HUB DELI&CAFÉ
https://hegurihub.com/deli_cafe/