香港、椅子取りゲームの街に揉まれながら。
アジアを代表する国際都市、香港。小さな国土の中にさまざまな国籍の人間が出入りし、世界トップクラスの人口密度ということは、この微住前からも既知していたことだが、実際の香港人の生活ぶりや日本以上の家賃の高さは想像をはるかに超えていた。
微住中、香港の友人に連れられ、家を内見しに行く。
九龍城の近くの下町エリア、最寄り駅から20分は歩いたのではないだろうか。決して交通の便もよくない場所にある、薄汚れたアパート。階段なしの8階、4畳、簡易的なトイレ。驚いたことに、香港は1人暮らし用の部屋がそもそも少ないそうで、いくつかの部屋がセパレートされ貸し出されており、共通の玄関の中で、他人同士が住んでいる。東京の一等地でもなかなかない、この悪条件のお部屋の家賃は6万円ほど。そのほか、もう少し高めの物件を紹介してもらったが、少し部屋のスペースが広くなったくらいで変わらない。
その暮らしぶりは「住む」というよりは、「凌ぐ」という言葉が合う。
ある一部を除く、一般的な香港人は常に自分たちの“スペース”の確保に余念がない。
ちなみに、実際、東京で我々がイメージするような6畳、キッチン、トイレ、シャワールームなど最低限の条件が揃った物件となると、香港市内では基本的に12万円以上とのことだ。
粥屋で感じた「縄張り」。
香港はもともと中国大陸と陸続き、さらに東南アジア、インド系の移民も多く、さらにもともとイギリスの植民地でもあり、香港人以外の人種が日常にいることは当たりまえ。微住中もさまざまな人種と出くわし、街はさまざまな言語が飛び交っている。
あるお粥屋での出来事。僕は中国語(北京語)で注文をしたんだが、それまで広東語で愉快におしゃべりをしていたおばちゃんが、僕の中国語を聞くと、よそいきな態度になった気がした。
広東語という見えない「縄張り」を敷くことによって、彼女たちのコミュニティや居場所は保たれている、そんな気がしてならなかった。
蒸(群)れない関係こそ、ここ香港では居心地がいい。
アジアで始まる、「暮らしの再シャッフル」。
多種多様の人種との共存、暮らしは何も日本人にとって他人ごとではなく、近年、日本でもふとした時、ここは別の国なのではないかと勘違いしてしまうほどになっている。
オリンピックもあることで、ますます日本への来訪者も増えるなか、本気で日本で暮らしを求める「移民」も増えるのではないかと思う。
今、僕が提唱している「微住」も、その目的はこれからの自分自身の新しい関係性づくりと暮らしづくりであり、何も国内規模、日本人だけの話ではない。
微住というトライアル期間を経て、本当に自分に似合う街と暮らしを見つけたい。
こう思うのは僕だけではない。現に、ここ香港微住中も日本での暮らし、特に日本の地方での暮らしに興味を持つ人と何人も出会った。
その「移民」の受け入れや暮らしづくりこそ、ポスト・インバウンドの新しいパワーになる。
コミュニティという言葉がちょっと擦れてしまった日本で、今後香港のように群れないコミュニティと縄張りづくりをしながら、アウトサイダーを受け入れ、彼らにとっての雇用も含めた生活資源を育てていくことこそ、観光目線のインバウンドの次にある豊かな日本のまちづくりになるだろう。
そして「移民」というとどこかネガティブなイメージが強いので、その言葉に代わるポジティブな新しい名称を考えたい。