この世はリアルかフェイクか。いまの常識が永遠の常識だとすれば、愚問である。人類が生活するこの世界がすべてシミュレーションによるつくりものだとしたら、天と地がひっくり返るどころではない。「いやいや愚問なんかじゃないよ」と言わんばかりに、シミュレーション仮説なるものが世界中の科学者たちによって熱心に研究されている。
「この世は技術的にとても進んだ文明によって、微に入り細を穿うがち創られた豊かなシミュレーションソフトウェアだ」とするシミュレーション仮説は、英国オックスフォード大学のニック・ボストロム教授によって提唱された。「我々の世界は50パーセントの確率でシミュレーションソフトである」という投資銀行メリルリンチの発表が、この仮説を煽った。同社が顧客に向けて配布した経済予測レポートで、急成長している仮想現実(Virtual Reality)、拡張現実(Augmented Reality)分野の重要性を強調しているのだが、その中に「我々はすでに20〜50パーセントの確率でバーチャルワールドに住んでいる」と記述されているのだ。おおっぴらに冗談を言う性格でもない投資銀行が「未来の人類がどこかの時点で過去の人類、つまり現在の我々をシミュレーションする決断を下した可能性がある」ことを指摘しているのだから、どうも笑ってすませにくい。
もし現在の我々がコンピュータによるシミュレーションの世界に住んでいないとすれば、未来の人類は高度なシミュレーション装置を造る技術に到達しないまま滅びてしまったのか、過去の人類をシミュレータに閉じ込めて操ろうとしなかったのか、いずれの可能性もある。一方、シミュレーションの中で生きているならば、人類の滅亡が回避された可能性の証しにもなる。思い切ったこの仮説に、好奇心を大きくくすぐられる。シミュレーションの中で生きているか否かを証明する方法がない現状において、仮説は仮説の域を超えることはない。高度化したテクノロジーが不可能を可能にし、未来が過去をシミュレーションの中に収めるとすれば、その意図はどこにあるのか。
未来の人類は、現実とバーチャルの見分けがつかない仮想現実空間をつくり出すだろう。
脳と人工知能の接続によって、仮想現実を空間につくって見せるというよりも、脳の作用により„実在しないものが見える"アプローチが一般的になるかもしれない。
解像度を極度に高められた場合、視覚的にはバーチャルも現実のように映る。現実のように映れば映るほど、脳は錯覚を起こす。錯覚が持続し、常態化したならば、仮想と現実の境界線は溶け始める。その時、バーチャルをフェイクだと言い切れるのだろうか。人類が仮想現実を現実のように捉えて生きるようになったとすれば、仮想という言葉は外れ、仮想現の果てに、シミュレーション仮説は仮説ではなくなるかもしれないし、「現実」を再定義する必要にも迫られる。実は現実となる。僕は、テクノロジーは仮想と現実の境界線を結局溶かしてしまうと考えている。その果てに、シミュレーション仮説は仮説ではなくなるかもしれないし、「現実」を再定義する必要にも迫られる。