毎週やって来る移動販売の車は、いつも村の女性たちで賑わっている。この日は、ハマちゃんが半笑いしながら妻に問いかけた。
「なあ、ミカちゃん。昨晩の11時頃にな、窓をコン、コココン、コン、コココンという音が聞こえたんやけどな、あんたは何やと思う」「そうやなあ、風で何か物が当たったか。それか、タヌキか鹿が来たんじゃない」と妻が答えると、「あれはお巡りさんが来たと思うとる。昨日は風呂の電気を消しわすれとったでな、明かりが点いとるのはおかしい、これは私が風呂でひとり倒れとるんと違うかと、お巡りさんが心配してコンコンしたのと違うかい」とハマちゃん。「いやあ、そんな夜中にお巡りさんは来おへんよ。ハマちゃんはどこにおったん」「寝床や。怖ぁて、見に行っとらん。あれは動物の叩き方やないで、人が叩いたようにコン、コココンと鳴らしとったでな。前にも3べんほど同じようなことがあったさかいな。次は見に行っとみる」。ハマちゃん、小学生みたいに笑う。
妻に不思議な話が集まるようになった。
妻がひとり、山の上にある稲荷神社を掃除していると、ユキさんが落ち葉を掻きながら上ってきた。「おっ、ミカが掃除しとるじょ。これは、わしも気張らんといかんじょ」。境内を竹ぼうきで掃き掃き、お宮さんを雑巾で拭き拭き。小高い山の上で、辺りは樹々と空。すっかり清らかになった頃、「ミカ、少し休むじょ」、よっこらしょと並んで座り込む。
「あのなあ、ミカよ。かみさまというのは、ミカはおると思うか」と優しい笑顔で問いかけた。「うん、おると思うよ。どんな姿かわからへんけど、山とか空とか、いろんなところにおると思う」「そうか、それやったらな、わしのこの話をしてもよいと思うんや。あのな、本郷の春日神社があるやろ、昔はな、初詣での日は、神社の守りをせんならんくてな、若いもんが4、5人集まって、ひと晩中、境内で火を焚いて過ごさなあかんかったんや。日が暮れてな、真っ暗やじょ。参る人もおらんくなって、みんな、うとうとしとったわ。ほしたらな、なんや、衣をまとった不思議なひとがお宮を参ってな、こっち来るんじょ。参りに来た人には、お神酒を配っとったで、そのひとにもお神酒を渡したんや。そしたら、袖からにょっと出てきた手が、あれは人の手じゃなかったじょ、毛の生えた動物やった。お神酒をぺろっぺろっと舐めるように飲んでな。歩き方も変わっとった。足はベタ靴で階段をひょいひょいと飛ぶように下りた。わしはな、あれは、コンコンさんじゃないかと思うておる。こんな話をミカは信じるか」。
そのような不思議な体験をしたユキさん。お義母さんのシヅさんが亡くなられて、ひと月が経った。亡くなられてから毎日、ご家族が集まって御詠歌をあげている。四十九日、毎日毎日、あげ続けるそうだ。僕たちもシヅさんの家に伺って、一緒にあげさせてもらった。
「わがおもう こころのうちは むつのかど ただまろかれと いのるなりけり」。ゆっくり上がったり下がったり、素朴で、やすらかな旋律。なかなか覚えられないけれど、皆と一緒に歌っていると、なんとなく付いていける。繰り返し繰り返し歌うことで、なんだかほんわりと、なんとも言い難いあたたかいもので村中が満たされていった気がした。
帰り道、なぜだか子どもの頃を思い出した。山にこっそり入り込んで秘密基地をつくるというのが流行ったことがあった。僕たちが見つけた場所は、樹々に囲まれた、隠れるにはちょうどよい窪地だった。
一本のひょろっこい木が邪魔になったので、ノコギリで切ろうということになった。簡単に切れそうに見えたのに、いざ切ろうとしてみると、なかなか刃が進まなかった。時間をかけて切り進めていくと、突然、どっ、ごごごごおおおおぉぉぉと嵐のような風が吹きはじめた。空も曇ってきて、なにか恐ろしかったけれど、そのままギコギコしていくと、すっとノコギリが向こう側まで辿り着いて、木が倒れた。どどどどどおおお、風はさらに吹き荒れて、山中が揺れていた。なんだか、してはいけないことをしてしまったと、山を怒らせてしまったと、そう感じた。その日は、友達もすっかり静かになってしまって、家に戻った。
次の日、秘密基地に行ってみると、切ってしまった、あの木の根元に、メンコが置かれていた。それ以来、秘密基地に行く度に、誰ともなしに、お菓子を供えたり、水を掛けたり、手を合わせてみたり、なぜだか、そういうことをするようになった。
明日の早朝は「やまのかみさま」。これまでは村のおじいさんたちに教わりながら作っていたお飾りを、自分ひとりで作ってみた。頭より手が覚えているもので、思ったより、とっぷりとした、好きなようなお飾りに仕上がった。
白米をついて丸めた真っ白なお餅を包んで、凍える朝、ひっそりと男たちだけで山に入る。こうして、少しずつ少しずつ。