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詩人・向坂くじらさん、 『国語教室 ことぱ舎』を開く。
詩人として言葉に向き合ってきた向坂くじらさんが、国語教室を始めた。そこでは“寺子屋”のように生徒一人ひとりに寄り添い、学びを深めている。
目次
生徒一人ひとりのペースに合わせた国語教室。
2022年2月、詩人の向坂くじらさんが、埼玉県桶川市にある自宅の一室で『国語教室 ことぱ舎』を始めた。「国語を専門とした少人数制寺子屋形式の学習塾」を謳っている。取材の日の夕方5時少し前、『ことぱ舎』にやってきたのは、生徒の樽井咲和さん。小学6年生だ。玄関のすぐ隣の部屋が教室で、長い机に2つ椅子を並べ、先生と生徒が隣り合って座り、勉強する。まさに「寺子屋」のような雰囲気だ。1回の授業はおよそ2時間。樽井さんは持参したドリルを開いて、わからないところを向坂さんに聞いたり、問題を解いたり。その後は、途中になっていた作文の続きを書く。教室の感想を聞くと「私がわかるまで教えてくれるから楽しい」と少しはにかんだ笑顔で答えてくれた。
『ことぱ舎』につながる2つの経験。
もともと、向坂さんは詩人として詩のワークショップや出張授業を行っていた。学生時代に、大阪市西成区にある『釜ヶ崎芸術大学』で日雇い労働者や路上生活者など、詩を書いたことのない人たちと一緒に詩を書くという活動をしていた上田假奈代さんの活動に強く影響を受け、国内外で詩のワークショップに取り組むようになった。対象は幅広く、未就学児から大人まで。人数もさまざまで1人の時もあれば、約400人と対したこともあった。共通していたのは、その時その場で出会った人たちと、詩をつくる時間を共有するという点だった。
「この経験はとてもおもしろかったのですが、参加者との関係は1回限りのもの。継続的な関係を持てる場所をつくりたい、という気持ちが強くなっていきました」
向坂さんがそう考えるようになったきっかけの一つが、東京・中野区の新井薬師寺近くにあった『しょぼい喫茶店』で、週1回、間借りして店主をやっていたことだった。毎週、同じ曜日に決まった場所にいると、自然に常連さんもできて、なかにはふと打ち明け話をしたり、お客さん同士で会話が生まれたり……。「会う回数を単純に重ねていくことで、お互いの間に何か生まれるものがありました。何よりも出てくる言葉が変わってきて、重要な物を見た気がしました」。
もう一つ、教室の開設につながったのが、あるワークショップでの一人の女の子との出会いだった。彼女は不登校の小学4年生で、学校に行っていないことで、漢字が読めず、書き順がわからないことに劣等感を持っている様子。自分にも自信がなさそうだった。
「タブレットで読み方を教えたりしたのですが、そのときに感じたのは、その場にいる彼女にとって必要だったのは、詩を教わったり、想像性を伸ばすことよりも、漢字の読み方や書き方だったのではないか、ということでした。勉強することは、やはりとても大切なことなんです。勉強することによってさまざまな知識が身につき、いろいろなことがわかってきます。すると、自分にも自信がもてるようになります。また、知識があることで、それを自由に応用し、活用していく創造的な力を得ることができるのです」
この2つの経験を通して、向坂さんのなかで「これまでは違う活動ととらえていた、国語を教えることとワークショップでやっていることを、継続する関係のなかでつなげられるのではないか。国語教育と詩をつくることをつなげたい」という思いが生まれ、それが、『ことぱ舎』につながった。
「寺子屋形式」で、生徒の自学自習を見守る。
教室を始めるにあたり、向坂さんが選んだのは「寺子屋形式」。基本は生徒の自学自習で、向坂さんはそれを見ながら教えたり、サポートしたりしている。冒頭の教室の様子はまさにそれで、生徒の自主性ややる気を大切にしながら、先生と生徒がコミュニケーションをとって授業が行われていた。
教室をこのスタイルにしたのは「自分が通っていた塾の影響」だ、と向坂さんは言う。「大人になってからわかったのですが、私には発達障害があって学校の授業を聞くことがとても苦手でした。授業を聞いて、宿題をやって、テストに答えてという勉強の仕方に馴染めず、成績も悪かったんです。ただ、高校2年生で入った塾が寺子屋形式で、一人ひとりのペースに合わせて、その人が理解できるように指導をしてくれました」。
その塾で、わからなかった勉強がわかるようになり、勉強は楽しいという感覚を味わった。その経験を自分の教室の生徒にも知ってほしい、と向坂さんは考えた。
「主語と述語の関係を見ようね、この漢字の成り立ちはこうだよ、『が』と『は』はどう使い分けるの、といった文法など、文章の読解や作文に必要な知識は教えます。ただ、それよりも勉強や国語を嫌いにならずに続けてほしいと思っています。作文でも大切にしているのは生徒自身の『書きたい気持ち』。ですから作文では、テーマに沿って最後まで書ききることを最初の目標にしています。最初に細かい文法の指導をすると、書きたい気持ちを邪魔してしまうので、それはあまりやりません」
そんな向坂さんの指導が合っていたのか、作文に苦手意識があった樽井さんは、自分から時事作文コンクールに応募。優秀賞を受賞した。そう話す向坂さんのうれしそうな笑顔も印象的だった。
教室を開いて1年弱。国語教育と詩をつなぐ活動は、まだ具体的な形にはなっていないという。そんななか、樽井さんが問題集をやっている横で、向坂さんも詩を考えることもあるそうだ。教室の本棚にも参考書などと一緒に詩集もあり、樽井さんが興味を示すこともある。「いつでも読める、いつでも書ける、そんな身近な距離に詩があることを心がけています。(樽井さんは)私の詩の朗読会にも来てくれたので、すこしは興味を持ってくれているのかな。詩でも作文でもそうですが、自由に書くということは思ったよりも難しい。自分の中から出てきた言葉だと思っても、これまで見たり、読んだりした誰かの言葉に引っ張られていることが存外多いんです。誰かの言葉を藉りずに、自分の感じたこと、書きたいことを言葉で表現するためには、たくさん学び、考え、読む必要があります。国語の勉強と自由な表現は地続きにあると思います。そういうことを、この教室で伝えていきたいと思っています」。
詩人・向坂くじらさんが今、気になるコンテンツ。
Book 基礎日本語辞典|森田良行著、KADOKAWA刊
言葉の意味を調べる大切な一冊です。普段使っていて、知っているつもりの言葉でも、あらためてこの辞書を引くと、気づかされることがあります。教室の生徒さんと一緒に読むのも楽しいですし、趣味としても読む辞書です。
Book ブルースだってただの唄|藤本和子著、朝日新聞社刊
アメリカで生きる黒人女性たちのライフヒストリーの聞き書きです。古本屋で偶然見つけて買ってみたのですが、彼女たちの人生の苦しみの奥深くまで切り込み、その感情を言葉にしている内容に引き込まれました。
Website 白ごはん.com
とても信頼し、尊敬しているレシピサイトです。料理のプロの知恵と、家庭での調理のしやすさがいい具合に融合。レシピの文章もていねいでわかりやすく、料理を盛り付ける器へのこだわりもある。美学を感じます。
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photographs by Mao Yamamoto text by Reiko Hisashima
記事は雑誌ソトコト2023年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。