しばらくして左腕に流れる血がゾウのものではなく、僕自身のものであることに気づいた。
標本作製の現場は不衛生な面が多く、健康には気をつけて作業を行わねばならない。僕は小学2年から『光武館』という柔道の道場に通っていて、体力には自信があるし、めったに風邪もひかない。2年前この道場が80周年を迎え、記念誌に原稿を依頼され、次のようなことを書いた。「心・技・体といいますが、『技』は毎回1回戦負け、ただし貧乏生活に耐える『心』とゾウをも解体できる『体』を鍛えられたおかげで今がある」と。よいフレーズだ。
一度だけ倒れかけたことがある。体がだるくて熱っぽいと感じた夏の休日、動物園から大型獣が死亡したという連絡をもらった。つらさを押して回収を行い、解体を完了して帰宅したところ、風呂に入るときに寒気がしてふらふらする。38度を超える熱が出ていた。翌日病院で見てもらったら、「肺炎が治りかけているようですね」との診断で、無茶をしたと反省した。
怪我はというと、日常茶飯事といってよい。以前記事にも書いた腱鞘炎は珍しい部類であるが、日々メスを手にとり、動物を剥皮・徐肉して鍋に入れるというのが僕のメインの仕事なもので、左手にはしょっちゅう切り傷をつくってしまう。そのため僕が首から下げている職員証ホルダーには常に数枚の絆創膏が収納されている。いつ手を傷つけても即座に応急処置して作業を再開できるようにしているのだ。
これを知った同僚も絆創膏を携帯するようになった。有用な手段というものは広まるものだ。ある時は一日の作業で左手のすべての指に切り傷をつくるという、グランドスラム的な快挙を成し遂げた。もはや痛いという感覚よりも仕事を遂行することにかける自分の熱情に対して誇らしいというか、感慨深い気持ちになってくる。こういった小さな傷は取るに足らない。
昨年ゾウを解剖した時は、刃物を持つ手元が狂って、左腕に3センチほどの傷をつくってしまい、動物園の獣医さんに心配をかけてしまった。この日は大仕事で、早朝から愛用の牛刀をビカビカに研いで最高の切れ味に仕上げていたのだった。肉を切っていた左手が少し狙ったところから外れて、僕の左腕に軽く当たった。ゾウほどの動物を解剖しているとアドレナリンが出まくるのであろう、ちょっとした傷をつくっても気づかないことが多い。少し触れただけだから大丈夫だろうと思い、作業を続けていたら、しばらくして左腕に流れる血がゾウのものではなく、僕自身のものであることに気づいた。
周囲に心配かけるのはどうかと思ったので、とりあえずアシスタントにゴム手袋を巻き付けてもらい、止血に努めることとしたが、あえなくばれて獣医さんの応急処置を受けることとなった。病院に行ったほうがいいという意見があったが、なんとしても動物園から搬出してつくば市の研究施設に運ぶまでは現場にとどまる必要がある。深夜になってから帰宅して、臭う体を洗い流してから救急病院に駆け込み、ぱっくりと目を見開いたような傷は5針ほど縫っていただいて事なきを得た。
傷は男の勲章というけれど、お医者さんに迷惑をかけない程度にしておきたいものだ。