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多様性

連載 | ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ

固く閉じた扉は、開いた時の喜びのために。

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「運もありますよ」

いつの間にか、固く閉じた胸の扉を、何ごともなかったかのように開けてくれる人がいる。当の本人はたいしたことをした自覚もなくて、扉ごしに「開いたよ」と笑っている。救われる瞬間というのは、意外とあっさりしているものなのだろうか。僕にとって彼の一言は、ガタのきた蝶番にしんと油をすようだった。

「太田さんがその会社をやめたのは、弱いからとかじゃなくて、運もあると思うよ。自分に合う所に配属になっただけで、隣の部署なら無理だったな、という経験、私にもあるから」。そう言った彼は10歳上のゲイの友達だ。もういい歳をした大人だから「私」だそうで、仕事と趣味と家が近くて何度も会っているうちに、いろんな内緒話をすることができる関係になっていた。だから、「先輩」というより「友達」だ。

新卒入社した会社で、僕は思うように働けなかった。花形とされるグループに配属されて、上司にもかわいがってもらっていたけれど、ある日ベッドから起き上がれなくなり、どん底に落ちるくらい自分に失望した。ずっと鳴り続ける携帯電話の音が今も耳に残っている。

何が原因だったかと言えば、一つじゃなかったと思うし、誰が悪いという話でもない。でもだからこそ、当時の思い出はぐちゃぐちゃに荒れた部屋のままで、どこから片付ければいいのか見当もつかず、見て見ぬふりをしてきた。

退職後は、ただひたすらその部屋の扉を磨いてきた。「前向きな退職ストーリー」をきれいに塗装して、飲み会などで誰かが開けたがれば、「この部屋の中はね!」と前に立って笑顔で解説した。中に入れたりなんて絶対にしない。本当は自己嫌悪で散らかったその部屋のことを「今の自分にどういい影響をもたらしたか、何を学んだか、何が一番の思い出か」と、お行儀よく説明するたび、顔は笑ったまま、心は芯から冷えていくようだった。

でも、彼が扉の前に立って、「運もありますよ」と和やかに言った時、僕は「あぁ、その箱にしまえばよかったんだ」と思えたのだ。それはありふれた言葉で、これまでも似たことを言う人はいたと思うけれど、なぜか魔法のような突拍子もない信頼感があったのは、自分の将来を彼に重ねていたからだと思う。僕は20代、うまくいかないことばかりだったが、彼もそうで、コツコツと努力を続けて、30代後半になって花開いた人なのだ。

そんな彼に先日「私は太田さんに救われているよ」と言われた。いや、こっちこそですよ、という話で、僕はまったくピンとこなかったから、なぜかと聞いたら「人と話すことの大切さを知ったからね」と返ってきた。

僕は彼のどんな扉を開けたのだろう、と思う。僕の知っている10ほど歳上のゲイの人たちは、皆とても強い。その強さは「人と分かり合うこと」の諦めからきているんじゃないかと思っている。皆、冷たいわけではないけれど、翳りがあって、スッとうすく肌を切るような鋭さがある。今よりもっとLGBTに理解のなかった社会で青年期を送り、自分を理解してもらうことよりも、ただ独りでも立つことを大事にしてきたからなのだろうか。人と話すこと、大切じゃなかったんだ。そう思うと泣けてくる。どう考えても大切でしょうよ。

開け方を忘れてしまった扉も、いつか誰かが開けてくれる喜びのためにあるのかもしれない。そうだとすれば、いいものかもなと思う。希望を持ち続けることは、結構現実的じゃなかったり、辛くなることもあるけれど、絶望して生きるよりはやっぱりマシだ。次に彼と会ったら、もっといろんな話を聞こう。いくらでも話そう。そろそろ「太田さん」から「太田」くらいには、昇格したいところだし。

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