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サスティナビリティ

連載 | 森の生活からみる未来

小さいことは美しい❷

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1970年生まれのぼくは、駆け抜けるように疾走する、いや暴走する日本の高度経済成長期を横目で見ながら育った。大学では、大人たちが醜く狂喜乱舞するバブルを、羨ましいとも思わず、気持ち悪い現象として、他人事のように傍観。

バブル崩壊後に社会人となり、「失われた20年」と呼ばれる経済停滞期に働き、暮らしながら、心では「これくらいシフトダウンしたほうがいい。これまでよりよっぽどまともだ」と感じていた。

上司や先輩から「あの頃はよかった」と、バブル期の“武勇伝”を聞かされても、吐き気しかしない。大企業や大国が苦悩する姿を目の前で見ても、「なぜ過去にしがみつき、昔の栄光を取り戻すことしか考えないのだろうか」と不思議だった。

政界や経済界の老人たちの行動パターンにも、同じような不快感を感じていたことを思い出す。「まったくクリエイティブじゃない、ダサすぎる」とずっと思っていた。

「とにかく大きくて強いことがいい。早く成長することがいい」という、米国の非人間的とも言える超大国思想。大量生産・大量消費をベースとするその破壊的なスタイルを、小国日本が真似ようとする姿が滑稽でならなかった。資源の少ない小さな島国で暮らしてきた日本人は、「謙虚に」「もったいない」「足るを知る」といった美しい言葉、思想を持っていたはずなのに。

ぼくの思考回路は、周りと違っていたため、社内外からは「変わり者」と言われ、浮いた存在になっていた。そんなぼくでさえ、レコード会社プロデューサー時代はその波に抗えず、ピークの数年間はモーレツに働いてしまっていた。

戦後から半世紀以上、ずっと日本全体に吹き続けるこの“暴風雨”に抵抗して生きるということは、実際、とても難しいのである。

小・中学校の頃は「生きるって辛い」と毎日思っていた。高校・大学からは「猛威を振るうこの“暴風雨”の中では、自分は生きていけない」と確信。実は、ぼくの海外志向のルーツはここにあったのだ。15年もかけて、必死になってニュージーランドへ移住してきた原動力の一つとも言えるだろう。

だが、そんなぼくも40代となってやっと「生きやすい」と思えるようになってきたのだ。

長距離ミサイルを持たず、戦車・戦闘機・潜水艦もないニュージーランド。そんな弱小で、のんびりしたこの国に8年半暮らしてきたことがもっとも大きいが、ほかにも理由があったことが最近わかってきた。

まず、世界中でたくさんの“地に足のついたムーブメント”が、この10年で起きてきたことが挙げられる。そのキーワードを並べるとこうだ。「Small」「Tiny」「Less」「Slow」「Basic」「Simple」「Minimal」「Core」「Natural」「Organic」。

「Small is Beautiful」とは、まさに「小さいことは美しい」の意味。「Tiny House Movement」は、幸せに生きるために大きな家は不要で、小さな家こそがイケてるという風潮のこと。「Less is More」は、少ないほど豊かであるという哲学。

日本語でも市民権を得ているので「Slow Life」「Slow Food」「Back to the Basics」「Simple is the Best」は、説明不要だろう。

余計な物を一切持たずに生きる人たちを指す「Minimalist」。「Normcore」は、流行や装飾を排除した、究極に簡素でクールなファッションのこと。

「Natural」「Organic」といった言葉は、土に還らないプラスチック製品を極力使わず、農薬・化学肥料・食品添加物を避ける人たちが増えていることから、多用されるようになってきた。
次号へ続く)

ニュージーランドで見つけた、天井、壁、床すべてがガラス張りという究極の「Tiny House」。電力はソーラーパネル、お湯・コンロ・暖房はバイオ燃料。水は地下水で、排水は独立型バイオ式と、完全オフグリッド。構造上、テントよりも大地への負荷が小さいという。
ニュージーランドで見つけた、天井、壁、床すべてがガラス張りという究極の「Tiny House」。電力はソーラーパネル、お湯・コンロ・暖房はバイオ燃料。水は地下水で、排水は独立型バイオ式と、完全オフグリッド。構造上、テントよりも大地への負荷が小さいという。

 

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