JR山手線で一番「知名度が低い」駅、田端。その田端で、小さな立ち飲み屋をDIYでつくりました。「田端」と聞いて、どんな印象を抱くだろうか。東京都北区にあるまちであり、JR山手線・京浜東北線にもその名を冠した田端駅がある。ただ、ほかの路線の乗り入れがない単独駅のため、山手線でもっとも「知名度が低い」駅といわれることもある。曾祖父の代から田端で暮らしている櫻井寛己さんは、田端の魅力を広めたいと、2018年11月に立ち飲みのバー『タバタバー』をオープンした。夜ごと、地元を愛する気持ちを発信している。
田端暮らし、4代目。
田端の魅力を発信し、
より楽しいまちへ。
東京都北区の田端は「地味なまち」と思っている人もいるかもしれない。
でも実は、明治から大正にかけては、田端は芸術や文学が花開いたまちだった。1887年(明治20年)、東京・上野に東京美術学校(現・東京藝術大学)が開校されたのを機に若い芸術家や文士が集まり、かの芥川龍之介も暮らしていた。
現在は、田端駅前に商業施設が入るビルがあるものの、少し離れると小さな商店や住宅が立ち並び、路地も多く、昭和の雰囲気を残すまち並みが残る。
曾祖父から数えて田端暮らし4代目、思春期にはよそのまちへの憧れを抱きつつも、大人になって気づいた田端の魅力を発信し始めた人がいる。櫻井寛己さんだ。
2017年に田端のための田端によるwebマガジン『TABATIME(タバタイム)』を自ら立ち上げて編集長になり、2018年11月末には、田端駅から徒歩10分ほどの場所に立ち飲みのバー『タバタバー』をオープン。家業であるコンビニエンスストアの店長として働きながらも、田端を発信していく思いやバーの様子を伺った。
田端とバーを掛け合わせて『タバタバー』。コミュニケーションを大切にすることを特徴に挙げていたり、店内の黒板にも近隣のお店情報があったりして、普通の飲食店とは異なる印象を受けます。どうやって誕生したのでしょうか。
私が編集長を務めているwebマガジン『TABATIME』では、食、スポット、イベント、暮らし、文化と、さまざまな田端の情報を発信してきました。田端でネット検索すると『TABATIME』がヒットするようになり、その内容を気に入っていただいた方にFacebook登録をしていただき……と、ネットならではのゆるいつながりができていきました。
ただ、それとは別の、直接顔を合わせられるつながりがあってもいいのでは、と思ったのです。『タバタバー』のコンセプトは「田端をもっと楽しもう」。ただ飲みたい、この空間が好き、店長の私と話をしてみたい。理由はなんでもいいからこの店に人が集まってきて、立ち飲みを活かしたつながりができたら、ウェブとリアルで強いコミュニティになるのではないかと思いました。
数年前、田端周辺でバーを3店舗経営するオーナーと一緒にフェスやイベントに、フード出展する事業を始めたのですが、なかなかうまくいきませんでした。
このまま引き下がりたくない思いもあり、僕が店長となって、フード事業の倉庫として借りていた物件を利用して、バーにしようという話になりました。床がボコボコだったので、平らにするためコンクリートを流すことから始めて、厨房設備を入れたり、壁紙を貼ったりとほとんどDIYで造りました。予想以上に時間はかかりましたが、その分愛着が持てる店ができました。
バーならではの
ゆるいつながりが、
地域愛を育む。
オープンして約半年が過ぎましたが、今はどんな様子ですか?
月曜から土曜日の18時から23時まで営業しています。10人も入ればいっぱいで、メニュー数もそれほど多くはないので、誰も来ない日もあるのではと予測していましたが、一人も来なかったという日はないですね。売り上げも想定を上回り、順調です。もともと両親が飲食店を経営していたので自分の舌には自信があります。試作研究を重ねて、いいと思ったものはドンドン取り入れています。
ビールが好きでいろいろな種類を置きたかったのですが、カウンターの内側が狭いのでそれは断念しました。オーナーに、「この店の、これが飲みたいと思われるものをつくったらいい」と言われ、周辺に競合する店舗がなく、いくつか種類も出せることから、「売り」はレモンサワーにしました。千住の市場でレモンを買い付けて、疲れていそうな人にはシロップを多めにしたりして、飲む人それぞれに喜んでもらえるよう工夫しています。
お客さんはどんな人が?
20代から60代、バー周辺に住む人が多いですね。土曜日はほかの地域からわざわざ来てくれたり、なかには田端駅に初めて降りたという人も。この周辺に勤めていて、仕事帰りに立ち寄ってくれる人もいます。田端では若い人がやっている飲食店があまりないので、それだけでもここに来やすいようです。自宅で夕食を食べてから、閉店前の時間帯に来てくれて、ここで飲み、帰って寝るという人もいますよ。
初めて来たお客さんには「どこに住んでいるんですか」と声をかけてみたり、田端を知らないお客さんからは「田端のおいしい店を教えてください」と聞かれたり。今年3月、まだ行ったことがないという人もいるので、お客さん20人ほどと北区の飛鳥山公園で花見をしました。このゴールデンウィーク中には、田端に引っ越してきて間もない人たちを対象にしたイベント「田端1年生!大集合!!!」も開いて、盛り上がりました。
どのようなことに気をつけて、店を開いていますか?
店のDIYが落ち着いたタイミングでオーナーの店で3か月ほど修業をしました。お酒のつくり方は見て学び、主にはバーとしての在り方や考え方を学びました。時間どおりに開けることとか、グラスがきれいに洗えているか? とか。飲食店として真面目に取り組めば、継続していけると感じました。そしてお客さんに対しての接し方を学びました。バーなので、基本的には会話を楽しむ場ですが、話したい時もあれば、放っておいてほしい時もある。週に5~6回通ってこられる方でも感情の波がある。そういうことを感じ取るように、と言われました。その時は正直、よく分かりませんでしたが、自分でこの店をやるようになって言われたことが理解できるようになったと感じています。
オーナーの店もそうですが、ここはシェアハウスのリビングみたいだなと感じています。狭い店で立ち飲みだから、横の人と話しやすい距離だったり、お酒の力を借りて話ができたり。カウンター越しのテーブル席には私から手が届かないので、お客さんがサーブするのを手伝ってくれたり、逆に空いたお皿を下げてくれたり。狙ったわけではないけれど、そこからまた交流を生んでいますね。
仲間を増やして、
田端のまちづくりに
関わっていきたい。
早くも半年で田端の新しいコミュニティが醸成されてきていると感じますが、そもそも田端のことを発信したいという思いや取り組みは、どこから生まれたのでしょうか。
2016年1月に田端のLINEスタンプをリリースしたこと大きなきっかけでした。その数年前に友人と『やってみたいことやってみる協会』を立ち上げて、大人の運動会の開催や、破り捨ててもいい名刺を作るというイベントなどをする流れで、LINEスタンプ「山手線で一番無名な駅田端」をつくりました。何もない場所だからいじって、おもしろくしたいという気持ちで。
「田端」で検索すると、インフルエンサーとして社会に影響を与える田端信太郎氏のほうが検索の上位にくることに、歯がゆい気持ちもあって、「田端さんを超える」と明言したら、このスタンプのことを田端さんご本人が取り上げてくれました。思った以上に反響があって、トータルで8000ダウンロードくらい売れたんです。
それと同時期に自分の趣味のブログを始めていたのですが、読者の顔が見えないことで書くことへのモチベーションが下がってしまって。そんな時、変なスタンプなのに予想以上に購入され、使われている理由を考えたら、田端が好きな人、まちに愛着がある人が多いのでは? と気づいたんですね。でも、田端のことはネット情報もあまりないから、それなら自分で田端のことを取り上げるwebメディアをと思って立ち上げたのが『TABATIME』でした。
LINEスタンプが多くのメディアで取り上げられたり、『TABATIME』で私のことを知ってもらって、まちで握手を求められたり、コンビニまで会いに来てくれる人もいたり。そこではゆっくりと話ができないので、それなら話せる場が欲しいと思ったのも、『タバタバー』を始めるきっかけでした。
今後はどのような活動をしていくのでしょうか。
田端を発信する活動を続けるなかで、たとえば「薬局の2階が空いているんだけれどどうしたらいいか」など、物件に関する相談を受けることもあります。「まちづくり」と言ったら大げさですが、まちでできることがあるのではないかと思っています。関わる人にとってより楽しいまちになったらいい。自分一人ではやれることに限界があるので、一緒にできる仲間が増えたらいいなと思いますね。また、『山手線で一番無名な田端という街から教わったこと』(仮題)という本の出版を目指し、その資金をクラウドファンディングで今年7月1日から募ります。まちの人を巻き込みながら達成できたらと思っています。