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サスティナビリティ

連載 | 森の生活からみる未来

受け継ぐもの・後編

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「日本人に生まれてよかった」

ニュージーランドの湖畔の森で暮らしている時、バックパックを背負って山道を何日もかけて歩いている時、こう思うことが多々ある。それは、ぼくの中に宿る「日本人として受け継いだ自然への繊細な感性」への感謝の想いからだ。

日本語には、「雨」というひとつの天候に対して、多彩な表現があるのはご存じのとおり。これは、ぼくらにとっては当たり前のことだが、世界では「言葉のアート」として高く評価されている。雨に限らず、日本語には気候や天気、自然現象を表すこまやかな言葉は数多く存在する。ほかの言語には、これほど機微に富んだ表現はないという。何よりも、四季の移ろいへの感受性こそが、日本人の美意識を織りなしていると言っていいだろう。はっきりとした4つの季節があることで、その感性が磨かれ、言葉、食、生活様式、芸術といった、日本独特の文化がデザインされてきた。

そして先人たちは、美しい日本の「4つの季節」を「24」にまで細分化した。つまり、一年を2週間ごとにブレイクダウンしてしまったのである。それは「二十四節気」と呼ばれる暦で、今も日常的に使う「立春」「夏至」「秋分」といった言葉は、その暦のものである。祖先はさらに、雪解けや発芽で季節を読む、節気に縛られない「自然暦」をも編み出した。

日本列島というのは、グレートネイチャー・アイランドだ。豊饒の海に360度囲まれ、陸地の大半を険しい山々と広大な森が占める。動植物、虫、微生物の多様性は世界的に見ても圧巻だ。だが前号でも書いたとおり、わずかこの半世紀で、それらの多くが失われ、破壊されてしまったが、2000年ともいわれる、この国の長い歴史において、それら雄大な自然界との近い距離感こそが、日本人のオンリーワンの美意識を醸成してきたのである。

俳句や手紙に季語を入れる習慣。自然の営みを暮らしに取り入れようとする茶道や華道。欧米ではまだ聖書を描く宗教画しか存在しなかった中世から、風景画が存在した日本絵画。などなど、挙げ始めたらキリがない。

さらに、自然界と人間界の境界線にデザインされた里山では、環境を維持しながら人口を増やしていくという、自然と見事に共生する持続可能な文化を生み出した。この里山文化は、世界最先端のサスティナブル・ライフスタイルと称される「パーマカルチャー」の見本のひとつとなっているのだ。

着物は、100年以上はもつとされ、3代以上も受け継ぐことができ、さらに最後はリユース可能な究極のエシカルアパレルである。

野菜や魚から無駄を生み出さないとする調理法や保存食、発酵技術を編み出した和食。そして「いただきます」「わびさび」「もったいない」といった、清貧を表す美しき言葉たちは、日本人の自然思想の中核をなしていると言えるだろう。

ただ、四季と自然がある国はほかにもある。なのに、なぜ日本がこれほどまでに、自然への意識が高まったのか。それはきっと、自然災害の多さにあると、ぼくは考えている。

毎年のようにこの小さな島国を襲う、地震、台風、大雨、大雪、洪水。時には、激しい日照りもある。地球全体の約360分の1という面積の小さな島国に、「3・11」以前の段階で、すでになんと全世界の10パーセントの自然災害が起きていたという。

そうやって先祖代々受け継いできた自然への強い畏敬の念は、ぼくの血に間違いなく刻み込まれている。森で生活し、大自然を歩き続けるバックパッキング登山をする度にそう確信できる。それはきっと縄文時代以前からの、1万年以上という気が遠くなるほど長い歴史の凝縮なのだろう。

その、ぼくのDNAに奥深く宿る日本人ならではの美意識に、親から譲り受けた教え、「負の遺産」とも言うべき近年の日本の自然破壊行為から学んだことを無駄にしないために、さらに自然を味わい、愛で、感謝を捧げながら、今後も活動していきたい。

上/首都圏で一番好きな里山、埼玉県・小川町の下里地区の有機率は何と100パーセント。右/その小川町で、ぼくが音楽面をプロデュースし、地域の皆さんと一緒に続けてきた「Ogawa Organic Fes」は5000人規模にまで育った。
首都圏で一番好きな里山、埼玉県・小川町の下里地区の有機率は何と100パーセント。その小川町で、ぼくが音楽面をプロデュースし、地域の皆さんと一緒に続けてきた「Ogawa Organic Fes」は5000人規模にまで育った。

 

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