子ども時代のいい思い出のひとつに、学校から帰ってくると家中ピカピカになっている日があって、母が雑巾掛けをしてくれたのだろう、家に流れる空気が澄んでいて、今から何でもできてしまいそうなご機嫌な気持ちにさせてくれた。きっとこの体験があるから、大人になっても、何か新しいことをはじめる時、うまくいかなくなった時、一段落した時に、思いっきり雑巾掛けしたくなる。
連続ドラマ『おかえりモネ』の音楽制作がようやく終わった。昨年の夏からまる一年、ほんとうに毎日毎日、作曲を続けたなあと、作った曲数が300を超えているのをちらっと見て、その数をじっくり見ないようにしてしまう。たくさん作れたことよりも、1年間、誠実な物語の中に、たくさんの仲間と居続けられたことが幸せだ。そして、誰に気兼ねすることなく僕が自然にやってしまう通りに仕事をさせてもらえたのも、ものすごくうれしかった。
今回の音楽制作で印象深かったのは、誰かが素晴らしい演奏をする度に、「音楽っていいなあ。音っていいなあ」と感じられたことだ。メロディがいいとか、技術がすごいとか、感情がこもっているとかではなく、たったひとつの音の響きが、ただそこに純粋にあると感じられる瞬間があった。誰が作ったとか、誰が演奏したとかを飛び越えて、自我のない純粋な音をたくさん味わえて、これが最後の音楽仕事になっても大丈夫と何度も思えた。
僕はどこかで、やはり自分の家系がやってきたことを引き継いでいるのだと思う。祖父が寺の住職として毎日お経を唱えていることと、僕が奏でるべき音楽は似ているというより一緒だと思いたい。随分前、祖父がカセットテープを聞かせてくれて、「ほれ、かっちゃん、ほかのところではな、ここらのお経と違うお経を唱えてるんやな」と素朴な旋律の歌のようなお経を聞かせてくれた。「こういう音楽がええな」と祖父は一緒に口ずさんでいたが、そう言われてから、ずっとそういう音楽を作ろうとしてきたのだと、ようやく思い出した。『おかえりモネ』の最後の最後に作った曲は、まさにそういう音楽になってくれたと思う。一番、僕の強い力が出るところで、すっと流れてきた。『かがやき』というタイトルをつけた。
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絵・たかぎみかを