箱根駅伝「花の2区」「最終10区」鶴見・戸塚ってどんなところ?地名のルーツを調べてみました!

箱根駅伝「花の2区」「最終10区」鶴見・戸塚ってどんなところ?地名のルーツを調べてみました!

お正月の定番「箱根駅伝」。花の2区を選手たちが走ります!2区は全長23.1km。鶴見中継所から横浜駅、保土ヶ谷駅を通過し箱根駅伝最初の難関「権太坂」、戸塚の壁と呼ばれる上り坂を超えて戸塚中継所へ向かうコースです。最初の難関である権太坂をはじめ、ゴール直前の「戸塚の壁」と呼ばれる3kmの上り坂などがあることから各チームのエース級選手が集まる区間で知られています。そんな2区を担う鶴見・戸塚エリアとは一体どんなところなのでしょうか?各エリアの地名のルーツを調べてみました!選手たちが走る土地を知ってさらに箱根駅伝を楽しんじゃいましょう!

鶴見エリア


 
▲鶴見川には遊歩道があり、散歩やジョギングをする人たちに親しまれている

神奈川県横浜市の東部にある鶴見区。鶴見と呼ばれはじめたのは鎌倉時代と言われています。なぜそう呼ばれるようになったのかというと、はっきりしたことは分かっていませんが、



  1. 鶴見川で多くの鶴が見られたことから名づけられた

  2. 川の瀞み(とろみ)がつるみへと変化し呼ばれるようになった


といった説があり、瀞みとは川のふちが侵食され川の流れがゆるやかなところを指すのですが、鶴見川の大きく湾曲して川の流れがゆるやかになっている地形が瀞みそのものであることから、2番の説が一番有力ではないかと考えられています。


美しい夕陽が望める旧鶴見橋


 
▲奥に見えるのが旧鶴見橋、江戸からきた旅人の気分で歩いてみよう

地名に大きくかかわる鶴見川には、東海道を整備した際に江戸をつなぐ最初の橋として使われた「旧鶴見橋(鶴見川橋)」が架けられていることでも有名です。旧鶴見橋は、下流側に整備された橋に「鶴見橋」の名を譲る大正末期までは、鶴見橋と呼ばれていました。また、当初の名前は「海釣橋」。当時の将軍である徳川家康が川から見える鶴の群れを見て「めでたいことなので、これからはこの橋を鶴見橋と呼ぶように」と言ったことから改名されたとも言われています。(諸説あり)
この旧鶴見橋からみられる夕陽は「鶴見八景」のひとつとされ、現在でも橋の上からきれいな夕陽が見られるそう。橋周辺の景色もとてもきれいで歌川広重の浮世絵にも描かれているほどで、旧鶴見橋の近くにある「市場下町公園」には歌川広重の浮世絵が印刷された看板が立てられており、当時の景色と見比べることができます。


戸塚エリア


 
▲旧東海道整備以降、横浜市の副都心として発展を遂げてきた戸塚エリア

神奈川県横浜市18区中で最大の面積を誇る戸塚区。戸塚という地名は、戸塚区・泉区・栄区・瀬谷区の氏神様(うじがみさま)で知られる冨塚八幡宮(とみづかはちまんぐう)の境内裏山の山頂にあった富属彦命の古墳が「冨塚」と呼ばれていたことに由来すると言われています。横浜駅から徒歩15分で行ける富属彦命(とつぎひこのみこと)が祀られる冨塚古墳は全長35m、後円部径約24m、前方部前端幅約8mの前方後円墳。よく見られる墓とは違い、古墳は位の高い人がどこに安置されているか分からないように大きくつくるのが基本だったようです。


発掘調査が行われていない未知なる冨塚古墳


 
▲発掘イメージ

平成22年に横浜市埋蔵文化財センターにより行われた測量調査によって、冨塚古墳は、綱島古墳(横浜市港北区)や狛江亀塚古墳(東京都狛江市)に類似することから5世紀代後半に築造されたのではないかとの見解が出されていますが、未発掘のため本当のところは分かりません。もしかしたら歴史的に貴重な資料が埋まっているのでは!?と考古学ファンも期待を寄せているのだとか。


おわりに


地名のルーツになった場所がいまも残る鶴見・戸塚エリア。旧鶴見橋も冨塚古墳も実際に歩くことができるので、近くに行く際にはぜひ立ち寄ってみてくださいね。また、みなさんの住んでいる地域を調べると、実はここが地名のルーツだったんだ!という発見ができるかも!?


それでは引き続き、箱根駅伝を応援していきましょう!


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