内科医の占部まりさんは、父であり、世界的な経済学者である宇沢弘文氏を自宅で看取った経験から『一般社団法人日本メメント・モリ協会』を設立されました。なかなか考える機会のない「死を想うこと」ことから、ウェルビーイングについて繙きます。
インタビューの冒頭、そうお話しされた占部まりさん。考えるきっかけとなったのは、2019年から続く新型コロナウイルス感染拡大だったと教えてくれました。「特に『つながり』が分断されましたよね。入院したら、今までのように面会ができず、亡くなる直前といった大切な時であっても、大切な人たちと一緒に過ごすということができませんでした。入院によって、認知症状が進んでしまった方も。そこに『その人がいる価値』というものが、クリアに感じられた方も多いのではないかと思っているんです」。
人の生を考えるとき、そこには対比となる死というものが必ずある。占部さんは、死から少し離れて「想う」ことが、よりよく生きることにつながるのではないかとも話す。「死を考えるのは誰しも辛いこと。でも、『想う』というのは、文字どおり『木を目で見て、心に浮かんでくるもの』で、ちょっと距離があるものなんですね。病気などで、死が身近になり、考えなくてはならなくなると、なにを大切にしたいのかが明確になることがあります。そこまで追い詰められる前に、『人生最後に聴きたい音は?』といった問いをきっかけに『想う』ことが、よりよく生きるにつながるのではないかと感じながら活動をしています」
占部さんは内科医のかたわら、一般社団法人『日本メメント・モリ協会』の代表理事も務める。メメント・モリとはラテン語で「死を想え」の意。医療・介護従事者をはじめ哲学者・宗教者など、さまざまな分野の人たちを招き、多角的に死を考える場を提供する。立ち上げたきっかけは自宅で父・宇沢弘文さんの看取りをしたことだと話す。「父は最期、すごく辛そうだったんです。人工呼吸器こそ着けませんでしたが、病院と同じようにできる限りの医療行為をしていました。一方で、私が診たある末期の膵臓がんの患者さんは、自宅で息子さんが介護されていたのですが、食が細くなったこともあり入院。点滴を開始して、初めこそよかったのですが、次第にむくみがひどくなり、呼吸も苦しくなっていったので、ご家族と相談して点滴を止めることにしました。するとむくみが取れてきて、また喋れるようになっていって。亡くなるその日の朝も普通に『どうですか?』と聞いたら、『いつもありがとうね、先生』という感じで。そして昼過ぎに、眠るように旅立たれていきました。人の『亡くなる力』に任せるとこういう状況になるんだなあと思うような、対照的な死でした。そんな穏やかな死の状態を知った今でも、どこかで父の治療を止められたのかと聞かれても、そのポイントは見つからない。医療はその時々の最善を尽くすことが本当に大切なのだと思います。今はコロナによって変な形で死が横に来てしまった感じがします。一番大切な人となにかしたい最期のときに会えない、そういった不自然さがあり、それをどう社会が取り戻していくのか、すごく気になっています。だからこそ、人生で大切にしていたことや幸せだったことを、大事な人とシェアしておくのが、最期のときの判断にもつながると思いますし、死を想いながら暮らすと、生が豊かになるんじゃないか、という問いが根底にあります」。
うざわ・ひろふみ●1928年生まれ。東京大学理学部数学科卒業。米国シカゴ大学教授、東京大学経済学部教授、同志社大学社会的共通資本研究センター長などを歴任。2014年死去。
死の瞬間はどんなもの? 人は亡くなっても生きている。
「死の瞬間、エンドルフィンという脳内麻薬が分泌されると言われています。死にかけた人が『ふわーっと心地いいところへ行く』という話はよく聞くんですけど、そういった状態は、エンドルフィンの影響なんじゃないかなって。病気で辛かった人も、亡くなるとお顔が穏やかになることが多い。ですがお坊さんに聞くとそうでもないお顔の方もいらっしゃるそうで。このあたり、立花隆さんの著書『臨死体験』(文藝春秋刊)を読むと、周りに影響される可能性も高いようです。3度臨死体験をしたお医者さんの話だと、1度目と2度目は脳梗塞の発作をお布団の中で起こしたそうで、そのときはふわーっとしていたけど、3度目はすごく寒くて荒涼としたところにいた感じがしてすごく嫌だったと。このときは集中治療室で、裸同然で硬いベッドに寝かされていたときだったから、そう感じたのかもしれない──。こういうことを知ると、だったら、旅立つときは、好きな音楽をかけて、好きな香りをそばに置いたりしたほうがいいなあと思うんですよね。そうすると、ちょっと楽しいような感じになりませんか。
終活の一環に『納棺体験』というものがあります。お棺の中に寝てみるとどんな感じがするかというものです。主催された僧侶の方が、ちょっと思い立って、体験中にお経を読んでみたんだそうです。そうしたら、『今まで聞いたことがないくらい、気持ちよく感じました!』とおっしゃられたそうで。お棺の中で、お経を聞くのがちょっと楽しみになりました(笑)。また、人間の感覚で最期まで残っているのは聴覚だという研究もあり、そういうことも影響していてお経を読むという行為があるのかなとも思ってみたり。ちょっとおもしろいですよね。死について、辛いことを思うよりは、楽しいこともあるかもしれないと思って生きたほうがいいような気がして」。
さらに死の時点で、旅立った人のすべてが無になることはないのではないか、と占部さんはご自身の体験を振り返る。「父は8年前に亡くなっているんですけど、まだなにかは”生きて“います。気配を感じるような時もありますし、父のなにかが確実に今につながっている。父が経済学者で文章を書き残したから特別なのではなく、日々の診療でもそんなことを感じることがあります。私が診ている患者さんが『亡くなった主人がね……』というように話されると、そのご主人が生きているときには会ったことないのですが、その瞬間にご主人が湧き立ってくるようで、生きた存在のように思えるんです。そう考えると物理的な死は確かに辛いけれども、それ以外のものが確実につながっているんだなと感じています」。
「ポジティヴヘルス」と 「拡張生態系」。
「オランダから始まった考え方です。これまでの健康とは『状態』のこと。病気がない状態、精神的に満たされた状態。でもそんな状態が満たされている人ってほとんどいないじゃないですか。みんな、なにかしら抱えている。そうではなく、なにかあったときに『立ち向かっていく能力』を健康としましょう、というもの。この動的なものを健康として捉えようとするものです。こういうふうに考えられるといいですよね。普通は医師に診断され、処方された薬を飲んで、元気になり始めているのに、”病気“というレッテルを貼られてしまう。けれども、それが「ポジティヴヘルス」だと捉えると、薬の力を借りていたとしても、病気に立ち向かっていく能力が戻ってきていたら『あなた今、健康ですね』となる。たとえば、がんを患っている患者さんであると、治療中や治療後でも病気と捉えられてしまうけれど、病気に立ち向かう能力が戻ってきていれば、その人はがんであったとしても健康ということになる。ウェルビーイングを考えていくときに、なにか動的なものに変換していったほうが、考え方としても幸せだと思うんですね」
ウェルビーイングに関連して、占部さんはさらにおもしろい話を披露してくれた。それは「拡張生態系」というもの。『ソニーコンピュータサイエンス研究所』の舩橋真俊さんらが研究・実践するプロジェクトで、「協生農法」(英語ではSynecocultur-e)を基盤にしている。「うちの庭にもつくったのですが、果樹を中心に植え、多様な植物を混ぜて密な状態で育てます。そうするとこの環境にあったものが、お互いを助け合いながら育っていくんです。”森“を育てるお手伝いのようなものです。この『協生農法』を用いた実験で、アフリカ・ブルキナファソの砂漠を1年で農地に変えたという実績もあります。これを見ているとビーイング、そこにいることの価値が感じられる。そして表土に対して自分がアクセスしたことがきっかけでこの変化が起きている。自分も自然、生態系の一部であることが体感できる。身近なところで地球環境へポジテイブな変化を起こすことができるというのは大きな救いです」。
社会的共通資本と 持続可能なウェルビーイング。
うらべ・まり●1965年、米国シカゴにて宇沢弘文の長女として誕生。東京慈恵会医科大学卒業。1992~94年、米ミネソタ州『メイヨー・クリニック』ポストドクトラルリサーチフェロー。現在は地域医療の充実を目指し内科医として勤務。2014年、父の死去に伴い『宇沢国際学館』取締役に就任。2016年に国連大学にて国際追悼シンポジウムを開催。現在は宇沢国際学館代表取締役、『日本メメント・モリ協会』代表理事、『日本医師会』国際保健検討委員、『JMA-WMA』Junior Doctors Networkアドバイザーなど。
記事は雑誌ソトコト2022年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。