僕はまだミズラモグラを拾ったことがない。モグラ研究者としての汚点の一つである。
大学に勤務する友人から連絡があり、学生がモグラを拾ったので見てほしいという。添付された写真に微笑み、「おめでとうございます、ミズラモグラですね」と回答した。このコラムによく出現するこのモグラ。世界的にも謎の種のモグラだ。僕はおよそモグラが分布する場所に行けば捕まえる自信があるが、ミズラモグラだけはそうはいかない。この種は採集されるより登山者などによって死体が拾われることのほうが多い”変わり者”である。僕はまだミズラモグラを拾ったことがない。モグラ研究者としての汚点の一つである。
このモグラはEuroscaptor属という、中国からヒマラヤに分布するモグラのグループに入っている。この属は1940年に米国のスミソニアン自然史博物館にいた研究者のゲリット・ミラーが、タイに生息するモグラを基準にして定めた分類群だが、ミズラモグラをこのグループに入れるのは適切でないと考えていた。ミズラモグラは長い尾をもち、鼻先の形態が特殊で、唇の上が背面にそり上がる形態をしている。これらの形態はむしろヨーロッパ産のモグラ類に似ている。僕はこれがミズラモグラだけの特徴かどうかを確かめるために、アジアの国々でこの属のモグラを採集してきたが、どれもミズラモグラとは違っているのである。
なぜこのような違いに誰も気づいていなかったのか。そもそもこの属のモグラ類を誰も現地で捕獲して調べてみようとしなかったのだ。この地域ではモグラは山地の森にしか分布していない。山でモグラを捕まえるのはコツが必要なのである。僕が調べ始めるまで、アジア地域のモグラは欧米の博物館にもほとんど標本がなく、あるとしても数点の乾燥毛皮標本と頭骨だった。乾燥した毛皮では、毛が生えていない鼻先の特徴はミイラ化して失われてしまう。乾燥標本には限界があるのだ。
一方でこの属のモグラは頭骨の形態変異が著しく共通性に乏しいが、歯の数が合計44本という特徴を共有している。これはミズラモグラも同様であることから、長く属の位置づけが間違われていたものと考えている。 一方で、遺伝子解析によるミズラモグラの独立した位置づけが明確になってきた。早く新属の記載をしておかなければ、外国の研究者に先を越されそうだ。日本のモグラ研究者としてこれほど悔しいことはない。そこでミズラモグラの新鮮な個体を観察して、この種の形態的特異性をまとめようとこの数年取り組んできた。しかしそう簡単に入手できるものではない。京都で生け捕りされたと聞いた時は急遽その姿を拝むために赴いた。標本番号5万番として以前このコラムに書いた個体は、独特の特徴を観察するのに役立った。
改めて実見すると、鼻や尾といった外部の特徴はやはり新属としてよいものに見える。これまでに見過ごされていた骨盤など体骨格の特徴もタイやベトナムで捕獲してきたものとは明らかに異なっている。こうしてようやく、ミズラモグラを独立属に位置付ける論文を学術誌に発表することができた。日本産哺乳類の新属記載は、センカクモグラが誤って独立属とされた1991年以来、25年ぶりである。