「いろんな土地を訪れたなあ」と感慨にふけりながら、余計な標本付随情報まで追加していく。
同様の作業はこれまでに何度も行ってきた。自分のコレクションだけでなく、ほかの研究者が博物館にコレクションを寄贈してくれることがあるのだ。僕と同様、苦労して収集した標本を何とか後に生かそうという思いは共通だ。大学などでは標本の所有者が退職したら集めた標本はすべて捨てられてしまった、ということがあるという。博物館は標本と共に採集者の思い出も保存している。博物館への標本寄贈は、我々自然史学者の「終活」の一つである。
長年研究に携わってきた人のコレクションの整理には、一つの趣がある。僕はモグラの調査研究のために、かなり方々を自分で旅行してきたのだが、モグラが分布していない北海道や琉球地方での調査経験はなかった。また本州でも通りがかりに、数か所でつまみ食い的にトラップを設置した程度で、綿密にやった場所は限られている。個人コレクションはその土地の自然史を明らかにする目的で収集されたものが多く、かなり細かい地名や地形名(山・川など)についてもラベルに記載されている。これらの見知らぬ地名を地図で調べながら、標本ラベルの年月日を参考にして、この日彼はここにいたのだな、などと解明しながら調査行を読み解いていく。まるで探偵にでもなった気分だ。
今ではグーグルマップなどでその地点の写真を見ることもできるし、多くの場合は信号の場所を示す看板やお店の名称なども読み取ることができる。ラベルで不鮮明な地名は、その文字列を推測して、地図をしらみつぶしに探していく。場合によってはラベルが示す採集地点にたどり着いたとき、見た場所が完全な住宅地で、「なるほど、19○○年にはここは雑木林だったのだな」と環境の変化を推し量ることもできる。これはなかなか楽しい。
さて、自分のコレクションの登録作業も同様、改めて「いろんな土地を訪れたなあ」と感慨にふけりながら、余計な標本付随情報まで追加していく。海外渡航が困難な今では、フィールドノートや昔の写真を眺めながら収集品のことを思い出すのもなかなか一興である。20年も前に訪問したあの町、あの場所は今どうなっているだろうか。標本バカの楽しみは尽きない。
題字・金澤翔子
illustration by Fumihiko Asano
かわだ・しんいちろう●1973年、岡山県生まれ。農学博士。国立科学博物館動物研究部研究員。著書に『モグラ博士のモグラの話』(岩波書店)、『モグラ−見えないものへの探求心−』(東海大学出版会)、『標本バカ』(ブックマン社)など。
記事は雑誌ソトコト2022年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。