荻野隼一さんの拠点は、北海道の玄関口・新千歳空港からクルマで約40分のところに位置する夕張郡栗山町。農業のかたわら、ファッションブランド『ogiiinuts(をぎーなっつ)』をはじめ、仲間たちとさまざまな取り組みを行う荻野さんが見据える、農業や地域の未来などについてお聞きします。
金髪、ピアス、個性豊かなファッション。荻野さんの風貌は印象的だ。肩書は「農家アーティスト」。そして「農家」なのだが、現在の荻野さんの活動は実に多彩。その一端を、まずは少し紹介する。
右上/撮影時、荻野さんが耳につけていた、おしゃれなピアス。右下/「ogiiinuts」で手がけたロゴやワッペンなど。荻野さんのパートナーである湯浅那月さんがデザインした。左/荻野さんが働く『荻野農場』近くで撮影。周囲には広大な畑や水田が広がっていた。
今回、取材の待ち合わせ場所に向かってみると、そこでは札幌市にあるウェブ制作会社がワーケーションを行っていた。栗山町を見渡せるロケーション。町で活動する地域おこし協力隊隊員が発案したプロジェクトで、荻野さんも後押しする。この日、荻野さんは所有するテントサウナの貸し出しを行ったそうで、今後はさらに関わりを深めていきたいと話す。「こんな立地でワーケーションとか最高ですよね。そこに自分が好きなサウナを持ち込んだだけ。『自分たちが楽しんでいたら、みんなも栗山町を楽しんでくれるはず!』という発想で、今後もやっていきたい」。栗山町に「人を呼び込む」ことについて、荻野さんにはビジョンがある。「周辺にある市町村と団体をつくろうという話を進めています。点ではなく面で推していけたら、このエリアの価値がもっと伝わるはず。ゆくゆくは移住定住につながったらいいなって」。栗山町にある空き家や空き店舗の活用にも意欲的で、荻野さん自身、一軒の空き家を購入。この秋からリノベーションに取り掛かり、活動拠点兼交流の場となるようなスペースを目指すという。
右/ワーケーションのプロジェクトが行われた『菅野牧園』にて。東日本大震災で被災した和牛農家・菅野義樹さんが運営する牧場で、栗山町が一望できる風光明媚なロケーションにある。左上/荻野さんと話しているのは栗山町の地域おこし協力隊隊員・長広大さん。左中央/『菅野牧園』にあるカフェで、今回のワーケーションの感想を述べ合う参加者たち。左下/荻野さんは試験的に無農薬で野菜を育てる。「いずれは消費者向けの野菜、それも環境に配慮した農法で育てた野菜の割合を増やし、直接販売したい」。
目次
生粋の農家の担い手が、 ファッションブランド!?
幼いころから父親とともに働くことが夢だった荻野さん。実家は4代続く『荻野農場』。米や麦、大豆、イモなどを栽培する大規模農家だ。荻野さんは中学校卒業後、地元の『岩見沢農業高校』に進学。さらに専門的な知識を学ぶために『北海道立農業大学校』へ。稲作関係のカリキュラムは、提携している『拓殖大学北海道短期大学』で集中的に学び、2年間で2つの学校を卒業し、『荻野農場』で働くこととなった。それは2015年、荻野さんがまだ20歳のころ。
農業分野での荻野さんの活動は全国に広がる。先輩らからの推薦もあり、若手農業者の全国的な組織である『日本4Hクラブ』や、『北海道アグリネットワーク』の役員や理事などを歴任。組織運営に関わったり、農林水産省に行って意見交換をしたりなど、さまざまな経験をしたという。
農業を軸に活動していた荻野さんが、突如ファッションブランドを立ち上げたのは2019年。その背景にあったのは「食への危機感」だった。「みんな毎日ご飯を食べているのに、意外と『食』に興味のない人が多いように感じたんです。当たり前のように、目の前に出されたものを食べる。でも、食って人間にとって一番大事なことだと思うんです。その食べ物に何が入っているのか、農家さんがどういう想いで育てているのかなど、食や、そのベースにある農業に目を向けてほしいと思ったのが最初です。でも、そんなこと、まじめに話しても伝わらない。自分がおもしろそうなことをして目立つようになれば、『をぎじゅん(荻野さんの愛称)がつくった野菜だから食べてみよう!』とか、さらには『農業ってなんかかっこいいらしいぞ』とかってなるんじゃないかなって」。
右側/シルクスクリーンでTシャツにプリントする荻野さん。パートナーの湯浅さんとプリント作業。『ogiiinuts』の独特のデザインはすべて湯浅さんが担当した。左側/荻野さんの活動拠点の設計を担う『空間工作所』の神谷幸治さんと、施工後の模型を見ながら打ち合わせをする荻野さん。
そして『ogiiinuts』立ち上げには、栗山町の地域おこし協力隊の一員として、町の農業振興に携わった湯浅那月さんとの出会いが大きかった。湯浅さんも管理栄養士の資格を大学で取得するなど、もともと食への関心が高かった。一方で、”食の根っこ“のような農業にもおもしろさを感じていたという。「大学を卒業してすぐに地域おこし協力隊隊員になりました。自然も好きだったので、農業に関わる仕事は合っていたし、やりがいもあったのですが、活動するうちに『農業をもっと魅せたい』という気持ちが強くなって」。
もともとファッションに興味のあった二人。ファッションブランドの立ち上げは自然ななりゆきだった。デザインには野菜や農業のモチーフを積極的に取り入れた。Instagramで発信すると、瞬く間に人気となった。ちなみにブランド名は「荻野」と、湯浅さんの名前である「那月」を掛け合わせている。
環境へのメッセージを込めた 『ogiiinuts』。
右側/荻野さんと湯浅さん。陽気な二人の雰囲気がこのポーズと笑顔からもわかる。左側/湯浅さんが手がけたオリジナルデザインのロゴなどが入ったパーカや帽子、シャツなど。湯浅さんはデザインスキルを独学で習得。「本をひたすら読んで、そこから想像力を膨らませて。自分にしかできないデザインをつくりたかったから、誰からも教わりませんでした」。
二人がつくる『ogiiinuts』はオーダーメイドのファッションブランドだ。環境に配慮した生地を仕入れ、そこにオリジナルデザインのロゴなどを、お客さんのオーダーに合わせてシルクスクリーンでプリントし、基本”手渡し“するというスタイル。「新作のロゴデザインなどをInstagramで発表し、締め切りを設定して注文を受け付けます。でも、すぐには買えません。ある程度、予約が集まったら生地の発注をかけ、生地が届いたタイミングで、お客さんに連絡をし、ロゴなどは相談しながら好きな位置、色で入れていきます」。売るのが難しそうな仕組みにも思えるが、荻野さんのメッセージはそこにある。これまでの多くのファション産業に見られた大量廃棄や、高い環境負荷などの問題。「売ってはいるんですけど、あんまり買ってほしくないとも思っていて(笑)。注文を受けてから生地を発注し製作するのも、無駄がないですよね。もちろんリペアも受け付けています。持っている服を持参してもらい、『ogiiinuts』のロゴをプリントするワークショップも、今後は始める計画です。そのほうが買うより安くなるし愛着を持って着てもらえるかなって」。
すべてへは栗山町のため、 農業のために。
これから改装を始めるという、荻野さんの活動拠点も見学した。「ここはシェアハウスやゲストハウスのような、人が集まる家にしたいと思っています。オープンは2023年春くらい。テントサウナのイベントなども開けるよう、庭と一体となった空間を、設計士の方にお願いしています」。
活動は加速する。「廃校を活用した体験型宿泊施設『雨煙別小学校コカ・コーラ環境ハウス』と連携し、2023年6月あたりに音楽フェスも開催する予定です。つながりのあるアーティストを栗山町に呼んで、盛り上げたい」。主催者には著名なYouTuberも名を連ねているといい、荻野さんもその一人。「フェスを主催した農家って、『ただものじゃない!』ってなるじゃないですか。『どんな農家?』『おぎじゅんって誰?』ってなったら、栗山町に来てくれるきっかけになるんじゃないかって思っています」。
多方面に目を向け、精力的に活動する荻野さん。ただ、すべての活動は“2つのこと”に集約されると荻野さんは話してくれた。「全部、栗山町のためであり、農業のためと思ってやっています。僕らが活動することで、栗山町の名前が知られて、町を訪れたり、移住してくれる人が増えたらうれしいですし、農業でも、『栗山町産の野菜だから買う!』みたいになったら、これ以上のことはないですね。自分たちは楽しいことしかやらないし、楽しかったらうまいこと回っていくと思っています。小さい取り組みかもしれませんが、共感してくれる感覚の近い人と一緒に、地域や、そして世界がいい方向になればいいなと思って活動を続けていきたいです」。
「農家アーティスト」・荻野隼一さんが今、気になるメディア。
Instagram:ugo|雨後 @ugo_lifestyle
DIYした空間がめちゃくかっこいい、札幌にある複合施設のInstagram。リアル店舗も、SNSでの発信もセンスよくて、参考にしています。実は活動拠点の一室のリノベーションもお願いしていて、完成が待ち遠しいです!
Instagram:ライフコーチ わったん @wattan_blog
「心とお尻に火を灯すライフコーチ」として活動する「わったん」のInstagramです。消防士を辞めて家族4人で沖縄県へ移住した人で、食への考え方だったり、モノの少なさだったり、生き方そのものを見習っています。
Instagram:あやお 創る人 @ayaotsukuru
海ゴミアーティスト・あやおは、「わったん」を介して知り合いました。アートを通じて、海の環境の大切さを発信している人で、めちゃくちゃ共感します。ブランディングや、ストーリーづくりなど、影響を受けている一人です。
photographs & text by Yuki Inui記事は雑誌ソトコト2023年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。