蚊の話から、アリマキの話に戻りたい。アリマキとは透明に近い薄緑色をした身体に、細い手足が生えた微小昆虫である。形は人間の涙に似ているが、涙の粒よりずっと小さい。植物の茎などに集団でとりついている。アリマキは、季節のよいときは、メスがメスを産む。オスの力をまったく必要としない。メスの体内の細胞が娘をつくり出し、その娘の体内にはすでに次の娘が形づくられている。究極のマトリョーシカ人形だ。つまりこれはクローン増殖法である。パートナーを探して交尾するという面倒な手間がいらないので、爆発的に増えることができる。しかし、季節が寒くなってくると不思議なことが起きる。メスがオスを産み出すのだ。
オスは痩せていて貧相である。しかしメスにはない翅が生えている。オスの役割はどこか遠くに飛んでいって、別のメスに遺伝情報を届けることである。これによって環境の変化に備え、遺伝的なバリエーションを生み出せるようになっているのだ。オスはメスにとって、遺伝子の使い走り。これが生物学的に見たオスの本質なのである。
さて、蚊とアリマキには実は似通った特技がある。蚊がその口吻の先に特別な感覚器官を持っているのと同じく、ただし蚊が血のありかを察知するのと違って、アリマキの口吻は植物体内の甘い汁のありかを探査する。それは蚊が毛細血管を探し当てることと同様、超絶技巧といってよい。
植物体には、動物のような血管系はない。代わりに栄養素を葉から葉へ、根から茎、梢の先まで運搬・循環させるために、全身に張り巡らせた管状の輸送網を持つ。これを篩管系という。
篩管には常時、蔗糖を主成分とした、栄養素に富む甘い汁が流れている。小さなアリマキたちは、まずその手足を植物の茎の要所要所にホールドし、がっちりと三点確保をする。三点確保とは安全な山岳登坂の基本を示す用語。人間の手足4本のうち、3点でしっかり身体を支えたことを確認したうえで、残りのひとつを動かすやり方。
わたしは昔、若い頃、すこし山歩きをしていたことがあるが、ちょっと高い山に行くと森林限界を超えた上のほうはとたんに岩場になる。槍ヶ岳の穂先に登ったときもそんな感じだった。このときはこの三点確保の原則が大いに役立った。ただし、初心者の私は、3点の確保をいちいち確認したあと、ようやく最後の一本を動かすことなるので、実にゆっくりとしか登れない。登山道にたいへんな渋滞をつくってしまった。しかし安全には代えられない。上級の登山者たちはこの動作を極めてなめらかにスムーズに繰り返せる。すばらしい。
アリマキは昆虫なので計6本の手足がある。だから正確に言えば、彼らは二重の三点確保ができる。だから絶対に植物から転落することはない。その上で、尖った細い口吻を茎に差し込み静かにその先を沈めていく。その動きが止まったときが、蜜の水脈を探り当てたときである。これは蚊が血管を巧みに探り当てるのと同じだ。
ヒトの血液を採ってそれを分析すれば、その人の栄養状態や病気の予兆を分析できるのと同様、植物学者たちもまた、植物の茎を流れる篩管液を採って、植物の栄養循環の様子を見てみたいと古くから願っていた。
しかしこれは、熟練した看護師や医師が採血するのとは違って、非常に困難な手技だった。篩管は極度に細い管で、文字どおり、その断面構造は篩状になっている。しかも軟らかい。その複雑な構造と位置は、植物の茎を輪切りのスライスにして顕微鏡で観察して、ようやく判明するほどミクロの世界だ。流れているものも、赤い血ではなく、透明な糖液なので外からは見えない。血管の走行を示すような脈拍もない。植物は外部からの侵襲に極めて敏感である。もし篩管を調べようと、注射針やカミソリのようなもので茎を切開すれば、植物はそれを察知してたちどころに防衛反応が起きてしまう。代謝も変わってしまう。これでは植物の自然状態を観察することができなくなる。
植物学者たちはアリマキを心底うらやんだ。どんなに細い注射針を使ったとしても、アリマキのように、植物に悟られることなく、しかも百発百中で、篩管液を吸い取ることなど絶対にできそうもない。それができたら、どんなにか研究を進めることができるだろう。そんなとき、あるアイデアを思いついた研究者がいたのだった。