微遍路のススメ〜後編〜

連載 | 田中佑典の現在、アジア微住中 | 21 微遍路のススメ〜後編〜

歩くことが“磁波”となり、ドラマが生まれる。


 福井県は、嶺北地方と嶺南地方の2つに区分され、もともと嶺北は越前国、嶺南は若狭国ということもあり、文化やまちの雰囲気、話す言葉にも違いが大きい。その境となるのが、古代から北陸道の難所と呼ばれる「木の芽峠」。越前への玄関口としてこの峠を、京の都からさまざまな歴史上のスターたちが越えてきた。信仰の深いここ福井の浄土真宗の礎を築いた僧・蓮如上人もここを通ったとされ、福井の文化や歴史を語る上で重要な場所である。


 越前から若狭へ、いよいよ微遍路もこの峠を越える日がやってきた。朝9時、峠の手前の宿場町・今庄宿を出発。この日これまで各地を微遍路した際に出会った皆さんが一緒に越えようと集まってきてくれた。微遍路では、自動車はもちろん、自転車、そして走ることでも生じない、「歩く」ことでの何かしらの“磁波”が発生し、不思議な出会いやドラマが次々起こる。それは自分でこの道を「歩いている」という“我”の感覚から「歩かせていただいている」という“恩”の感覚へという心情の変化にもつながるだろう。こうして集まってきてくださった皆さんに感謝しながら、峠越えに挑む。現在はスキー場となっているゲレンデを逆走して、峠の頂上を目指す。



 そして頂上でポツンとお暮らしの老人と出会い、「茶でも飲んでくか?」と声をかけていただいた。彼の名前は前川永運さん。この峠の番人である。なんと平家の末裔であり、現在築500年と言われる立派な茅葺き屋根の家に一人で住んでいらっしゃる。囲炉裏を囲み、熱々のお茶をいただく。戦国武将たちもここで泊まったそうで、豊臣秀吉からもらったという茶釜を見せていただいた。次元の違う貴重なお話をいくつもいただいた後、いよいよ峠を下りていく。今日は幸運にも快晴だったのでよかったが、少しでも雨が降っていたら、確実に足元をすくわれる山崖をそろりそろりと下りていく。ようやく山林を抜けた道路で一人の警備員さんを発見。道を尋ねると、話すイントネーションが完全に関西弁だ。いよいよここは若狭(嶺南)であることに気づかされる。


 そこから、さらに10キロほど敦賀市街地に向けてただひたすら歩く。いつの間にか季節は夏から秋へ。日の暮れる時間も早くなっている。敦賀市内に着いたのは、辺りがもう真っ暗な19時。峠越えをした身体に敦賀名物・屋台ラーメンのスープはとても体に染みた。


ゴールはそこになかった。2021年春の復路編へ。


 木の芽峠という大きな壁もあってか、嶺北と嶺南ではあまり同じ県という意識が薄い。私自身も嶺南には数える程度の知り合いしかもいない。そんな初見の街も多い若狭(嶺南)を微遍路していく中で、本当にありがたい助けや奇跡的な出会いや体験が数々あった。これも先述した「歩く」ことが何かしら関係しているのだと思う。残念ながらこの連載内ではその一つ一つつのエピソードをお話しすることができないが、そんな出会いと別れを繰り返しながら、まさに微住で提唱している「“一期三会”以上の関係」という言葉とおり、「また会いに行きたい、何か恩を返したい」と思うようになった。そして同時に、どこをゴールに設定すべきかも悩み始めた。結果、ゴールは地理的に合点がいく福井県と京都府の県境にある高浜町の青葉山の頂上に設定をした。


 2020年10月3日、スタートして丸1か月。目の前に美しくそびえる「若狭富士」と称される青葉山へ向かう。微遍路中、地元の新聞やテレビのおかげで、嶺北嶺南関係なく、微遍路で歩かせていただいた各地域から大勢の方がに集まってきてくださっていた。まさにこれこそが今回微遍路で成し遂げたかった、「人の道」。本当にうれしかった。


青葉山へ集まってきてくださった各地のみなさんと集合写真。また復路編で会いましょう!

 そしていよいよ登山。最後の気持ちを振り絞って……と言いたいところだが、正直なところこれをもって微遍路を終了することへの違和感のほうが大きかった。案の定、頂上に辿り着いた時、そこはゴールでもなんでもなかった。そして一緒に登ってくださった皆さんに「箱根駅伝と同じように、来春この微遍路の復路編をやらせてください」と宣言した。この微遍路の旅を通して確信したのは、この旅と同様に「地域づくり」にゴールなんてない。繰り返し繰り返し、一歩一歩育ませる。その歩みとして「微住」があるのだと。


微住の“道”はこれからまだまだ続く。


微遍路中に身につけていたアイテムは各地域で復路編まで保管してもらうことに。菅笠はなんと駅舎の展示スペースに……!