親戚や頼れる人がいない場所への移住は、生活での困りごとや不安も出てくるだろう。特に仕事と子育ての両立で抱える悩みは、ただでさえ近所付き合いが希薄な現代、身寄りのいない移住先ならなおさらだ。夫婦音楽ユニット「BE THE VOICE」は2011年に、生まれたばかりの長男を連れて東京都から福岡県へ移住。慣れない土地での育児で直面した困難をどう乗り越え、音楽活動と両立していったのか。ボーカルを務める和田純子さんにうかがった。タイトル写真/撮影:亀山ののこ(c)BE THE VOICE
移住体験プログラムが決心を後押し
夫の鈴木俊治さんとの音楽ユニット・BE THE VOICEでボーカルと作詞作曲を担当するのが、今回インタビューした和田純子さんだ。1998年のデビュー以来、楽曲リリースはもちろん国内外でのライブ、CMや広告の音楽を担当するなど幅広く活動。出身地の東京を拠点にしていたが、2011年の東日本大震災をきっかけに、生まれたばかりの長男を連れ家族で福岡へ移住した。
和田さん「九州へはライブツアーなどで何度も来ていて、漠然と『いつか住んでみたいな〜』とイメージしたことはあったんです」
震災後、子育てに不安を感じて移住先を探していた時に、福岡県の筑後地方で移住体験ができるプログラムの募集を知り応募。2011年9月から、久留米市郊外の田主丸町に1ヵ月住むことになった。
和田さん「森に囲まれた家をお借りしたんですが、ここがすごく素敵な場所で。大家さんも良い方でしたし、移住しようと決めました。ただ、移住体験した場所の近くには小児科の救急がなかったんです。それで、実際住む家は久留米市内の住宅街で見つけたマンションにしました」
田主丸町にも通える距離で田畑も多く、マンション近くの畑でホウレン草が育っているのも気に入った。また当時は、音楽制作の仕事のほとんどが東京。2拠点生活を見据え、福岡空港直行バスのバス停から近い場所を選んだそうだ。
和田さん「自分たちで不動産屋さんに聞いて探したんですが、土地勘もなかったので、移住体験で住ませてもらった家の大家さんにも色々相談させてもらって…本当にすごくお世話になりました」
多少の戸惑いも人生の冒険として楽しむ
移住準備をしつつライブなど音楽活動も行いながら、2011年の冬頃から福岡県久留米市での生活をスタート。新天地での暮らしは、自然に囲まれた景色や空の高さに心躍る一方、戸惑うこともあったという。
和田さん「言葉の違いもそうですが、びっくりしたのは距離感の近さ。住んでいたマンションは皆さん仲が良くて、初対面に近い時から飲み屋さんに誘ってくれたり、お互いの部屋で夜通し飲んだりとか…」
それまでの人生では東京と神奈川にしか住んだことがなかったという和田さんにとって、経験したことがない距離感の近いコミュニケーション。当初は驚いていたが、徐々に慣れて仲良くなれたという。
和田さん「そういう戸惑いも移住ならではの経験かなと。人生の冒険というか、ちょっと長い旅をしてる感じで、言葉や文化の違いもワクワクしながら結構楽しんでました」
子育てがきっかけで広がった人間関係
移住当時、長男は0歳。その後2016年には次男が誕生し4人家族に。親や親戚が近くにいない福岡での子育てと音楽活動は、どのように両立していったのか。
和田さん「本当にいろんな人にお世話になりました。子どもが保育園に入る前はライブなどにも必ず連れて行ってましたね。私たちが出番の時にはスタッフや、時には対バンのメンバーがうちの子をおんぶしてあやしてくれたり。誰も頼れる人がいないからこそ、そこにいる誰かを頼るしかないし、『うちの子はいろんな人に育ててもらってありがたい!』と、どこか開き直っていたかもしれません(笑)」
自分のことであれば他人には頼りにくく自分で解決しがちなことも、子育てで手に負えないことは、素直に誰かに頼ることもできたという。また子どもがきっかけで、それまでの人間関係が深まったり、新たに広がることも。
和田さん「子ども達の保育園の園長先生と出会ったことは大きいですね。食へのこだわりや自然の中で遊び育てる教育方針もそうですが、親である私にとっても有難い出会いでした。私たちの場合は震災がきっかけで来たというのもあって、自分の中でもふとした時に『なんでここにいるんだろう』という焦燥感や、将来や社会に対する不安とかでネガティブになることもあったんですが、そういう気持ちを先生に話したら、自分ごととして受け止めてくれて。社会問題などにも意識が高い方で、すごく救われました」
子どもたちだけでなく、和田さんにとってもかけがかえのない出会いとなった保育園。自分ができることで返していきたいと、PTA活動や保育士の労働環境を改善する署名運動などにも関わっているという。
森との出会いが変えたものとは?
自己完結ではない“ギブファースト”の価値観
福岡で新しい人間関係を築いていく中で、和田さんが心掛けるようになったのは“ギブファースト”の姿勢だという。
和田さん「福岡には代々の土地だったり、自分の庭や畑で採れたものだったり、何かしらその人にまつわるストーリーがあるような豊かな恵みが近くにあると思いますし、その恵みをみんなで共有し合いながら繋がっているような気がして。それは人々のあり方も同じで、すごくありがたいと思います。だから、つい私の自己完結的なやり方が出そうになると『逆に甘えさせてもらおう』と気をつけたり、私にできることは歌うことくらいだけど、せめてそういう気持ちで出来ることで返したいと思っています」
移住後に始めた新しいプロジェクト
移住してからの10年で、仕事のスタイルも大きく変わった。BE THE VOICEは楽曲制作やライブだけでなく、CMや広告などの音楽も数多く手がけていて、そのほとんどは東京で依頼される仕事ばかりだった。
和田さん「移住当初は東京に通ってなんとか出来ることはやっていましたが、自分たちでもクライアントを作ればいいと思い、2015年からは『名入れソング』というプロジェクトも始めたんです」
「名入れソング」とは、「生まれてきてくれてありがとう」という気持ちを綴った曲の中に子どもの名前や生年月日、声やメッセージなどを織り込み、世界にひとつの曲を作れるサービスだ。申込んだユーザーとBE THE VOICEが直接やり取りしながら制作し、ラッピングや発送も自身で行っている。
和田さん「私たちも子育てを経験してそれをテーマにした曲も作ったりしていたので、お父さんお母さんの気持ちを歌で代弁できたらいいなと」
「良い曲だから聴いてください」と一方通行で伝えるだけでなく、音楽が持っている力を生かして聞く人と相互にコミュニケーションし、さらに仕事として成立させる。東京から離れたからこそ生まれたプロジェクトだ。
和田さん「東京にいた頃みたいにCMなどの仕事がたくさんあるわけではないし、そういう意味ではドロップアウトしちゃったのかなーと思っていた時もあったんですが、『名入れソング』で遠隔で依頼を受けて制作する方法は確立できましたし、実は最先端だったんじゃないかと(笑)」
コロナ禍で音楽業界も様変わりした今、遠隔での楽曲制作依頼も増えているという。
森に通うことでネガティブな感情から解き放たれた
BE THE VOICEのファミリーは2016年、福岡県久留米市から福岡市の郊外、油山の麓に引っ越した。現在も住んでいる自宅からは、歩いて行ける距離に森がある。
和田さん「子どもを送り出した後、よく森に行くようになりました。毎日木々と向かい合って深呼吸していると、だんだん木がキャラクターに見えて、話しかけてくれてるような気がしてきて。木とエネルギーを交換しているというか。そうすると、自分が自然の一部なんだなということを実感できたんです」
森に通い始めて心地よい毎日を過ごすうちに、和田さんの心に大きな変化が訪れたという。
和田さん「社会に対する怒りとかがずっとあってちょっと疲れていたんですけど、そこから解き放たれて広い目線で見れるようになったんです。もちろん社会の問題自体はずっと考えていかないといけないことけど、それも全部、自分を含めた地球っていう大きな細胞の中で起きていることなんだな、と」
自分は地球の一部だと思い出すこと
森に通うことで感じた気持ちから、新しい曲も誕生した。
和田さん「『猿の時代 -monkey era』という曲です。自分たちは地球の一部として生まれてきただけなんだと、そのことを思い出すことで、少し前向きになれるんじゃないかなと思っています。社会のいろいろな問題に疲れた人たちへポジティブなメッセージとして届いたら嬉しいですね」
「猿の時代 – monkey era」Song and words 和田純子 (c)BE THE VOICE
移住後の10年で変わった自分と社会の価値観
BE THE VOICEのファミリーが福岡県に移住して10年。人との関わりや仕事の変化、森との出会いは、和田さんの人生観に大きな影響をもたらした。
和田さん「経済や社会の中で生きていかざるを得ないのは変わらないけれど、自分も社会も、価値観の優先順位が変わってきている気がして。よりシンプルに、たとえば良い空気を吸って生きるとか、余裕を持って暮らすとか。やっと、それが形として自分自身も腑に落ちたし、世の中も変わってきた10年だったように思います」
頼れる人のいない移住先での暮らしは、スムーズに進むことばかりではないかもしれない。しかし、日々起こることをネガティブに捉えず、シンプルに自分の気持ちに向き合うことで、新しい人生に出会えるかもしれない。