昆虫少年だった私が子どもの頃、熱心に愛読していた図鑑は『北隆館』から出ていた『世界の蝶』という豪華本だった。世界中の秀麗な蝶が美しい図版とともに網羅されている豪華本で、喉から手が出るほど欲しかったが、少年のお小遣いでは買える本ではなく、近くの公立図書館の参考図書室に通って(禁帯出のシールが貼ってあったので借り出すことはできなかったが、そこに行けばいつでも見ることができた)、飽きもせず眺めては、まだ見ることができない大型のアゲハチョウの姿にため息をついた。
この本は当時、国立科学博物館の黒沢良彦先生によって書かれていた。黒沢先生にはあるとき実際にお目にかかる機会があった。少年の質問にも親切に答えてくれる優しい昆虫学者だった。
さて、『世界の蝶』の一番最初に掲げられていた蝶は、アレキサンドラトリバネアゲハだった。世界の蝶の中でもひときわ大型で(雌のサイズは世界最大で、翅を広げると30センチ近くに達する)、雄は、輝くような青や緑に縁取られた流麗な形の翅を持つ際立った美しい種だ。私はこの蝶に死ぬほど憧れた。アレキサンドラトリバネアゲハは、パプアニューギニアの高山地帯にしか棲息しない貴重種。現在では、絶滅危惧種の採集や取引を禁じるワシントン条約のもっとも厳しいカテゴリーに入れられている。この蝶が本の最初を飾っているということは、黒沢先生もまたその美しさに魅せられていたということに違いない。
アレキサンドラトリバネアゲハの学名は、「Ornithoptera alexandrae」だった。少年の目を釘付けにしたのは、その後に記されている「Rothschild, 1907」という文字だった。学名(リンネの二名法と呼ばれる、属に種を連ねた表記法)の後に書かれているのは人の名で、それはこの種を最初に発見した人物(この生物を学会に報告した人物)であり、私にとっては限りなく名誉ある称号だった。それにしても、世界で最も美しいアレキサンドラトリバネアゲハを、世界で最初に採集した、このロスチャイルドというのはいったい誰なのだろう。
当時(私が少年時代を過ごしたのは昭和のド真ん中である)はむろん、インターネットもグーグルもない。何かを調べるには本を渉猟するしかない。私は図鑑を見るために図書館に通い詰めていたので、図書館の本が(特に書庫の本が)日本十進分類に従って整理整頓されていることを知らず知らずのうちに知っていた。自然科学の本は400番台の棚にある。そのうち動物学は480番台だった。いくつかの本を調べるうちに、このロスチャイルドは、大富豪ロスチャイルド家直系の人物、ウォルター・ロスチャイルドであることがわかった。
しかし、ロスチャイルドの家業は金融業のはず。莫大な金を、スエズ運河建設や度々の戦争のために英国国家そのものに貸し付け、その度に莫大な金利を得て、世界最強の財閥をつくり上げた。そのロスチャイルドがなぜ、アレキサンドラトリバネアゲハを発見したのだろう。
実は、ウォルターは、ロスチャイルド家の中でも特別な変わり者だった。今の言葉でいえば、“真性の昆虫オタク”である。いや、昆虫だけではない。彼の関心は、あらゆる動物、あらゆる鳥におよび、とにかく生物を蒐集することに執念を燃やしていた。少年の頃、動物の剥製を作ることに興味を覚え、それ以来、剥製や標本を集めることに傾倒した。
ウォルターにはありあまる財産があった。それを使って世界中に「採り子」(採集人)を配置し、東南アジア、アマゾンをはじめ、あらゆる場所から新しい蝶や珍しい鳥を捕らせては送らせた。それをまた剥製師や標本師を雇って蒐集品に作り替えた(動物や鳥の剥製や蝶の標本を作るにはそれなりの高度な専門技術を要する)。
アレキサンドラトリバネアゲハもウォルターの自慢の蒐集品のひとつだった。蝶があまりにも大型で、ニューギニアの空高くを羽ばたいていたため、採集者(彼の名はミークという人物であることがわかっている)は当初、それを鳥だと誤認してショットガンで撃ち落とした。なので、大英自然史博物館に今もなお保管されているアレキサンドラトリバネアゲハの最初の標本(新種を登録するときに使われる最初の標準となる標本を完模式標本と呼ぶ)には、実際に散弾による穴が開いているのだ! 私は後にそれをこの目で見学することができた。
時はまさに博物学の時代だった。