「実践人口」を増やすための合言葉が「やってこ!」である。「やってこ!」が世代を超えたつながりを生み、ローカルをおもしろくする。正社員雇用で「やってこ!」の遺伝子を増やす。
『Huuuu』という会社を立ち上げて2年半。フリーランスのライター・編集者を集めた「ギルド組織」として仕事をこなしてきたけど、ひとつの限界を感じている。職能をひとつに絞れば、案件ごとの役割でなんとか対応可能できるが、ローカル領域で「広義な編集」に興味津々な現状では、店舗運営やイベント企画だけではなく、音楽フェス出店の要望にまで応えている。
求められるのは現場力だ。他者を慮り、先んじて決断と行動に移す。この世に存在する全仕事に求められる素養とも言えるが、文化系のライター・編集者はこの手の「現場」が苦手。むしろ体育会系の中で養われるスキルなんだよな……。だったら、最初から現場力の高い地域の若手を雇用したほうが早いのかも?新しい働き方を目指してこれまで抗ってきたけど、既存の「会社」×「正社員」の仕組みはよくできた仕組みではないのか?一度、基本に立ち返る必要性があるぞ!
そこで、これまで一切考えてこなかった正社員雇用を始めることにした。前提条件は「長野を拠点とする」「全国47都道府県の取材ツアーに帯同」「ライター・編集の修業をしつつ、店舗運営やイベント企画に携わる」の3つ。東京でオフィスを構えて雇用をするつもりは一切なく、どうせなら長野で雇用したい。この時代、そのほうがクールでしょ? 実は銀行の融資関係でも雇用数を求められるし、起業促進の一環で法人税軽減の利点もある。新しい働き方の価値が広がろうとも、大きな社会システムの中では税金をより多く納めて、より多くの雇用を生む企業が、地域には必要だ。
過去の反省が肥やしになっている。
実は正社員雇用以外の教育アイデアとして「パラレル親方」という試みにチャレンジしたことがある。各チームのリーダーを親方に見立て、それぞれの弟子をパラレルにシェアしていく。案件とスキルの流動性が上がるばかりか、弟子にとっては親方ごとの異なる仕事論に触れられて収入アップ! と目論んだもののなかなかうまくいかなかった。
第一にチームとしての基盤が弱く、育成環境が整っていなかった。第二に弟子のシェア展開が機能しなかったことが挙げられる。同じ職能といえども各親方の得意ジャンルが異なるため、それこそ弟子側の柔軟なスキルがないと対応できない。また、地方と都市のテレワークが難しい理由と同様、同じ空間でリアルなコミュニケーションを数多く重ねるほうが強い。
そもそも弟子の時点で経験が浅く未熟なんだから、手塩にかけて面倒を見ないと育ちにくいのも当然だろう。愛と叱咤の機会分散は思いのほか困難を生むものだった。失敗ではないが、持続性のない仕組みは自然と疎かになることも自明なんだよな……。この反省を糧にしたから、今回の決断に至ることができた。何事もやってみないとわからない。
編集者育成のリアルな背景。
自分が正社員として雇われていた編プロ時代の経験でいえば、この世界は人材流出が激しく、給与面・労働面も楽ではない。何とか編プロに潜り込んで、修業させてもらう感覚に近いだろう。どれだけデジタルの進化があれど、人と人の間に立って滞りなく円滑に進める編集者の仕事にはやることが多い。
企画出し、アポ取り、執筆、編集、撮影……これらの多岐にわたる役割は「正社員」として日々コミュニケーションを深く重ねないと難しい。経営者にとっても、社員にとっても、あらゆる苦難と喜びを包み込んでくれる関係性は「正社員」だから担保できる側面もあるはずだ。もしや会社にとって「正社員」は魔法の言葉なのではないだろうか。
悲しい現実だが、その果てにあるのは別れだ。魔法はいつか解ける。若手の編集者は卒業の時期に悩む。経営者の悩みには目もくれず、自身の人生を考え始める。「もっと高く飛べるはず」「自分好みの自由な世界がどこかに存在するはずだ!」。正社員として培ったスキルと人脈を携えて独立・転職するのが大半なのはそういった背景にある。しかしこの循環こそが長く続く実践者育成のシステムではないだろうか?
ある程度の規模になった組織は、「魔法、正社員!」を唱えざるを得ない。新しい仕組みと概念で抗ってきたが……それだけではもう限界だ。私も経営者として次のステージへ進むために、もっと自分や仲間のやりたいことを実現するために。求人項目を記した札を天高く掲げて、唱えたいと思う。正社員、求む!