1万分の1の奇跡

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こういった正常の範囲から逸脱した個体は、いつも僕を喜ばせる。


 このコラムの初期に書いた、カモシカの頭骨標本の収集は現在も継続中である。すでに1万4000点を超える標本が集まっており、おそらく偶蹄類の地域限定標本群としては世界最大のものになっていると思われる。これくらいたくさんあればいろいろな研究に使えそうだが、標本を作るのに手いっぱいで、なかなか調べる方向に気持ちが動かない。もはや僕は標本マシーンだ。


 カモシカの歯には多くの変異があり、作業室の流しで洗浄しているときに歯列をチラ見しながら、著しい変異の場合は収納ケースに番号を書き込んでいる。メモ書きに過ぎないが、顎の一番後ろに普通は存在しない第四大臼歯を見つけた時などは大歓喜することとなる。また、あるときテレビのインタビューに答えながらカモシカの頭骨洗いを説明していたら、「眼窩」という目玉が入る部分がなぜか片側だけ異様に巨大な個体があった。これを見つけて大喜びする僕が、リアルタイムでテレビに映ることとなった。


 こういった正常の範囲から逸脱した個体は、いつも僕を喜ばせる。思い出されるのは、標本数が1万点を突破したころに発見した個体である。いつものように袋に詰められた腐敗頭骨をバケツに移して洗おうと手に取ったところ、頭骨と頸椎がつながる「後頭顆」という部分に何やら付着しているのに気づいた。この個体では一番前の頸椎が頭骨に癒合しているようである。


 老齢個体では椎骨が部分的に癒合してしまうことがしばしばある。その手の加齢変化かと思い、洗浄を完了し、見直してみたところ、おかしいのはそれだけではない。頭骨に癒合している第一頸椎は右半分だけで、左半分は第二頸椎に癒合しているようだ。「これはおもしろい」と収納ケースにメモした。


 僕には首の骨が大好きな友達がいて、彼女の名を郡司さんという。郡司芽久さんのメインテーマはキリンの首の仕組みを調べること。キリンは非常に長い首を持つ動物だが、その中の骨の数は7つで、我々ヒトを含む多くの哺乳類と共通である。では、どんなわけでそんなに長い首の骨になってしまったのか、それを調べるために彼女は解剖を行っている。ある日、僕のところに動物園で死亡したキリンが搬入され、彼女がその解剖をしにやって来たときに、この異常なカモシカの頭骨のことを知らせた。首には興味津々の彼女、すぐに興味を持ってくれて後日標本を見せることになった。


 彼女の調査結果がまとまったのは昨年の暮れのこと。どうやらこの個体は頸椎の形成時に何らかの要因(遺伝的なものである可能性が高い)が起きて、間違ったくっつき方になってしまったものらしい。同様のケースはヒトや家畜では知られているが、野生動物では初めての症例だろうという。この結果を受けて思ったのだが、多分、似たような例はいろいろな動物でもあるのかと思う。ところが、さすがに1万点以上もの標本を集めるバカも調べる人もそういないので、見過ごされてきているのではなかろうか。我々が見出した標本はまさに1万分の1の奇跡と呼べるもので、標本をたくさん集める大切さを教えてくれる。

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