MENU

人々

連載 | SOTOKOTOmtu人の森

『ユニバーサルスタイル』代表取締役 初瀬勇輔

  • URLをコピーしました!

2020年に東京パラリンピックが開催されることもあり、障害者スポーツへの社会的関心が高まっている。では今、障害者の暮らしに直結する“雇用”の面では、どんな変化が起きているのだろう?自身が視覚障害者柔道の現役選手であり、「障害者の雇用を生む」ことを仕事にする、『ユニバーサルスタイル』代表取締役の初瀬勇輔さんに話を聞いた。

目次

100社落ちた就活体験が、今のベースに。

障害者雇用のコンサルティング事業に心血を注ぎながら、ある時は視覚障害者柔道の選手として、東京パラリンピック出場を目指して体を鍛え、またある時は『日本パラリンピアンズ協会』をはじめ、さまざまな障害者スポーツ団体の理事として東奔西走する。障害者の就職支援をする会社『ユニバーサルスタイル』代表取締役の初瀬勇輔さんの日々は多忙を極める。そんな初瀬さんは、障害者雇用の現状と未来をどうとらえているのか? そして、東京パラリンピックにどんな可能性を見出しているのか? 率直に聞いてみた。

はつせ・ゆうすけ●1980年、長崎県生まれ。2011年に障害者雇用を創造する会社『ユニバーサルスタイル』を立ち上げ、独立。並行して視覚障害者柔道の選手としても活躍。全日本視覚障害者柔道大会90キロ級、同81キロ級で合計10度の優勝を果たしたほか、2008年には北京パラリンピック90キロ級に出場。現在は、日本パラリンピアンズ協会や日本視覚障害者柔道連盟、全日本テコンドー協会の理事としても活躍しながら、現役選手として、2020年の東京パラリンピック出場を目指す。
はつせ・ゆうすけ●1980年、長崎県生まれ。2011年に障害者雇用を創造する会社『ユニバーサルスタイル』を立ち上げ、独立。並行して視覚障害者柔道の選手としても活躍。全日本視覚障害者柔道大会90キロ級、同81キロ級で合計10度の優勝を果たしたほか、2008年には北京パラリンピック90キロ級に出場。現在は、日本パラリンピアンズ協会や日本視覚障害者柔道連盟、全日本テコンドー協会の理事としても活躍しながら、現役選手として、2020年の東京パラリンピック出場を目指す。

ソトコト(以下S) 経営者、アスリート、各種スポーツ団体の理事……と、初瀬さんは二足のわらじどころではないほど、多方面で活躍されていますね。

初瀬勇輔(以下初瀬) 最近は本当に寝る間もないです(苦笑)。でも、パラリンピック出場は目指したい。そして、自分を求めてもらえることがあるなら、がんばりたいんですよね。視力を失った当時は1年半くらい、ひきこもりのような生活を送っていましたから。

S 今の姿からは想像もつかないです。

初瀬 19歳のとき、まず右目が若年性緑内障で見えなくなったんですが、左目で右目の視野を補えていたこともあって、その時はそこまでショックじゃなかったんですね。ただ、大学2年生の23歳で左目の視力も失った時は、さすがにどうしたらいいんだと落ち込みました。

S 23歳で完全に視力を失われたわけですか。

初瀬 正確に言うと、視野の中心部分が見えなくなった感じです。たとえば周辺の視野で「人がいるな」というのは分かっても、顔は見えません。中心が見えないと動くに動けないし、外に出るのも怖い。親身に支えてくれた友人のおかげで大学にはなんとか通えていましたが、就職活動は100社以上受けても、面接にすらほとんど呼んでもらえません。同級生たちがどんどん進路を決めていくなか、自分だけが取り残されていく感覚でした。そんな時に、友人が「高校時代にやっていた柔道を、もう一度やってみれば?」と勧めてくれたんです。

視覚障害者柔道は、相手と組んだところから始まる。健常者の柔道選手ともほぼ互角に組み合えることが特徴。
視覚障害者柔道は、相手と組んだところから始まる。健常者の柔道選手ともほぼ互角に組み合えることが特徴。

S そこで視覚障害者柔道と出合ったと。

初瀬 そうです。何かしなくちゃと思っていたので、2005年11月にすがるような気持ちで初めて視覚障害者柔道の大会に出ました。ただ、それが一番の転機になりましたね。その大会には、自分以上に重度の視覚障害者がたくさん参加していて、結婚して子どもがいる人もいれば、仕事をバリバリしている人もいる。そうした仲間ができて一人じゃなくなったのは、本当に大きかったです。08年の北京パラリンピックに出場できたのも、その大会で優勝できたことがきっかけになりましたしね。

S 周囲に支えられながら、自ら行動を起こしたことで、道が切り拓けたわけですね。

初瀬 就職活動の苦い経験も、100社以上落ちたことで「障害者の仕事や雇用をつくる仕事がしたい」と考えるようになりましたし、ようやく内定を貰えた会社は大手人材派遣会社グループで、障害者向けの人材紹介サービスも手掛けていたんですよね。それが僕の今の仕事の基礎にもなっていますから、ポジティブに動き続ければ、人生はいい方向に転がっていくんだなって思います。

障害者雇用のイメージを変えたい。

S その後、2011年に障害者雇用コンサルティングを行う会社『ユニバーサルスタイル』を設立されました。どのような事業を展開されているのでしょうか?

初瀬 主なミッションは、障害者と企業との橋渡しですね。現在、当社に登録している障害者の方が300人くらいいて、年間10〜20人ほどの雇用のお手伝いをしています。ブラジル・リオのパラリンピックに出場した選手の中にも、私の会社がサポートした方が5人ほどいて、2人はメダリストになりました。

S 政府発表の「平成28年度障害者白書」によると、障害者の雇用者数は12年連続で過去最高を更新。約45万人の障害者雇用が生まれている、とされていますが、実際の現場はいかがでしょうか?

初瀬 数字に表れているとおり、確実に進んでいると思います。以前は障害者雇用率に含まれていなかった精神障害も、現在は含まれるようになりましたし、新たに取り組んでいこうという企業も増えている印象です。ただ、障害者全体の総数は約860万人といわれていますし、課題はまだまだ多いです。

S 企業が抱えがちな課題には、どんなものがありますか?

初瀬 一つあるのは、“障害者”と聞いたとき
に、多くの方が「知的障害」と結びつけることです。それで、“障害者雇用”となると、知的障害者に単純作業をしてもらうのだろうな、と。ただ、知的障害者は、全体の中で74万人くらいなので、それほど多いわけではないんです。本当は一人ひとり障害も、性格も、能力も、できることもまったく違うのに、ワンパターンのイメージを持たれがちなんですよね。

初瀬さんは大正大学で現役の部員への指導も行っている。
初瀬さんは大正大学で現役の部員への指導も行っている。

S 障害者雇用=単純作業と想像する人は、たしかに多いかもしれません。

初瀬 たとえば、心臓ペースメーカーを入れている人も、障害者手帳を持っています。じゃあ、営業や総務の一般社員がペースメーカーを入れたら、その人たちの仕事を単純作業にするのか? もちろん、そうはならないですよね。働き方を工夫しながら、無理のない範囲で普通に働いてもらうことになりますよね。

S 障害者だからこの仕事、ではなく、一人ひとりに合った仕事をお願いすればいいと。

初瀬 企業には、雇用する労働者の2.0パーセントに相当する障害者を雇用することが法律で義務付けられており、その雇用を生み出すために仕事をつくるというケースが多いのですが、「うちのオフィスはスロープがあるから、車いすの人も同じ仕事で問題ないよね」「この作業なら音声入力ソフトを入れれば、視覚障害の人にもお願いできるね」と、職場の環境や仕事内容に合わせて、柔軟な障害者雇用が進んでいくようにアドバイスや講演を行うことも、今は大切な仕事になっています。

アスリートの活躍が、雇用に風穴を開ける。

S 初瀬さんは、障害者雇用が進むことで、社会にどのような変化が生まれると思いますか?

初瀬 ひとりの障害者雇用がきっかけで、企業のなかでの障害者・健常者に対する認識がフラットになるケースはとても多いです。たとえば、ある福利厚生サービスの企業に対して、社員向けのマッサージルームのスタッフとしてマッサージの資格を持った視覚障害者を紹介したことがあるんですね。その企業では初めての障害者雇用だったんですが、マッサージルームの稼働率が毎月8〜9割に上るほど大人気になりまして。

S 稼働率9割とは大忙しですね。

初瀬 その視覚障害者の活躍やパーソナリティをとおして、障害者への垣根がなくなり、その企業ではもう一人、事務職で、行政書士の資格を持った視覚障害者が活躍するようになりました。先日その職場を訪ねたら、面倒見のよさそうな先輩から「彼がいないと仕事が回らない」と評価されつつ、「彼女もつくって、プライベートも充実させなくちゃダメだぞ」と、冗談交じりで盛り上がっていて、本当によかったなと。障害があると、彼女のこととか、軽い会話で盛り上がることもなかなかないので。

視覚障害者柔道の強化選手で行われた合宿の様子。
視覚障害者柔道の強化選手で行われた合宿の様子。

S 障害の有無とは関係のない人間関係が育まれているんですね。

初瀬 障害者が社会に出てお金を稼げば、当然外で遊んだり、デートをしたり、友達とご飯を食べに出かける機会も増えます。そうなると、「渋谷に車いすの人が増えたね」「この段差、危ないんじゃない?」といった、みんなが住みやすい街づくりの議論が生まれ、バリアフリーやユニバーサルデザインもいっそう広がっていくんじゃないかと思います。

今、パラリンピックを目指す選手を企業が“プロ・アスリート”のような形で雇用するケースも増えています。企業にとっては、選手の活躍がPRになるという思惑がありますが、僕はそれでいいと思っています。上を目指す選手のなかには、周囲と積極的にコミュニケーションをとる人も多いですから、そうした触れ合いが障害者雇用に風穴を開けるきっかけや、社会を変えるパワーを生むのではないかと期待しています。

S 2020年の東京パラリンピックが、障害者雇用の拡大や浸透にもつながっていくと。

初瀬 障害がある人をこんなにテレビやニュースで観る時代って、日本では初めてだと思うんです。昔のパラリンピックの映像を観ると分かるんですが、昔は選手の顔のアップばかりなんですね。手や足など失った部位を映さないようにしていたらしいのです。

S 今とは大きく違いますね。

初瀬 そう、今はもう完全にスポーツとして観られています。義足のアスリートが走り幅跳びで新記録を出すのを観て感動する、という感覚です。日常でそんなシーンを観る機会が増えると、それが普通になってきます。まさにインクルーシヴになってきたな、ダイバーシティが広がってきたなという印象です。これがもっともっと進み、だれもが暮らしやすい街を、2020年以降のレガシーとして残し、世界に見せていきたいですね。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね
  • URLをコピーしました!

関連記事