高齢者や障害者が介護や介助を受けながら、安心して旅を楽しめる。そんな民宿をオープンした榎本峰子さんと仲間のレンジャーたち。多様な人々の交流の場になろうとしている『旅の途中』を訪ねました!
介護を必要としている高齢者や障害者の、旅の喜びをサポートしたい。
「場所、あるよ」と、仲間の応援で民宿を開業。
榎本峰子さんは、20年近く勤めた高齢者デイサービス施設を辞め、徳島県阿波市吉野町に民宿『旅の途中』をオープンさせた。その理由は、何ごともあきらめざるを得ない高齢者や障害者、その家族を大勢見てきたからだ。「旅行もそうです。重度の障害に対応できる介助を備えた宿はほとんどなく、 旅先での体調の急変も心配です。また、認知症の高齢者は旅先でも目が離せず、家族は旅行なのに気が休まりません。楽しめたとしても、認知症です。旅に出たことすら忘れてしまいます。『だったら、最初から行かないほうがいい』と、あきらめざるを得ないのです」と榎本さんは言う。「でも認知症の家族の方は、本人が亡くなった後に必ず後悔されます。『行きたかったところを旅して、おいしいものを食べさせてあげればよかった』と。そんな家族のためにも、高齢者と障害者をサポートする旅館をつくりたいと、施設を辞め、起業したのです」。
夜勤のとき、施設のテレビのCMで目にした女性起業塾の連絡先を、急いでメモしていた榎本さん。徳島市内のその起業塾に半年間通い、起業のイロハを学び、紹介された人脈を生かし、旅館設立のために奔走した。ただ、旅館を建てようにも、肝心の土地が手に入らない。一から建てると億単位の借金を背負うこともわかった。悩んだ榎本さんは、知人の金岡重則さんが主宰している『介護阿呆の会』でそれを発表。すると、「場所、あるよ」と金岡さん。榎本さんは目を丸くして驚いた。「それが、この民家なのです」。今、『旅の途中』として営業しているこの家は金岡さんの家で、以前、宅老所『生き活き家』という地域密着型通所介護施設を運営していたが、移転したために空き家になっていた。その建物を、金岡さんは格安の家賃で榎本さんに貸したのだ。
ただ、民宿だけで生計を立てるのは難しく、吉野川市に就労継続支援B型事業所『ゆいたび』を開設し、夫の真大さんと二人で経営。それを生計のベースとした。しかし、いざ民宿を始めようとすると課題が山積で、力不足を感じた榎本さん。『介護阿呆の会』の仲間に声をかけ、『旅の途中』のコンセプトを説明し、協力を求めた。「みんながやりたいことができる?」「福祉施設のような制度はない?」「僕らが楽しめる場だよね?」と 聞かれ、「もちろん」と答えた榎本さん。「じゃあ、やろう!」と6人がレンジャーとなって『旅の途中』を立ち上げた。「みんながいたからできたこと」と、榎本さんは仲間の存在に感謝する。建物のリノベーション費用はクラウドファンディングで募り、164万円以上が集まった。その支援金で浴室やトイレ、部屋の一部をリノベーションした。6人のレンジャーそれぞれが、DIYやIT、電気工事など得意技を発揮して、困ったときは助け合い、『旅の途中』をつくり上げていった。
そうして、2019年4月にオープンした『旅の途中』。ただ、宿泊施設の経営についてはレンジャーの誰もが未経験だったので、いきなり大々的にPRするのではなく、口コミでゆっくりと宿泊者を募っていこうと、建物や庭を使ってイベントを開催。参加者に『旅の途中』の趣旨を伝えながら、徐々に宿泊客を増やしていった。
福祉の本質とは何だろう。あきらめる世の中から、選択できる世の中へ。
私がしたかったのはこれ。本音を言える交流の場。
オープンして1年。『旅の途中』を定宿にしている女性客もいる。徳島県内在住の四肢麻痺の女性だ。すでに4回も宿泊しているが、2回目に泊まったとき、榎本さんは妊娠中だったので女性の介助ができそうになかった。そこで、SNSで「誰か手伝って!」と発信すると、「私、行きます!」と埼玉県の介護老人保健施設で働く加藤沙季さんから返信が。大きなリュックを背負って、加藤さんは笑顔で『旅の途中』にやってきた。
レンジャーたちも集まり、夜は女性客と加藤さんを交えた飲み会に。そこで、加藤さんが仕事の悩みを打ち明けた。「慢性的な人手不足のため、現場で利用者と関わる時間がありません。事務処理に追われる日々で、もう辞めようかな」と。レンジャーたちが自分の経験や考えを加藤さんにアドバイスするなか、車椅子に座って聞いていた女性客が口を開いた。「私には生まれながらの障害があり、ずっと人の手を借りて生きてきました。これから先も。あなたのような介護者が辞めたら、私はどうすればいいのですか?同じ思いの人があなたのそばにもいるはず。お願い、辞めないで」と声を上げた。加藤さんもレンジャーも、その言葉に涙を流した。翌朝、加藤さんは女性客とハグをして、笑顔で帰っていった。「私がしたかったのはこれ。介護する人と受ける人が本音で話し合うことで、元気になれる宿。思いのある従事者に辞めてほしくありませんから」。
さらに榎本さん
は、企業と障害者のマッチングも行うつもりだ。「障害者を雇用する企業は増えていますが、フォローがないことも多く、障害者は満足に働けない環境に置かれています。障害によってどんなフォローが必要になるのか、自分の特性を理解してもらえないまま辞めてしまう障害者も少なくありません」と榎本さん。「障害者の本音を吐露してもらい、悩みや要望を企業に伝え、どんな対応が必要か、私たち介護のプロがアドバイスする。そんな、企業と障害者のマッチングを始めたいと思っています」。SDGsが目指す「誰一人取り残さない」環境を職場でつくるサポートを行う。
榎本さんが福祉に興味を持ったのは小学4年生のとき。「ダウン症の女の子が廊下で男子にいじめられていたので注意しようとしたら、その子のクラスの男子が数人、バーッと廊下に出てきて、『ちーちゃんをいじめるな!』と守ったのです。それを目にしたことが、福祉の世界に入る原体験の一つです」と振り返る。そんな話が、大人の社会でも聞かれるようになるには、「福祉を堅苦しく考えないこと」と榎本さん。「障害者や高齢者の暮らしぶりが常日頃から見えるようにすれば、障害者に対する偏見はなくなる。あきらめることはなく、互いに寄り合うことで、壁のない社会を築きたいです」。『旅の途中』も、互いの心が見えるようにする場。一般の人にも、ぜひ宿泊してほしい。障害者や高齢者と交流することで、理解を深めることだできるに違いない。
専門の知識を持った、頼もしいレンジャーのメンバー紹介!
篠原一志さん
高齢者・障害者限定の『つきそいがある福祉タクシー』を運営。『旅の途中』の宿泊客の送迎も行っている。「親御さんが宿まで付き添われ、一人で宿泊された20歳の男性客を『天然温泉御所の郷』にお連れし、僕も一緒に入りました。自閉症のためひと言も会話はありませんでしたが、きっと喜んでくださったと思います」と笑顔で話す。
金岡重則さん
宅老所『生き活き家』代表。DIYが得意なので、『旅の途中』のリノベーションを、ボランティアで一手に引き受けた。四肢麻痺の小畑さんがイベント「マチ★アソビ」で徳島県にきたとき、3泊の最終日に入浴を勧め、介助。さらに、「今度とまりに来られたときのために、小畑さんが湯船に入りやすいように改良しました」と話す。
瀧潤一さん
児童発達支援や放課後等デイサービスを行う『児童デイ ワンハート』を運営する『ワンハート』の代表。『旅の途中』のイベントのチラシやポスター、ウェブサイトも制作中。「『児童デイ ワンハート』を利用する発達障害のある子どもたちが、地域で自立して生活するための練習になれば」と、『旅の途中』でのイベント企画に意欲を見せる。
谷合美樹也さん
就労継続支援B型事業所『ゆいたび』スタッフ。「『ゆいたび』の施設外就労の場として『旅の途中』と契約しています。日中に利用者と『旅の途中』に来て、清掃やリネン交換、アイロンがけなどを行っています」。そして、レンジャーとして宿泊客を介助することで、「多様な障害のある方が来られ、私の勉強にもなります」と話す。
榎本真大さん
就労継続支援B型事業所『ゆいたび』管理者で峰子さんの夫。「人手不足の今、障害者施設の利用者はスタッフとゆっくり話す時間がありません。でも、『旅の途中』ではゆっくりと話すことができます。誰かと1時間話すだけでも、当事者にとっては非日常のうれしいこと。施設にはない豊かな時間を味わってほしいです」と話す。
佐古利恵さん
宅老所『生き活き家』スタッフ。最近、レンジャーになり、宿泊客の食事をつくっている。「成人した娘は自閉症でした。大変なこともありましたが、子どもを育ててきた親としての経験を生かし、同じような子どもを持つ親のおしゃべり会を『旅の途中』で開きたいです。ここのことを知ってもらえるし、親のつながりもできるし」と笑顔で話す。
榎本峰子さん
『旅の途中』代表。「福祉業界は制度でがんじがらめ。日々、行政に提出する書類づくりに追われ、矛盾や本末転倒なことに頭を悩ませます。でも、宿泊施設にはそれがありません。だから、とても楽しいです!小さな民宿ならではのよさを生かしながら、いつかは高齢者・障害者に特化した旅館の女将になるために勉強を続けます」。