兵庫県小野市には伝統的な2つの地場産業がある。そろばんと、刃物だ。『シーラカンス食堂』の小林新也さんはそのブランディングを手がけたことで、本当の地場産業や本来の職人の姿を実現したいと考えるようになった。その姿とは?
そろばん産業に携わり、 地場産業の課題を知る。
小林さんは、そこで小野のそろばん産業の課題を知ることになる。「課題は産業形態。最盛期は年間約360万丁の需要があり、分業制で大量生産をしていました。そろばんの珠削り、竹の芯での籤づくり、組み立てなど分業のほうが効率がよかったのでしょう。ただ、生産量が約14万丁になった今、その形態は合っていません。珠削り職人が辞めたら共倒れですから」。
「播州刃物」という、 地域ブランドで海外展開。
調べれば、同じ播州で産出されていた「千種鋼」は最も古い鋼として日本の刃物づくりを支えてきたことや、播州の刃物産業は250年以上の歴史があり、日本一とも評される高い製造技術を持つこともわかった。そのため、全国から刃物の注文が途絶えることはなく、「景気はよかったようです。鍛冶職人の家では子どもを都会の大学に通わせる余裕は十分にありました」と小林さんは話す。「ところが40年ほど前、日本の縫製工場が軒並み海外へ移転し、糸切り鋏や裁ち鋏の需要が激減。さらに、海外から安価な鋏が輸入され、価格競争に陥っていきます。組合は下請け業者である職人に厳しい金額で発注するので収入は増えず、『これでは継がせられない。家に帰ってこなくていい』と子どもに都会で就職するよう勧めました。その結果、後継者不足が問題になっているのです」。
また、大阪府堺市や新潟県燕市・三条市などの刃物産地に比べ、小野はブランド力が弱いことも報酬を上げられない原因だと解釈した小林さんは、地域ブランドの立ち上げを組合に提案。小野の刃物を「播州刃物」と名づけ、桐箱に入れ、播州織で包み、値段も数倍に設定して販売することに。それだけの価値がある刃物だからだ。
「『刃物よりパッケージのほうが高いやん』と副理事長や組合員に鼻で笑われました」と振り返る。「副理事長たちは鋼を鍛え、芯まで焼入れし、何回研いでも一生使える鋏づくりにこだわってきた世代。そのこだわりを知る金物屋は販売した後もお客さんの鋏を研ぎ、大事に扱いました。ただ、小売店がホームセンターに移り、安価な海外製品との価格競争に陥っていくと、コストカットにばかり注力し、販売後の鋏も研がず、パッケージもペラペラ。そんな時代を生き抜いてこられた方ですから、僕の提案を笑うのも当然です」。
小林さんは美しく包装された「播州刃物」を海外市場に持ち込み、その作戦は見事に成功。従来の数倍の値段で取引できるようになった。「こんな高い値段で売れるの?」と副理事長たちは目を丸くした。職人からの要望に応え、報酬を上げることもできたそうだ。
島根の里山で探し求める、 本来の職人の姿。
さらに、小林さんは、「本当の地場産業とは?」「本来の職人とは?」と深く考えるようになり、その答えを島根県・温泉津町の里山に見出そうと二拠点居住を始めた。「刃物づくりは継承されつつありますが、小野には燃料や材料がありません。それが地元で調達できてこそ本当の地場産業では?」と、温泉津では工場を地元の間伐材で建て、その端材を燃料にし、川や海で採取した砂鉄で刃物づくりを行うつもりだ。「昔、鍛冶屋は百姓を営み、木、藁、泥、そして砂鉄といった材料を自給しながら刃物をつくっていました。温泉津で購入した里山の再生を始めて2年が経ちますが、四季折々の自然と向き合うなかで、さまざまな知恵や技術が身につき、人はこうやって職人になっていくんだなと実感しています。自然を活かしながら、自然に生かされて暮らす。それこそが本来の職人の姿だと思います」と小林さんは語った。
注文どおりの製品を安定的につくるのが大量生産時代の職人なら、小林さんが目指すのは、自然を相手に自らデザインできる職人。そんなクリエイティブな職人を、温泉津町でも育てようと考えている。
text by Kentaro Matsui
記事は雑誌ソトコト2022年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。