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多様性

連載 | 福岡伸一の生命浮遊

アイソトープのラベル

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 前回は「宝探し」の準備の手順を説明した。今回はその続き。DNAライブラリーに由来するコロニーが固定された"千枚漬け"(円形のナイロンフィルター)を入れたジップロック・パックに、宝物を探査するためのプローブ(短い一本鎖DNA)を混ぜ、パックの入り口をシールして密封する。
恒温器でぬるま湯(37度)をつくり、そのお風呂にジップロックを浸す。恒温器にはシェイク機能がついており、ジップロックをゆっくり左右に揺らしてくれる。ジップロックの内部のミクロの世界ではこんなことが起きている。ナイロンフィルターは、ミクロな目で見るとレースのカーテンか網戸みたいなもので、スカスカの繊維から成り立っている。その要所要所に、大腸菌由来のcDNAが貼り付いている。こららのcDNAは繊維に半永久的に固定されてしまっているのでその場から動くことはできない。
一方、あとから投入したプローブは繊維にくっつくことなく、網目のあいだを自由に泳ぎ回ることになる(自由にといっても意志の力ではなく、物理的な意味で拡散・浮遊しているということ)。そして、もしプローブが幸運にもある場所にたどり着くと、不思議なことが起こることになる。
ある場所とは、大腸菌がたまたまGP2のcDNAを菌体内に取り込み、それを増殖させ、そのコロニーが、フィルター上に写し取られた、そんな場所のことである。GP2のcDNAはいまや一本鎖DNAとなってフィルター上に貼り付いている。位置が固定されてしまっているので自分自身ではもとの二重らせんを形成することはできない。でもプローブは、GP2遺伝子の一部の情報を写し取ったものである。GP2のcDNAのどこかの部分に、プローブと相補的な遺伝子配列があるはずであり、プローブが、aagcaaggcであれば、cDNAのほうは、ttcgttccg (a-t、g-c が相補的な関係)という部分配列を持ち、両者はそこで結合を起こし、部分的な二重らせん構造をつくり出すことになる。いったん二重らせん構造が形成されると、それは安定した化学結合状態となり、ちょっとやそっとで壊れることはない。
そこで私たちは、ジップロックの千枚漬けを一昼夜、場合によってはもっと長く数日間、プローブと一緒に保温して祈ることになる。わずかなプローブでもいいので、ナイロンフィルターの星々の中から、運よく自分のパートナーとなる相補的配列を見つけ出して、そこで二重らせん結合を再生してほしいと。
その後、私たちは、ジップロックを開けて溶液を捨てる。もはや余分のプローブも必要ないので(むしろ残存しているとノイズを発生するので)、それぞれのフィルターをよく洗う。泳いでいる遊離のプローブは洗い流されてしまうが、うまく相補的配列を見つけてフィルター上で二重らせん構造を再生したプローブは強い力で結合しているので、フィルターからはずれることはない。
おもむろに、そんな風に結合したプローブがないかどうか探し出すことになる。ここまでのプロセスはすべて水溶液中のミクロな分子の化学反応として進行しているので、もちろん目では見えない。DNAもプローブも、顕微鏡を使っても見ることはできない。そこにあるのはただただ千枚漬けのカブのような白くて丸いナイロンフィルターである。
でも、ナイロンフィルターのどの場所に、プローブが結合しているか、それを可視化する方法があるのだ。
それがラジオアイソトープ技術である。ラジオアイソトープとは微弱な放射線を発しつづける能力をもつ元素のこと。天然にわずかながら存在し、人工的につくり出すこともできる。これは生物科学の研究を進めるうえで欠くことのできない画期的な手法となっている。
私たちが、この実験で用いたのはリン(P)のアイソトープだった。リンは原子番号15番、血液の中にも、細胞の中にも、食品の中にも、そしてもちろんDNAの一部としても、生命現象に広く関わっている元素である。普通のリンの質量数(元素の重さ=中性子と陽子の数)は31なのだが、質量数32のリンが存在するのである。これによってプローブがどこにたどり着いたのか可視化することができるのだ。   (次号に続く)

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