自分の役目を果たそうと、見えない視聴者に向かってカメラの前でテンションを上げる葉子の姿が、最初は少し痛い。けれど、観る者の気持ちをそんなふうにざらつかせるのは、前田敦子が放つ、その圧倒的な存在感ゆえ。異国の地で、用心深くも先へ先へと進んでゆく彼女の表情や行動に、気づけば目が釘づけになり、最後は清々しさが胸に広がる……。黒沢清監督の『旅のおわり 世界の始まり』はそんな映画だ。
舞台は中央アジアのウズベキスタン。この地の巨大な湖に棲むという“幻の怪魚”を探すため、バラエティ番組のリポーターの葉子は、撮影クルーとともに海外ロケに来ている。だが、怪魚は現れず、今は無理だというお店の人に頼み込んで出してもらった名物料理は生煮えだったりと、異国での撮影は思うようには進まない。現実は用意したプロットどおりにならないのに、それでもテレビ映えする画づくりに執着するディレクター。その態度に違和感を覚えつつも、「それが仕事だから」と、異を唱えずに動くスタッフ。海外ロケによる番組制作の過程そのものがストーリーになっている──そんな二重構造の映画が見せる現場の裏側は、妙にリアルで胸にくる。
1か月間、全編ウズベキスタンロケを敢行した本作は、葉子の軌跡と変化を追ったロードムービーでもある。収録後、ひとりでバスに乗り込みバザールに向かったものの、道に迷った葉子が不安の最中で一匹の山羊と出合った旧市街地。恋人にハガキを出そうと郵便局を探している途中、何かに誘われるように入った壮麗な建物、その扉の先に広がる劇場。ことばが通じないから、というよりは、相手と向き合わないことで生じた誤解から警備の人間に追いかけられ、逃げ回った末に連行された警察署……。
慣れない街をおぼつかない足取りで彷徨いながら、葉子は見知らぬ場所へと足を踏み入れてゆく。そんなふうに小さな逸脱を重ねるうちに、自分の殻を破り、現前の世界に巻き込まれてゆく彼女から漂う緊張感を、カメラは映し出す。と同時に行き詰まりかけていた番組制作も、新たな方向へと動き出す。
夢は歌うこと。その思いを全身で表現するように、迷い込んだ劇場で、番組の新たなネタを探すために向かった山の頂で、葉子はエディット・ピアフの普遍の名曲『愛の讃歌』を歌う。
遠くには、冠雪した山並みが、眼下には、空の青を映してまばゆく輝く湖が広がるその場所に立った彼女は、目の前にありながら、それまで見えていなかったウズベキスタンの風景を、その目に焼きつけたのだろう。
『旅のおわり世界のはじまり』
監督・脚本 黒沢清
出演 前田敦子 染谷将太 柄本時生 アディズ・ラジャボフ
公式サイト https://tabisekamovie.com/
6月14日(金)より、テアトル新宿、渋谷ユーロスペースほか全国順次公開