口から出るもの・入るもの
この一連の流れの中で、僕は「奥大和の口から出るもの・入るもの」というコンセプトを考えました。「口から出るもの」とは、「ものがたり」のこと。「もの」に関して民俗学者の折口信夫は、それは自然に宿る霊魂である、というようなことを述べています。例えば妖怪のことを「もののけ」といったりするのも、その一例だと思います。自然に宿る「もの」の声に耳を傾け、それを「かたる」ことが「ものがたり」でした。
芸術祭の舞台となる紀伊半島は、古くから山伏(ヒジリ)が活動する土地でした。第1回でも述べましたが、各地の集落を回って「勧進」という、今でいう寄附金を募る際、山伏は人々の関心を惹くためにおもしろい話を「ものがたる」必要があり、そこからさまざまな芸能が誕生していったのでした。
次に「口から入るもの」とは「食」のことです。近代以降、伝統や故郷というものとのつながりが希薄になりつつある私たちの暮らしですが、地産地消という言葉があるように、その土地で生産された作物をその地域で消費することで、土地とのつながりを多少なりとも実感できるのではないでしょうか。それに祭りにおいても、食は重要な意味を持っていました。僕が拠点にしている山形県の羽黒山は山伏文化の根づく土地です。そこでは年越し祭りや修行の終わりに、おでんのようなかたちをした「サシグシ」というものを食べます。これは大日如来を意味する5つの形を表しており、大日如来は宇宙を象徴する仏なので、祭りを行い、それを食べることで、自分たちをとり囲む世界や宇宙との一体感を持ったのでした。そのほかにも正月や盆に、魂を意味するとされるモチや素麺を食べたり、海外でも冬至や夏至の時期に、太陽を表した食べ物を身体に取り入れることで、自然との一体感を持とうとした文化が数多くあります。伝統、故郷、土地とのつながりを実感しにくい現在にあって、いま一度、そのつながりについて考えてみたいと思ったので、今回の作品では「食」に目を向けたのでした。
「おもしろし」と「経済」
中国から伝来した散楽がルーツとされる能楽ですが、世阿弥は『風姿花伝』のなかで、その起源として天岩戸の前で行われた芸能を挙げています。そこでは、太陽の神である天照大神が洞窟に隠れたことで世界が闇に包まれてしまい、神の関心を惹くために洞窟の前で神楽を行った。天照大神が外の様子を覗いた瞬間、世界に光が放射され、そこに集まっていた者たちの顔(面=おもて)が白く照らされた。その瞬間が「おもしろし」というのだ、と述べられています。
太陽の神は自然を象徴するものですが、その前で芸能を行うことで、生命に活力を与える日光が私たちに放射される。この自然と芸能の関係によって生まれるものこそ、芸の根源にあって「おもしろい」と私たちが感じるものの正体なのだ、というのです。
個人的には、この「ものがたり」のなかには、自然の前で芸能という「払い」を行うことで自然のほうから豊かさが提供されるという、経済の構造があらわれているとも思っています。宗教的な「祓い」と経済的な「払い」は原初では同じものであったと、古くは国学者の本居宣長が考え、経済学者の福田徳三も『祓除と貨幣の関係』を著して同調しています。海外では経済人類学者のカール・ポランニーが著作『経済の文明史』のなかで「われわれが支払いと結びつけて考える量化は、解消されるべき責務が経済的取引とはまったく結びつかない時代にすでにおこなわれていた」として、「責務を解消するために、求愛、結婚、忌避、ダンス、歌唱、装飾、饗宴、哀悼、苦悩などの行為、さらには自殺という行為がなされる」と述べています。ちなみに、民俗学者の宮田登によれば、厄払いという習俗は、もともとある年齢に達した者が共同体の中で「役割」を得て祭りの費用を捻出することを意味していたものの、それを悪いこととしてお祓いをしなければならないと広め、利益を得ていたのは陰陽師や山伏であったとのことです。
僕は芸術祭の中で、「ものがたり」を背景にして、「もの」と人をつなげる食をつくり、来た人が「払い」をおこないそこに参加するという構造をつくり、そこに「おもしろし」を出現させたいと思っています。おもしろくなくても責任はとれませんが、気が向いたら遊びに来てください。