今回の対談相手は、「WORK」を軸にした、まちづくり・産業振興の取り組みや新規事業のプロデュースを行う吉田亮介さん。
さまざまなフィールドでご活躍中のお二人は、2021年から「世田谷」を舞台によりよい街を目指して奔走されています。ローカルの、ローカルによる、ローカルのための取り組みだからこそ、参画する人々が自分事としてとらえ、所属の垣根を超えた共創文化が醸成され始めています。「やりたい」「あったらいいな」がカタチになる最前線にいるお二人の声に、耳を傾けてみました。
三茶ワークカンパニー株式会社共同代表。1982年、埼玉県に生まれる。東京理科大学出身。デベロッパーや経営コンサルティングなどの企業を経験し、2017年に独立。子どもの保育園をきっかけに引っ越した世田谷・三軒茶屋で2019年8月、仲間とともにコワーキングスペース「三茶WORK」をオープン。2021年より、世田谷区地域連携型ハンズオン支援事業「SETA COLOR」の企画・運営に携わる。
偶然の産物〜社会人の駆け出し〜
吉田さんは、もともと建築を学ばれていたんですよね?
吉田亮介さん(以下、吉田) はい、大学院まで建築専攻です。だから、まちづくりは関心領域のひとつにありました。
卒業して都市デザインシステム(現・UDS)に入ったんですが、リーマンショックで半年で転職せざるを得なくなって…。コンサルティング会社のシグマクシスに移って、7年半働きました。
中屋 そんなに続いたんですね。コンサルが合っていたんですか?
吉田 合っていた部分が多かったと思います。戦略チームにいたので、扱う案件の業種も多岐にわたっていました。
中屋 コンサルって、案件ごとに目的もアプローチも異なるし、多様な業界のビジネスモデルや組織開発を知れる、貴重な経験ですよね。
吉田 そうですね。色々な企業の経営課題の解決に携われる、すごい仕事だと思います。
中屋 企業のコアを深く理解して、一緒に課題解決に取り組む経験が、そのあとの仕事にも影響しているんでしょうね。
吉田 ちなみに、中屋さんはどういうキャリアパスなんでしたっけ?
中屋 スタートはアパレル会社です。「自分にはこれしかない」と思っていたバンドが解散して、ちょうどそのときに父親の病気も発覚したんです。とにかく働かないとと思って、アパレルの店舗でバイトを始めたんですよ。
なんとか社員になって店長になって、本社のマーケティングにいって、経営理念の変革プロジェクトに携わるところまで辿り着きました※。
※中屋さんのキャリアをより知りたい方は、こちら。
吉田 すごいですね、それ。
中屋 そこで色々な業種の人たちと出会って、僕の人生は一気に変わっていきました。
オフラインマーケティングの行き詰まりを感じて、大阪にいる父親の病状のこともあったし、本社が大阪にあるIT会社に転職しました。
吉田 そうだったんですね。
中屋 振り返ってみると、僕のキャリアは偶然の産物だなぁとあらためて思います。
吉田 僕も偶然でしか来ていない気がします。
中屋 今、手掛けさせていただいているものも然りです。
アカデミックな世界とも建築とも縁遠かった人生だったのに、ここ最近プラットフォームをつくることがすごく増えました。必然的に設計図を描いたり、頭の中で構造物をつくる感覚が年々強くなっています。
吉田 中屋さんが前職で携わっていたWebも、建築と似ている部分があるんじゃないかな、と思うんですよね。まず、要件や解決すべき課題があって、それを構造化してデザインや設計に落としてカタチにしていくところとか。
中屋 どこかが欠けていたら成立しないので、設計力が物を言う世界ですよね。アナリティクスなど、一見ただのデータに過ぎないものをどう組み合わせて、現場に見えるものとして落とし込んでいくのか。IT企業では、そうしたことばかりやっていました。
偶然の産物〜独立、起業、仲間〜
中屋 IT会社で働きながら、だんだん狭間に立たされるようになったんですよね。出向して色々な地域に足を運ぶようになって、ITの力だけでは解決できない課題に直面しました。
もっと包括的に地域と都市をつなぐようなことが求められているのに、会社の業務領域とはギャップがある。会社に属している以上、出向元や出向先の人間としての振る舞いから抜け出すことも難しい。個人受託を増やしながらも、課題をまるっと受けられない気持ち悪さが大きくなって、社長に相談しました。
吉田 会社で実現できるなら、退職しないんですよね。できないから、辞める。
中屋 はい。ただ、社長がすごく理解してくれて、今でも気にかけてくれています。助けているつもりで、逆にサポートしていただいているな、と感じることが多いです。
吉田 実は自分自身が支えられていることってありますよね。
中屋 起業して、忘れもしないことがあるんです。仕事を請け負ったときに「いくらでやってくれる?」と聞かれて、答えられなかったんです。
自分の単価は一体いくらなのか。個人で仕事をするなら、自分で決めなきゃいけないんですよね。はっとしました。会社の工数換算だけじゃなくて、自分自身の値決めも求められるんだ、と。
吉田 確かにそうですね。
中屋 吉田さんの独立や起業のきっかけは、何だったんですか?
吉田 経営コンサルティング会社のあとに、事業会社に転職して新規事業の立ち上げに携わる中で、新規事業はお金も含めて自分でリスクを背負って立ち上げたほうがいいかも、と思うようになったんですよね。それで、会社を辞めました。
そのとき、どんな仕事をしていこうか?と考えて、UDSに入社するきっかけにもなったコーポラティブハウスが頭に浮かびました。コーポラティブハウスって、完成した商品を買うのではなく、住む人たちが共同出資でつくるんです。みんながつくるプロセスにも参加するから、内装や間取りも自由にできるし、価格も合理的になる。完成まで時間もかかりますが、その期間で自然と住む人たちのつながりもできていく。すごくいい仕組みだと思っていました。
この仕組みをほかにも応用できないかと考えていたとき、自分自身も住んでいる三軒茶屋(以下、三茶)にワークスペースがなくて欲しかったこともあって「三茶の人たちとワークスペースをつくろう」と思うようになって、三茶WORKにつながりました。
最初は、SNSで「三茶で事務所を構えている方いませんか?」と聞いたところから始まったんです。コメント欄にUDS時代の先輩が一言「千田※」と書き込んでくれて、それで千田さんに連絡して会ってみたら「自分も三茶にコワーキングスペース欲しいと思ってたんだよ〜!」と意気投合して…。それからこんな感じで少しずつ、同じ想いをもつ三茶の仲間が増えていきました。
※三茶ワークカンパニー株式会社の共同代表のお一人、千田弘和さんのこと。共同代表は、ほか、吉田亮介さん、土屋勇太さんの3名。
「コーポラティブ」な取り組み
吉田 自分だけですべてのリスクを負うのはしんどいですが、みんなでリスクを分散しながら自分たちでつくるというのは、自分たちが住んでいる街で何かをつくるときに、意外と大事だなと感じています。
中屋 三茶WORKの組織形態は、どうなっているんですか?
吉田 共同代表は自分を含めて3人いますが、フラットに近い部分もあって、いわゆるティール組織的な要素もあると思います。
中屋 みんな自分が住んでいる三茶だからこそ、「よくしたい」という共通の思いをもっていて、三茶WORKも自分事としてとらえている。だから、お互いを信頼して相手の声に耳を傾けられるのかもしれないですね。
吉田 三茶WORKには色々な業界の人たちが集まっているから、多方面からの知恵も交わりますしね。その過程で、「やりたい」と声を挙げた人が最終的には意思決定をしているケースが多いと思います。
中屋 それぞれが主役として動いていて、三茶WORKという有機的な「場」が生まれていく。こうした在り方は、吉田さんが担当されているSETA COLORや、僕が携わっているSETAGAYA PORTとも通ずるところがあるように思います。
吉田 そうですね。今、世田谷区の方たちと仕事をやらせてもらっていて面白いと思うのは、一緒につくっていく気概をみんなが持っていること。お互いが得意な領域を尊重しながら役割分担をして、知恵を出し合いながら進めています。業務を委託/受託する関係性にとどまっていないんです。
中屋 受託業務って、「この仕様上通りにやってください」と言われて終わっちゃうことが多いですよね。その仕様に少しも遊びがないと、自分たちが請け負う必要がないかなって、たまに思うことがあって…。
でも、SETAGAYA PORTやSETA COLORでは、それぞれが主体性を発揮しながら進んでいきます。思い描いているものをカタチにしたいとき、行政が調整してくれる。そのおかげで僕たちも含めた住民たちがそれを享受できる。こうした小さな循環が生まれてきています。
ローカルだからこその「自分事」
中屋 そうした「自分事」の視点は大事だと思います。
吉田 さっき「小さな循環」の話が出ましたけど、自分たちがアクションを起こせば、暮らしに返ってくるかもしれない。「住んでいる街がちょっとでもよくなるんだったらやってみよう」って、自分事だからこそできることはありますよね。
中屋 僕は、地域の仕事をたくさんしているので、なおさら思います。どんなに地域にバリューを出せても、自分ができることは、地元にいる人たちが何かをやりたいと思えるように、仕組み化するところまでだな、と。自分のポジショニングは意識しますね。
だから、「世田谷」のプロジェクトとなれば、僕はこの街に住んでいるし、働いている。「自分の街の、自分事」という感覚は強くなりますよね。
吉田 仕事として関わりながらも、一住民である自分自身もそこにいるっていう、あまりできない体験をしている気がします。「地方創生」と言うと、すぐに都心から離れた場所を想像しがちですけど、三茶も同じローカルなんですよね。
中屋 「ローカル」という言葉に、都市に対置される、いわゆる田舎のイメージが定着してしまっていますよね。もともとの定義に立ち返れば、局所的な場所を指します。
吉田 生活圏としての「自分の街」ですよね。僕、三茶のイメージはあっても、「世田谷」だとチョット広すぎてその感覚が湧きにくいんです。
中屋 東京23区の中で、世田谷区は人口が一番多いですしね。
「世田谷」って一体なんだろうっていうことを考えるために、僕、ひたすら歩き回って、エリア間の距離感や街の雰囲気を見ていきました。全然違うんですよ。それぞれの顔がある。きっと、一人一人の半径1kmくらいの「世田谷」があるんです。
吉田 そうだと思います。
中屋 「暮らし」という視点で見てみると、そのローカルにおける課題が、浮かび上がってくるんですよ。職住近接な街だったはずだけど、「人の住む街になれているか」と考えてみると、コロナ禍で行動範囲がなおさら限られたこともあって、働ける場所が少ないな、といった悩みを抱えていたりするんですよね。
人によって異なる「世田谷」を全員が共有できるレベルにどう落とし込むか。人口も多いし難しいですが、ひとつの希望でもあります。奥が深いです。
つくりたいものをつくれる街、世の中へ
三茶WORKは、街に住んでいる人たちが、自分たちが欲しいものを出資してつくりましたけど、そういった「街にあったらいい」と思うものに賛同する人たちが投資をした先に、キャピタルゲインを得られる仕組みがあったらいいな、と思うんです。
よりよい街に向けた小さな循環には、そういった機能を設けて投資環境をもっと活性化させる必要があるのではないか、という仮説を持っています。
既存の仕組みでは上場しにくいスモールビジネスのような業態でも着実に事業が成長して、ファンが増えていった先に上場があって、最初に応援・出資した人たちも金銭的なリターンを得られてみんなで喜べるようなものをつくりたいです。
中屋 街に住む一人ひとりがつくりたいものをつくっていく。そんな街や世の中になっていくといいなと思います。
吉田 本当にそうですよね。
中屋 そのためには、面白い人たちをとにかく集めることが大事。あとは、一番難しいことだけど、持続的な事業にするために稼ぐこと。
吉田 今年の8月から、「ネイバースクール SETAGAYA」というインキュベーションプログラムが始まります。
世田谷を拠点に起業や新規事業にチャレンジする人が、プロフェッショナルや企業のサポートを受けながらビジネスプランをブラッシュアップして、最終的に街の中でピッチイベントを行って事業を立ち上げていく…というものなんですけど、反響がすごくて。説明会に続々と申し込みがあって、満員の回も出てきています※。
※その後、すべての回で満員となりました。
中屋 ないものはつくる。その姿勢がとても素敵ですね。これからも一緒に色々と手掛けていきましょう!
対談日:2022年6月24日
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【体験を開発する会社】
dot button company株式会社
写真・吉田亮介さんご提供
文・川上陽子