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連載 | 標本バカ

岸田久吉とモグラの分類

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岸田を知ったのは、台湾の山地に生息する新種のモグラを調べていた時だった。

2018年10月4日は20世紀の日本を代表する大博物学者・岸田久吉が逝去してから50周年となる。僕は彼のファンで、折に触れて話をすることが多い。彼は1924年に『哺乳動物図解』という本を執筆した。これは日本の哺乳類学で、最初の体系的な教科書となったものだ。日本の哺乳類学をつくった人といっても過言ない。ところが、彼ほど賛否両論が著しい研究者はいない。10年前に哺乳類学会で彼の業績を再評価する集会を企画したが、学会の重鎮が最前列に陣取り、「美化しすぎている」とのお叱りを受けたこともあった。

僕が岸田を知ったのは、かつて台湾の山地に生息する新種のモグラを調べていた時だった。このモグラを初めて採集したのは2002年11月のことで、僕はタイワンモグラの染色体を調べる目的で初の台湾に渡航した。台湾東海大学の近くにモグラのトラップを仕掛け、1晩で5個体を捕獲することに成功した僕は、共同研究者の林良恭先生から山に棲む「謎のモグラ」のことを知る。それで翌日は急遽台湾の最高峰玉山の標高2800メートルの地点に移動し、これまた見事に「謎のモグラ」を1つ捕まえた、という次第だ。

このモグラが岸田によってずっと昔に独立の種として認識されていたことがわかったのはその後の話。彼は1930年代、すでに台湾の山地に生息するモグラが、平野部の種と違うことを認識していた。そして新種記載論文を、自身が主宰する動物研究団体『蘭山会』の機関紙『ランザニア』に掲載する予定だった。ところがこの論文は各地の図書館や岸田個人の蔵書を調べても見つからない。記載を怠ってしまったようなのだ。しかし彼は数名の知人に「台湾の山に新種のモグラがいる」という事実を話していたようで、考案した学名も披露していた。それが細々と台湾の哺乳類に関する文献で取り上げられることにより、「謎のモグラ」として僕に引き継がれたのである。

これだけなら岸田を崇拝する理由にはならない。分類学者として、記載を怠るということは致命的な欠陥だ。賛否両論と書いたのは、彼がこのモグラのケースのように、新種記載においてずさんな仕事をしていたという事実による。それでも彼の先見性というのは鋭いもので、さほど大きくない島国に2種のモグラがいるということに気づいた点がすごい。さらに彼は台湾に第三のモグラが生息することを予言する記述も残している。僕の調査によると、僕が記載した山地のモグラ以外に、東西の平野部に分布するモグラの形態は明らかに同種とは思えないものだった。岸田の仮説は十分に支持できる。

そもそも岸田は哺乳類が専門というわけではなく、クモ類の分類においてより多くの業績を持つ人物だった。哺乳類が片手間であったかというと、最初に書いたように初めての日本語で書かれた哺乳類学の教科書をつくったほどの人である。いったい、どれほどの情熱をもって、動物学の研究に時間を費やしたことだろう。彼は膨大な数の動物標本を収集して形態学的な研究を行ったというが、哺乳類標本はほとんど現存しないようだ。残念なことに、彼の死後処分されてしまったのだとか。

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