不確かで危うい自分
15回目の開催になる芸術祭、「ドクメンタ」では、イスラエルのアーティストが選ばれていなかったり、展示された作品の中にユダヤ人を揶揄したような図像が見つかるなどして、ユダヤ人差別なのではないかと、連日メディアで報道され、その批判は会期中、激しくなる一方でした。
「ドクメンタ」に参加することになったとき、ハンナ・アーレントという人物のことが頭に思い浮かびました。1906年生まれの、ドイツ系ユダヤ人であり、ナチスからの迫害を逃れ、アメリカに亡命した哲学者です。
アーレントはナチスやファシズム、全体主義を解き明かそうと1951年に『全体主義の起源』を発表しました。19世紀のヨーロッパでは絶対王政に基づく同一性を持った国民国家が存在していたとし、やがて資本主義や人種主義などに影響され帝国主義が現れ、帝国主義が植民地を生み、膨張していくなかで、かつての国家を構成していた階級社会から落伍していった人たちがいたとして、経済不況の中で不安や不満にまみれる、その“根無し草”となった人たちを、自国民を神聖化するなど架空の神話をつくり上げ、動員していったのが全体主義であるとします。
この連載の中でも、拡散する性質を持つ近代文明を受け入れていく中で、自然や土地、ふるさとの文化とのつながりが希薄になっていったことを述べてきました。アーレントは、そうした“根無し草”となった人たちが、狂気に走っていった様子を描き出したのでした。
また、逃亡先のアルゼンチンで拘束された、数百万のユダヤ人を収容所に送る責任者だったアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、戦争犯罪を犯した人物が、凶悪な人物ではなく、どこにでもいるような平凡な人物であったことを『エルサレムのアイヒマン』で描き、それが発表されると多くの批判を受け、アーレントは多くの友人を失ったとされます。
アイヒマン裁判の翌年、「ごく平凡な人物であっても、ある状況下のもとでは残虐な行いをしてしまうかもしれない」という疑問から、「ミルグラム実験」、または「アイヒマンテスト」と呼ばれた実験が行われました。
普通の人物であっても、残虐な行いをしてしまうかもしれない。正しいと思っていても、後になって考えてみれば間違っているかもしれない。アーレントの著作を読んで感じたことです。やはり人間というのは洞窟の中で儀礼を行っていた頃と変わらず、不確かで危うい存在なのではないだろうか、そんな風に自分には思えてくるのです。
膨張・拡散する社会の恩恵
かつて一部の人が独占していた情報発信能力を、今ではオンラインを活用して多くの人が手にしているのも、5パーセントの人に向けられていたアートが多くの人に開かれるようになったのも、膨張、拡散する文明や社会の恩恵であると自分は考えています。
そんな社会の中において、自分自身を見失わない方法、人間性を確保できる方法はないだろうか、それが自分の関心となっているのですが、ドイツに滞在した1か月間はそんなことばかり考えていました。自分の考えが完全に正しいとは思えないからこそ、考え続けなければと思うのです。
さかもと・だいざぶろう●山を拠点に執筆や創作を行う。「山形ビエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」「リボーンアートフェス」等に参加する。山形県の西川町でショップ『十三時』を運営。著書に『山伏と僕』、『山の神々』等がある。
記事は雑誌ソトコト2023年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。