柳田国男と故郷
今回は伝統と切り離された近代的思考を持ちながら、なお伝統や故郷に関心を持ち続けた民俗学者の祖・柳田国男に目を向けたいと思います。
現在でも、地方に多く残されている、ヤマブドウやアケビのツルを使ったカゴ作りなどの手仕事や狩猟採集など、古い由来を持つ文化には人気があり、都会から若者たちが技術を学びに地方を訪れます。僕自身も、そのような技術を学びたいと考えたひとりでした。そうした土着的な文化に触れることで、都市近郊で生まれ育った自分でも、伝統とのつながりを持てるのではないかと素朴に考えていました。しかし、実際にはそんな簡単で素朴な話ではなく、前回の連載で述べたように、そんな都合のいい故郷はなかったのです。
伝統とのつながりを持つことで、よりよく生きるための道筋が見えてくるのではないかと考えていた僕は、自分が何年もかけて追求してきたことが、見当違いだったのかもしれないと思うようになり、繰り返し自問自答しました。そんな時、僕はなんの気なしに柳田国男の本を手に取りました。そこで以下のような文章を目にしたのです。
「かつて広々とした緑の大地に成長して、少年の日のはなはだ楽しかった記憶がある。それが単に人生の春の日であったために楽しかったのか。はたまた現実に、あらゆる都市の利便にも換えられぬような、面白さというものが、別の村の存在の中にあったのか。もしあったとすれば今もなお繰り返されて地方には残っているか。あるいは不幸にして片端からその源泉が枯れて行ったか。その点を明らめてみたいという願いは常に痛切であった。(『郷土舞踊の意義』)」
緑多い環境に包まれた少年時代のおもしろさは、村の存在の中、つまり「故郷」の中にあったのだろうか。もしあったのならば、今でも地方には残っているのだろうか。それを痛切に知りたい、と柳田は言うのです。それまでも柳田の著作は自分なりに熱心に読んできたつもりでした。明治8年(1875年)生まれの元・官僚で、頭の固い保守的な人物というイメージだったのですが、その時、僕は柳田が自分と同じような思いを持っていたのではないかと感じたのでした。より正確には、柳田が長年格闘してきたテーマに、自分もようやく気がつくことができたと言ったほうがいいかもしれません。
柳田は非常に明瞭で進歩的な思想を持つ、近代を代表するような人物です。前回触れた福沢諭吉の言う、近代文明に影響され、伝統と切り離された空虚さを抱えた存在とも言えると思います。柳田は昭和20年(1945年)、幾度も訪れる空襲の下で、日本古来の死生観を考察し、家のあり方を問い直し、戦争や社会の変化によって生じた、行き場のない魂の救済を考えた『先祖の話』を執筆しています。しかし柳田は、日本人の魂の救済を考えながらも、科学的な分析を重視した無宗教的な人物でした。柳田が死後の世界を素朴に信じることができるような人間に、僕は思えません。そんな人物がなぜ、人生を費やして伝統や故郷や魂の救済を考えたのでしょうか。
個人を超える小さなイメージ
柳田の学問の原点について、思想家の吉本隆明氏が講演で興味深いことを述べています。それを自分なりに要約すると、柳田の著作『故郷七十年』の中に少年時代のエピソードが紹介されており、柳田が長兄の家に預けられ、そこの土蔵にたくさんある本を読むことを楽しみにしていた。ふと土蔵の横に目をやると祠があり、お婆さんが祀られていると言う。好奇心から中を覗いてみるとロウ石があった。それを見た瞬間、柳田少年は奇妙な気持ちになって昼間なのに空にたくさんの星が見えた。その時ヒヨドリの声が聞こえて我に返ったが、鳥が鳴かなかったら自分はそのまま頭がおかしくなってしまったかもしれない。そんな不思議な体験が述べられていた。この妄想や幻覚や入眠状態の体験というものが柳田の民俗学の核なのではないか、と吉本氏は言うのです。
これを踏まえてみれば、柳田は近代的な空虚を心に抱え、非合理的な民俗や宗教的な幻想やイメージは信じることができずにいたが、少年時代の個人的な体験によって、人間の普遍性とも、日本文化の原型とも言えるようなイメージを垣間見ることができた。それゆえに、「少年の日のはなはだ楽しかった」記憶が根付く「故郷」に、その「源泉が残されているのか」を「痛切に知りたかった」のではないでしょうか。柳田の著作としてよく知られる『遠野物語』は東北山間部に伝承されてきたイメージや幻想を収集したものでした。そうしたもののなかから、大きなイメージを信じることができない近代的な空虚さを抱えながらも、生と死を肯定する境地、人間の理解を見出そうとしたのではないかと、僕には思われたのでした。
近代を経た私たちは、伝統と切り離されてしまった存在ではあるものの、個人の心の中にはいまだに豊かな源泉が残されています。柳田のように奇妙な体験を経なくても、そのレイヤーに接続する方法があるはずです。その地平に立つ時、失われたと思われた故郷の中にも、未来に開かれた土着文化を見出せるのではないかと僕は考えています。