宮城県多賀城市で生まれ育ち、東京でサラリーマンとして2社経験後、宮城県丸森町に移住し地域活性事業に奔走する濱野友也さん。現在は、丸森町の太鼓集団「旅太鼓」の代表として、世界中の人と丸森町がつながるきっかけを創り、地域活性への貢献を志しています。和太鼓を通じて柔軟に新しいことに挑戦し続ける濱野さんに、移住体験談や和太鼓を通じた地域活性、これからの挑戦についてお話を伺いました。
東京から地元宮城へUターンしたきっかけとは?
濱野さんは宮城県丸森町にJターン(県単位ではUターン)し、和太鼓を通じて地域活性事業を行っています。丸森町は、宮城県の最南端に位置する、自然に囲まれた人口1万2千人ほどの小さな町です。
濱野さんが代表を務める丸森町の太鼓集団「旅太鼓」は、結成からわずか一年で海外でのパフォーマンスを成功させ、丸森町を訪れる外国人観光客に和太鼓体験提供や演奏パフォーマンスなどでおもてなしをしてきました。また、国内でも認知度は高まり、丸森町をPRするため全国に活動を広げています。
《濱野友也(はまの・ともや)さんプロフィール》
宮城県多賀城市出身。1992年生まれ。東京でサラリーマンを2社経験後、宮城県丸森町へ移住。世界中の旅行者と丸森町がつながるきっかけを創り出す、太鼓集団「旅太鼓」代表 / 株式会社GM7 取締役 / 株式会社VISIT東北 執行役員COO / 一般社団法人宮城インバウンドDMO 事務局長 /宮城ワーケーション協議会事務局 / Happiness Design Team MORE JAM 代表(宮城レジャー活性化集団)
お話を伺うと、濱野さんは移住先の丸森町にゆかりはなかったのだそう。では、丸森町に移住を決めた理由は何だったのでしょうか。
筆者 丸森町へ移住を決めたきっかけは何だったんですか?
濱野 現在所属している株式会社GM7が立ち上がるタイミングで、代表の齊藤良太より「一緒に地域のスタートアップ事業をやろう」と声をかけてもらったことがきっかけです。
筆者 新しい場所で地域に溶け込むのは難しかったのでは?
濱野 丸森町は地域おこし協力隊をたくさん迎え入れている町なので、外から来た人も快く受け入れてくれる地域。あまり難しさは感じずに、スタートから応援してもらえるような雰囲気を感じていました。
筆者 前例があることで、新しく来た人も受け入れてもらいやすい環境だったんですね。
現在は立ち上げたGM7の「志ある人と人とでハッピーな未来を創る」という企業理念のもと、サラリーマン時代の新規事業開発等の経験を活かしながら、丸森町の地域活性事業を行っています。
和太鼓から生まれる世界中の人とのつながり
濱野さんが代表を務める太鼓集団「旅太鼓」は、太鼓を通じて地域おこしをするという柔軟な発想で、幅広い活動を行っています。和太鼓を演奏することは、地域活性にどのような効果を生み出すのでしょうか。また、演奏を聴いた海外の人たちの反応はどのようなものなのでしょうか。濱野さんは、和太鼓には人とつながるための魅力があると言います。
和太鼓を通じて地域おこしをする理由とは
筆者 和太鼓はいつ頃からやっているんですか?
濱野 始めたのは小学校4年生からなので10歳の頃からですね。当時は地域のチームに入っていました。大人になってからも団体を変えながら、18年間継続しています。
筆者 なぜ丸森町で和太鼓の事業をスタートしようと思ったのでしょうか。
濱野 東京で複数の新規事業開発も経験しながら、パラレルキャリアとして土日を活用し、和太鼓のワークショップを開くこともしてきました。和太鼓の演奏や体験を通じた空気感は、経済尺度だけでは計り知れないとても良い効果があると確信しました。また、芸術活動とビジネス活動って一見相反するように見えますが、私はやりたいことは何でもチャレンジすればいいと思っています。複数のことに本気で挑戦することを良しとする価値観やパラレルな活動間でシナジーを創出できることを、結果で示し、社会に少しでもポジティブなニュースを届けて挑戦者を鼓舞したいと思い和太鼓事業を立ち上げました。
言語を超えた心の交流
濱野さんの所属するGM7やVISIT東北は、今では様々な事業を行っていますが、もともとは外国人旅行客に来てもらい地域活性に貢献することが強みだったのだそう。
濱野 外国人のお客様のツアーガイドなどを担当しながら、食事の時間におもてなしとして和太鼓を演奏してみたんです。そうしたらものすごく反応が良くて、これは事業化できるんじゃないかと自信になっていきました。
筆者 旅行に来た外国人の方への演奏が始まりだったんですね。演奏を聞いてくれた方からは、どんな反応がありましたか?
濱野 印象的だったのは、心臓を押さえながら、「心に響く時間だった」と身振り手振りを交えながら表現してもらったこと。言語は通じないけれど、感動したことをとにかく伝えようと表現してもらった時に、“言葉がなくても人を感動させられる”んだなと思いました。今まで20か国くらいの人の前で演奏をしてきましたが、皆さんすごく喜んで帰って行かれるのが印象的でしたね。
筆者 太鼓の力強い演奏を通じて、言葉がなくても交流を深めることができたんですね。
和太鼓を通じた地域の人とのつながり
筆者 地域の方々が参加するイベントもあるのでしょうか?
濱野 この前地域内の他の太鼓チームと合同で、太鼓で町を盛り上げていこうというテーマのもとオンラインで交流会を開催しました。
筆者 コロナ禍ならではの取り組みですね。この前は成人式での演奏もされていましたよね。
濱野 そうですね。地域の人たちには還元の意味も込めて活動しています。コロナ禍の前は地域の子どもたち向けにワークショップをやったり、学校講演に呼ばれて音楽の授業をやったりもしていました。
筆者 濱野さんが思う、和太鼓を地域活性につなげることの魅力は何でしょうか。
濱野 太鼓は多くの年代の人に受け入れられやすいものだと思います。太鼓の音ってお祭りとかで聞いていて馴染みのあるものですし。外国人のお客様には、日本文化である太鼓はキャッチ―なものなので、無条件で楽しんでいただけるのは魅力だと感じています。
日本人にとっては親しみやすく、外国人にとっては珍しい和太鼓の音は、多くの人を惹きつけ、地域を超えたつながりを創るきっかけになっているようです。
努力家や挑戦者を心から称賛できる社会創造への人生をかけた挑戦
旅太鼓は、奥州・仙台おもてなし集団「伊達武将隊」とともに活動をするなど、丸森町の中だけにとどまらず幅広く活動を行っています。今後は世界で活躍するプロジェクションマッピングエンターテインメント集団「白A」と協業し、プロジェクションマッピングと和太鼓を融合した演舞を仕上げていくのだそう。
常に枠にとらわれずに新しいことに挑戦する、原動力は何なのでしょうか。
濱野 常に思っているのは、僕らの活動を通して努力家や挑戦者を心から賞賛できる社会創造に貢献していきたいということ。そのためにも、枠にとらわれない挑戦を続けていきたいです。今新しく取り組んでいる「白A」との協業は、伝統的なものと新しいものを柔軟に掛け算することで、世の中に影響を与えることをビジョンとしています。なんでも好き勝手にやるのではなく、自分たちのテーマに合致したものに取り組んでいきたいです。
常に自己研鑽とともに志高く突き進む姿は、これから頑張りたい人に勇気を与えてくれるものでした。失敗をしても「ナイスチャレンジ」、迷っている人には「とりあえずやってみたら?」と笑顔で言える、そんなより良い社会に向けて、これからも濱野さんたちの活動は続いていくのだと言います。
和太鼓で地域と人をつなぐ
お話を伺う中で、自分たちの活動を通して「努力家や挑戦者を心から賞賛できる社会」を示していく、まっすぐな姿が印象的でした。「努力家や挑戦者を心から称賛できる社会創造への貢献」は濱野さんの人生のテーマでもあり、太鼓集団「旅太鼓」の活動理念でもあります。人生を最大限豊かにするためには、「人生には必ず終わりが来る」ことに正面から向き合い、自責と覚悟を持って人生をどのように過ごすことや、GIVEを世の中に残すためにどのような努力をするかの意思決定が重要だと語っていました。
和太鼓の演奏が生み出す、言語を超えた人とのつながりは、小さな町と世界を結ぶきっかけを創り出しています。これからも小さな町で響く力強い太鼓の音が、人と人をつなぐきっかけを創り出していくでしょう。
《旅太鼓活動紹介》
▼【Youtube動画】雪月風花 / 宮城県丸森町太鼓集団『旅太鼓』
▼【Youtube動画】疾風迅雷 / 宮城県丸森町太鼓集団『旅太鼓』