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多様性

連載 | ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ

想像の彼。

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この半年、ある仕事でショートムービーの脚本を書いていた。内容は、主人公の中年男性が、ある日息子の部屋で息子とその彼氏の写真を見つけてしまい、物語の最後にゲイであることをカミングアウトされる、というシンプルなものだ。

制作期間中は紆余曲折あった。はじめはまったく違う脚本を書いていて、すごく自信があった。でもプロデューサーに「何がいいのか分かりません」と言われ全部書き直したのだ。最終的に今の脚本でいこう、という決め手になったのは、僕が父に宛てて書いた手紙だ。出すのをやめたカミングアウトの手紙。それをある日の打ち合わせに持ち込み、そのまま「ラストシーンの台詞にしよう」と満場一致で決まった。

脚本はいつも家の近くのドトールで書いていた。そこにいると毎日、登録しているゲイ向けのマッチングアプリで連絡してくる人がいた。彼は店内からか外の通りからか、いつも僕を見つけるようだった。決まって一日一通、それも「お茶でもどうですか?」とかそういった類いのものではなく、ただ僕を褒めて終わる、というアバンギャルドなものだった。彼が載せている写真は風景画のみで、誰なのか特定ができないから、返信もしない。「今日のピンクのアウター、めっちゃかわいいっすね!」「スポーティな格好も似合います!」「今日は真剣にパソコンのぞいてましたね!」、こんな短文が毎日送られてきた。

そこそこかったるく感じていたが、僕には昔から「自分は有事に強い」という謎の思い込みがあって「襲われるかも」という恐怖心もなく、そのメールをちょっと笑えるメルマガみたいに捉えていた。そんなことより脚本を書かねばならないのだ。僕は、パソコンを睨みつける日々を過ごしていた。

書き終わった今思うが、とても苦しい仕事だった。それは慎重に、ていねいに、世の中の「LGBT」に対する視線を改めて見詰め直す必要があったからだ。クライアントから頂くフィードバックを通じて、そしていろんなLGBT当事者へのヒアリングを通じて、「まだまだ多くの人にとって、『LGBT』は人ごとなのだ」と感じた。僕らは彼らにとってまったくもって身近でない、深い深い地下に暮らす住人で、そして多くのLGBT当事者も地下の住人然として暮らしているのだと思う。僕のように地上で「いえ〜い」と言わんばかりに、ゲイというハチマキを巻いて生きている人間なんて、ある意味とてもズレているのだと感じる日々だった。

そんな毎日だったからだろう。連絡してくる彼が、どういう思いでいるんだろうといつからか考えるようになった。彼はゲイのマッチングアプリという地下にいてもなお、正体を現さず、誘うこともできず、ほんの些細な二人の接点を維持しようとした。彼はドトールという地上のどこから、どんな目で僕を見ているのだろう。そしてこの脚本を読むことがあれば、どんな顔をするだろう。僕は彼の表情を頭の中で浮かべ、そしてその目で脚本を“査読”し続けるようになった。

物語のラスト、主人公はパートナーについて「おれ、あいつに出会って『そうか、ゲイだから出会えたわけか。ならゲイでよかったんじゃないか?』って、初めてそう思ったんだよ。すごいよね、出会いって。父さんも母さんのこと、こんなふうに思ったのかなって。そんなこと考えたよ」と、父親をまっすぐに見て語る。こんな台詞、彼からしたら戯言なのかなあ、と今も不安になる。想像の彼に、僕はいつも睨まれている。彼がいないと書けなかったと思う。

あの脚本を書き上げると同時に僕は引っ越してしまって、彼からの連絡もぱたりと止まった。出来上がった時、彼に脚本を送りつけようかと考えたが、いやいや僕の中の妄想じゃん、と思いやめた。もし「やっと連絡くれましたね! セックスしましょう!」とか、地下でダンスし続けるような予想の斜め上をいく返事が来たら、変に傷つきそうだ。今は一般公開されていない映像だが、公開された暁には、彼の元に届けばいいなと、ぼんやりと願う。

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