もう春がやって来たと思っていたのに、どこまでも続く山々にはまだまだ雪が残っている。「おーい、久しぶり!」、山形空港に降り立つと、ひとつ年上の堀賢一郎くんがいつもと変わらない優しい笑顔で迎えてくれた。「これから5日間、福島、仙台(宮城県)、東根(山形県)を巡る旅、よろしくお願いします!」。
ガラガラと引いてきたスーツケースには、たくさんの本とCDが詰め込んであった。そう、このエッセイをまとめた書籍『こといづ』や新しく発売したCDをせっかく世に出したのだから、なんとかもっと広められないかなと悩んでいたら、「それだったら、東北でツアーを組んでみない? お店をやっている知り合いにも声を掛けてみるよ。きっといい出会いがたくさんあるよ」と堀くんが大きく手を挙げてくれたのだった。
堀くんと知り合ったのはいつだっただろう。振り返ると、僕の人生の大事な局面にそっとただ側にいてくれた気がする。とても辛いことがあって、ひとり鬱々と家で落ち込んでいたら、「東北に遊びにおいでよ、一緒に旅でもしよう」と誘ってくれた。まるで小学生のように洞窟を探検したり一緒にお風呂に入ったり、男友達がほとんどいなかった僕の人生で、それは気恥ずかしくもあり、跳び上がるくらい幸せな時間だった。
節目のコンサートがあると必ず駆けつけてくれて、演奏が終わった後に楽屋やロビーで目が合うとホッとする。再会を喜ぶのも束の間、「今から夜行バスで帰るんよ」と足早に遠い北の地に帰っていくのが、なんとも、堀くんらしい。「なんかね、高木くんのコンサートは確認したくなって聴きに来たくなるのよ。高木くんがいま何をやってるのか、何を考えているのか、もちろん確認したいんだけれど、俺自身がいま何をやれているのか、やれていないのか、これからどうしたいのか、確認できる気がするんよ」。
東北のひんやりした空気が気持ちいい。さくらんぼの花がいまにも咲きそうで咲かなさそうで。冬と春の間の、このなんともつかみ所のない、お天気雨のような季節の中を、僕たちは駆け巡った。各地で対談やミニライブや上映会を行った。喉が嗄れるまで、いっぱい喋った。たくさんの人が本やCDを手に取ってくれて、どんなふうに読んでくれるのかな、どんなふうに聴いてくれるのかなと、一人一人に目を合わせながらサインをした。僕は、言葉や音をつかって、いったい何を伝えたかったのだろうな。
旅の間中、出発直前に観たあるテレビ番組のことをずっと思い出していた。岩手県の『蘇民祭』という裸祭りに外国人男性が参加してみるという内容だった。
雪が降る真冬の最中、1週間かけて身も心も清めた男たちが祭りに挑む。凍えるような冷水を全身に浴びせ、目も開けていられないほどに上り立つ煙を全身に浴び清める。ふんどし一丁の裸で、100名ほどの男たちがひとつの麻袋をいっせいに奪い合う。裸と裸がひしめき合い、何時間も朝まで奪い合った後、最後の最後まで袋を握りしめていた男が“取り主”になる。この祭りに本気で参加した外国人男性は、残念ながら“取り主”にはなれなかったけれど、大粒の涙を流しながら答えた。「僕は祭りの意味がよくわかったよ。僕は自分が精子だった頃を思い出した」。
なんだか、長年、ずっと探し続けていた答えを、ぽっと言われてしまったような気がした。子どもの頃の記憶、赤ちゃんだった頃の記憶、お母さんのお腹の中にいた頃の記憶、卵子と精子が出合う前の記憶……。ひとつひとつの記憶は、どんどん薄れて消えてしまったように感じるけれど、ただ忘れてしまっていただけで、消されないまま、ずっと心の奥底に保管されているに違いない。
果てしない過去の思い出。ひとつひとつ、ほどいてゆけないかな。柔らかな力が湧いて、何にでも、また育っていける気がする。
帰りの飛行機がもうすぐ飛び立とうとしている。しんみりしないでおこうと、明るく振る舞って別れを告げたのに、ガラス越しにいつまでも手を振ってくれる友の姿があった。