福島県南相馬市の小高区は、2011年の東日本大震災に起因する福島第一原子力発電所の事故によりすべての住民が避難し、避難指示が解除された2016年以降、住んでいた方たちが少しずつ戻ってきている町です。そのためか、町には「全員がある意味で移住者」という意識があり、故に移住者を積極的に受け入れ、町は新しい変化を見せています。そんな小高で今年10月、町に暮らす方たちが一体となって「おだか浮舟まつり」が開催されました。
4年ぶりに町をあげて開催された「おだか浮舟まつり」。
「おだか浮舟まつり」は、古くは「小高区文化祭」と呼ばれ、50年以上の歴史を持つ小高の伝統行事です。震災やコロナ禍の影響で、一時は開催が中止されたり、あるいは規模を縮小したりして開催していました。
しかし、今年は小高駅から西へ一直線にのびる小高駅前通りを使って、さまざまな露店が出店されたほか、ほかにもヒーローショーやライブ、そして地元の農業協同組合によるイベント、マルシェ、地元住民による文芸・美術作品展などさまざまな催しが開かれ、大きな賑わいを見せていました。
そのなかで、私たちの目を引いたのが、小高駅前で行われた「復活!大蛇巻き」というイベント。参加者全員で息を合わせ「大蛇巻き」と呼ばれる大きな海苔巻きをつくる催しです。小高では、1991年に約2,500人が参加し、米9俵、海苔6,000枚を使用した巨大な大蛇巻きをつくってギネスブックに挑戦した記録があります。今回はこの取り組みをリバイバルするかたちで、皆で一体となって長さ約15メートルの大蛇巻きづくりに挑戦しました。
催しのあと、参加者の方にお話を聞くことができました。
南相馬市で教員として勤められている伊藤さん(写真左奥)は、ご家族で参加されていました。始まるまでは地味なイベントになるのではないか……? と思っていたそうですが、実際にやってみると息を合わせて海苔を巻いていく過程で、隣に人がいて、同じことに取り組んでいるという強い一体感を感じられたとのことでした。
地元の原町高校からやってきた高校生4名。普段から「LLO(Live Lines Odaka)」という、高校生が小高のまちづくりを考える活動にも参加されているのだそうです。今回のイベントが今後取り組もうと考えている「高校生の視点から見た小高の観光マップ」づくりの参考になると、刺激を受けていたようでした。
移住者の視点―大切なのは腹をくくること。次の世代も見すえ、小高に根付く酒蔵を。
今回のイベントのあと、この催しの発起人である佐藤太亮さんにインタビューすることができました。佐藤さんは、小高に移住してきたのち2021年2月に酒蔵「haccoba -Craft Sake Brewery-」をオープン。日本酒の製造技術をベースにしつつも従来の日本酒とは異なるプロセスを取り入れた新しいお酒「クラフトサケ」の通販や酒蔵に併設したパブを運営しています。「復活!大蛇巻き」の催しは、2024年より小高駅舎内に「haccoba」のパブリックマーケットが開設されることのお披露目でもありました。
小高に移住し、起業してから今までの暮らしについてお話をうかがいました。
ソトコト 佐藤さんが小高に移住し、酒蔵を開こうと決めた経緯について聞かせてください。
佐藤太亮さん(以下、佐藤) もともと酒づくりをやりたいという気持ちをずっと持っていました。しかし実行に移す機会がなく、ずっと企業勤めをしていました。ある時、小高での創業支援や生活環境整備に取り組んでいる『小高ワーカーズベース」という会社の代表者である和田智行さんの記事を読む機会があり、町づくりの姿勢にすごく共感したんです。それで、小高で酒蔵をやろうと決め、会社を辞めてまずは新潟の酒蔵に弟子入りして丸1年勉強させてもらって、そして小高に移住しました。
ソトコト 移住者の方が酒蔵を始めるということで、地元の方からの反応などはどうでしたか。
佐藤 正直に言うと、私が何をしようとしていたかはあまりわかっていなかった方も多かったのではないかと思っています(笑)。ただ、「外からやってきた若者が、何かやろうとしている」のを応援してくれているのは伝わってきました。
これは、もともと小高の町が移住者に対してオープンな雰囲気を持っていることはもちろんですが、先に述べた『小高ワーカーズベース』の和田さんが町の人と移住者をつなげることで積み上げてきた信用も大きかったのだろうと思います。
ソトコト 移住にあたって生活環境の変化などで苦労したことはありますか。
佐藤 環境の変化については、もともと大学生のときにインターンで金沢に行き、会社に入ってからは神戸や大阪でも暮らし、そして新潟で酒づくりと、いろいろなところを転々としていたのであまり気になりませんでした。
また、私は田舎ならではの、全員が全員の顔や近況を知っているような密接なコミュニティのかたちも嫌いではなくて、小高に移住してきてから酒蔵を開く前の数か月、町内会に入ってすぐに隣組の組長にしてもらったんです。当時はコロナ禍の影響もあって何か特別な活動があったわけではなく回覧板を回すくらいのものでしたが、その過程で地元の方とたくさんコミュニケーションをとることができました。また、小高で暮らし始めたときにはご近所さんに名刺というか、自己紹介を書いたチラシを作ってあいさつに行ったりもしましたね。
ソトコト 積極的に地元の方とコミュニケーションを取っていったのですね。移住について、ご家族の方はどう考えられていたのでしょうか。
佐藤 移住を決めたときにはもう結婚していたのですが、妻にはそれ以前から、いずれ酒づくりの仕事をしたいと伝えていて、理解をもらっていました。ただ、妻の実家は当時26歳の若者がいきなり酒蔵を開くなんて大丈夫なのかと、少し心配だったようです。実家も家業を営んでいて、家業を営むことそのものに反対するつもりはなかったようですが、そのぶん家業の厳しさも知っているので、それで心配だったようです。これに関しては実績を積み上げて証明するしかないと思っていて、「haccoba」が徐々にメディアなどに取り上げられてきたことで、少しずつ安心してもらえてきたかなと思っています。
ソトコト 佐藤さんが、今回の「おだか浮舟まつり」で大蛇巻きのイベントをやろうと思ったのはなぜなのでしょうか。
佐藤 小高は移住者を積極的に受け入れている町です。『小高ワーカーズベース』のような窓口になってくれるところもありますし、自分と近い年齢の人たちとの交流に困ることはありません。ですが「外部から来た若い世代が小高でビジネスをやっている」というところから、もう一歩進めないかと思ったんです。昔から小高に住んでいる人と僕たちのような新しく小高にやってきた人とがそろって町を熱狂させられるような何かがないかと。それで1991年に行われたという大蛇巻きのイベントをもう1回やることで、この町に暮らす誰もが一緒になって楽しめるのではないかと考えて開催しました。
ソトコト イベントを見ていましたが、盛り上がっていましたよね。皆さん、とても楽しそうにされていました。佐藤さんのお話を聞いていると、とても高いモチベーションで小高という町に解け込もうとされていて、町の人もそれを喜んで受け入れていると感じます。この関係を築くために必要なことは何でしょうか。これから移住を考えている方へのメッセージとしてぜひ聞かせてください。
佐藤 一言で表すなら「腹をくくっているか」ということだと思います。酒蔵をやるということは、私の世代だけで終わる話ではありません。私は「haccoba」を次の世代、さらにその次の世代へと続いていくものにしたいです。だから、小高を一時のビジネスのための腰かけにするつもりもありません。そういった覚悟やエネルギーのようなものが伝わることで、「こいつは本気だ」と町の人にも少しずつ受け入れられていくのではないかと思っています。
ただ自分が移住してきて、そこで暮らして、事業を起こして……というだけでなく、子どもや孫の世代までここに根付いていくこと。その気持ちを持ってやってきて、そしてそれが伝われば、どこであってもきっと受け入れてもらえるのではないでしょうか。
先住者の声―移住してきてくれる人には「ありがとう」という気持ち。「おだか浮舟まつり」を支える地元消防団長から
「おだか浮舟まつり」を支えているのは、佐藤さんのような新しい住民の方だけではありません。地元の消防団も祭りの運営に深く携わっています。東日本大震災の前から消防団に所属し、震災の直後から復興作業に携わり、再び人が戻ってきた小高の町を見守り続けてきた、消防団長の片岡芳廣さんにもお話を聞くことができました。
ソトコト 今日1日取材をさせていただいて、この「おだか浮舟まつり」では、小高に住む皆さんが一体となって、町を盛り上げたいというムードを感じることができました。その想いは昔から小高に住んでいる人も、新しく小高にやってきた人も共通していると感じます。片岡さんから見て、小高の町の今はどのように映っていますか。
片岡芳廣さん(以下、片岡) ようやく人が戻ってきたなあ、というのが第一の感想です。東日本大震災の前は12,800人の住民登録者がいたので、現在の3,800人という数字は三分の一くらいのものですが、それでも少しずつ活気が戻ってきているなと思います。
ソトコト 今、小高に住んでいる方のなかには移住されてきた方も多くいらっしゃいます。古くから町に住んでいる方にとして、移住者がやってくることをどう思われますか。
片岡 それはもう単純にうれしい、という気持ちが大きいです。小高を選んでくれて、ありがたいと思います。そして同時に、外から人が来てくれることに甘えてはいけないとも感じます。たとえば、小高には若い人をたくさん雇えるような企業がありません。大きな病院や夜遅くまで開いているスーパーマーケットなどもありません。それを「ないものは仕方ない」で済ませるのではなく、新しい人が住みやすい町とは何かということ私たちも考えて、一緒にまちづくりをしていきたいと思っています。
取材を終えて。
『ソトコト』では、2年ほど前から何度も小高を訪れ、小高に住むたくさんの人を取材してきました。そのなかには古くからここに住んでいる人も、新しく小高に移住してきた人もいます。そんな皆さんに共通しているのは「小高を盛り上げたい!」という気持ちです。昔からの住人と、新しくやってきた人とが共通する想いを抱いているからこそ、どなたに話をうかがってもさわやかに吹く風のような、前に向かって進んでいこうという明るさ、勢いを感じます。
一度すべての人が町を去り、再び戻ってきたことで言ってみれば「全員が移住者」という、他にない個性を持つ小高での暮らしに興味がある方は、ぜひ一度現地を訪れてみてはいかがでしょうか。