アフリカ・コンゴ民主共和国の女性たちが商品一点一点を手作りするファッションブランド『Ay(アイ)』を立ち上げ、現地の雇用創出や教育支援にもつなげていくビジネスに取り組む村上采さん。まだ現役の大学生だ。思い立ったら即行動し、今年からはアフリカ以外にも足場を広げる。そのスピード感に本人が一番驚きながら、爽快に進んでいく。
「ストーリー」で買ってくれても、続かない。
群馬県伊勢崎市出身の村上采さんは、高校1年の時に交換留学でアメリカ・ミネソタ州の現地校へ1年間通った。しかし、英語で苦労し、友達ができない辛い学校生活。また、世界各国から留学生を受け入れていたその高校では、国籍による“ヒエラルキー”も感じた。「ヨーロッパ人を好意的に受け止め、黒人や中南米系、アジア人は下に見られているように感じました」と村上さん。
ただ、南アフリカ共和国から来た同じ留学生の友人は明るく、周囲をハッピーな気持ちにする人気者となり、一人になりがちだった村上さんに声をかけてくれるやさしさもあった。“人間味”あふれるその南アフリカの友人との出会いがきっかけでアフリカに興味を抱き、大学進学ではアフリカ研究を志して慶應義塾大学に進学。大学2年の時、コンゴ民主共和国(以下コンゴ。なお、コンゴ民主共和国の西側には「コンゴ共和国」という別の国もある)と日本の持続可能な発展というビジョンを掲げ、コンゴで教育支援などに取り組んでいた長谷部葉子研究会に入り、現地での体験を経て、自身のアパレルブランド『Ay』を立ち上げるに至った。
ソトコト(以下S) コンゴとの関わりをどのように持ち始めたのでしょうか?
村上采(以下村上) 長谷部葉子研究会では、現地の人との“協働”を通じた持続可能な社会の発展を目標にして小学校建設・運営などを行ってきました。(慶應)大学では毎年夏に「七夕祭」があり、私は研究会に所属した2年生の時にコンゴの女性たちが作った服を売るプロジェクトで出店しました。でも、終わってみると素直に喜べない気持ちがありました。服を作った女性たちに売り上げは全額渡されますが、売り手の学生側はボランティアでリターンはなく、プロジェクト参加のためにコンゴへ渡航する費用も自己負担。商品が売れることでもちろん満足感はありますが、これが持続可能なかたちで続けられるのか、現地の人のためになることなのかと、疑問が生じました。
また、商品の服も日本の若者の好みからするとデザインには改良の余地があり、価格はTシャツ1枚が4000円くらい。「コンゴの女性たちが作った」というストーリーに惹かれて買ってくれても、日常生活でその服を本当に着るかどうかは分からない。買う日本人が“上”で、買ってもらうコンゴは“下”という支援のような位置付けで、一度買ったらおしまいとなるのはサスティナブルな行為ではないと思い、ファッションが好きな私には納得できない思いが残りました。ビジネスとして対等なかたちで売買ができたらいいのにと思い始めました。
明日の生活を考えるコンゴで、必要なこと。
S 初めてコンゴに行った時、どんな体験をしましたか?
村上 2019年3月に初めて現地に行き、コンゴと日本との文化交流拠点で、私は着物のワークショップを実施しました。私の出身地は「伊勢崎銘仙」という絹織物の産地でしたが、高齢化などを理由に技術が衰退しています。そんな背景も含めて出身地の文化を知ってほしいと、着物について説明し、実際に着てもらいました。10人ほどに楽しんでもらいましたが、着物を来た瞬間、笑顔になるコンゴの人を見て感動しました。ただ、その一方でそれでよかったのかという考えも浮かびました。
最貧国の一つに数えられるコンゴの人々は明日をどう生きるのか、明日の生活のことを日々考える暮らしです。基本的な生活は保障され、10年先を心配する日本人とは違います。単発の日本文化の体験イベントでは彼らの参加の動機にはなりません。約1か月のコンゴ滞在中に、この先も継続していけるもの、コンゴの人の特技を取り入れたビジネスにつながることをやるべきだという考えに変わりました。
コンゴでは服のオーダーメイドができるので、もともと自分用に作ろうと思っていたのですが、自分のポケットマネーで40着を作ってもらうことにしました。研究会でつながりがある、職業訓練や小学校運営を行うNGO『APROFED』に所属する女性たちにお願いして、その女性たちと一緒にデザインやサイズについて相談をしながら製作しました。
帰国後、東京の商業施設などで販売したところ、価格を見直し、「七夕祭」で販売した服よりも高額になりましたが、ほぼ完売できました。考えずにすぐ行動する性格なんです。
S 次にどんな行動を起こしたのでしょうか?
村上 洋裁を学んだ友人が仲間になり、一緒にパターンを起こして、より日本人が着やすいデザインを目指すことにしました。そもそもコンゴにはパターンが存在しないのです……。
そして、19年10月から約1か月、再び現地に滞在し、本格的に商品となる服の生産を開始することにしました。到着してすぐに、まずはローカルマーケットに3日間通って、布選びから始めました。
今度は『APRO
FED』に加えて、コンゴの若者6人の起業家チーム『B-wings』にも製作を依頼しました。彼らは大学を出てもその学びを活かせる職に就けない経験をし、自分たちでビジネスを生み出そうと結成されたチームです。
チーム内でマネージャー、会計など役割を分担し、縫う工程は外に依頼してビジネスを動かしています。
S 服のデザインなども変わりましたか?
村上 『B-wings』のメンバーは私と同世代で、ファッションセンスもすごくいい。「ビスチェ」と呼ばれるトップスを作ってもらった時に、「これはダサいから」と言ってパターンどおりに縫ってもらえず、勝手にアレンジされたこともありました。でもそれが意外といい感じだったので、そのアイデアを採用しました。
帰国後に「秋冬物」として販売したのですが、「デザインがスタイリッシュでいい」と若い人に受けがとてもよく、コンゴの若者のセンスが認められたようでうれしかったです。また、斜めがけのバッグも作りましたが、「サイズがよくてポケットも便利」と、いいフィードバックをもらうことができました。
S その滞在中はほかになにを?
村上 コンゴの小学校には美術の授業がないところも多いのです。そこで、教育支援として子ども向けにアートのワークショップを実施しました。私自身が昔から絵を描くことが好きだったからです。幼稚園児から小学校3・4年生まで288人が参加することになって、日本から持参した画用紙や絵の具では足りず、現地でも画材を調達しました。
ワークショップでは、絵の具で2色以上を混ぜるとどんな色になるのかを体感してもらったり、好きなものを描いて自己表現をしてもらう時間にしました。ただ、お手本と同じ絵を描く子どもも多かったです。コンゴでは「先生が絶対」という文化があり、教員に対し生徒は萎縮して自分たちの思いを抑えつけ、自分を表現する場が限られています。いろいろなことが発見できましたし、アートが持つ力のすごさも感じました。
S アパレルブランドを立ち上げ、楽しさを感じるときは?
村上 コンゴ人とディスカッションを重ねて、服が完成した時はうれしいですね。私には日本に対する帰属意識があって、この取り組みを日本にも還元しないと一方的なものになってしまうとも考えています。コンゴの若者には職をつくり出そうとするパッションがありますが、日本人はレールが敷かれていることを当たり前と感じてしまう。だから、日本の若者が社会問題に積極的ではない現状を変えていきたいと思っています。
今、このブランドで起業しようと思っていることが私の中での一番の変化です。みんなを巻き込んでいる責任があるし、コンゴに守りたい人たちが大勢います。そのためには利益を出していく必要があります。また、今年からはコンゴ以外の国でも服の生産をしていこうと考えています。
大学を出ても就職できず、先の生活が見えないコンゴの人の決断や行動は早いし、そんな中でブランドが成長するには、自分自身で勝負しなくてはいけない。自分にどれだけ人を惹きつける魅力があるかが重要だと感じています。