テクノロジー社会論の第一人者・小川和也さんによる『ソトコト』の人気連載「テクノロジーは、人間をどこへつれていくのか」の特別版!今回は中央政策研究所理事の北勝さんをお招きして、「エネルギー」と「テクノロジー」についてのワクワク・トークが始まります!
小川 アップルやグーグルのようなテクノロジー企業では、エネルギーに対する関心の高さや熱心な取り組みが目立っていますね。再生可能エネルギーへのシフトも本気です。
北 彼らは社内で使用する電力を100パーセント再生可能エネルギーで賄えると考えています。また、ハワイは2045年までに再生可能エネルギー100パーセントにすることを州法で決めています。
小川 「できっこない」と最初から決めつけず、まずは理想論を掲げてそこに突き進んでいるのですよね。どんなイノベーションも、それが起点となるものです。
北 日本でも、再生可能エネルギーは「純国産エネルギー」として扱い、日本の知恵を結集させる必要があります。そのためには、国民のエネルギー・リテラシーの向上、エネルギー教育の充実が不可欠です。子どもの頃からエネルギーのことを学んでおかないと、最適なエネルギーの選択ができないという危機感を持っています。
小川 世の中のあらゆる物がテクノロジーと密接になり、それに伴いエネルギーがますます必要になります。モノのインターネット化はその最たるもので、特に発展が著しいアジアのエネルギー消費が伸び続けることは間違いありません。アジアにおける日本の大切な役割は「アジア各国の発展と省エネルギーの進展をシンクロさせる」ことですよね。エネルギーの安全保障を考えるなら「エネルギーを少ししか使わない社会」が理想で、人間で言えば「シェイプアップされた身体」ということになります。
北 エネルギー政策の基本は省エネルギーだと考えています。少ないエネルギーのインプットでよりよいパフォーマンスを実現する社会が理想です。”日本船“の燃費効率を上げることは「宇宙船地球号」という概念にも通じます。
ですから、省エネルギー社会の実現に本腰を入れる必要がありますが、日本ではエネルギーの理想論が確立していません。目指す場所がないと前に進めませんよね。理想論がないところに道はないので、日本らしい「エネルギーの理想像・未来予想図」をつくり上げたい。そして、ガラパゴスにならないためには世界的な潮流に目を向け、耳を傾けることが必要です。「ガラパゴスから日本らしさへ」の意識の転換が求められています。
小川 そのような取り組みを強化するうえで、参考になる国はありますか。
北 ドイツはエネルギー改革が進んでいます。しっかりとしたエネルギー理想論もあり、省エネルギー政策と再生可能エネルギーが両輪になって前に進んでいます。我が国は従来踏襲型の政策ですが、彼らは革新的かつ意欲的な目標を設定しています。
加えて、国を挙げて頑張るんだという国民の意識がすばらしいと思います。ドイツでは、エネルギーや環境の教育が充実しているので、環境やエネルギーに対するリテラシーや関心がとても高いのです。
小川 政策面もさることながら、それをリードしていく人間を育てる教育が重要なのは言うまでもありませんよね。
北 ドイツにあって日本にないものが「エネルギー教育」ではないでしょうか。ドイツはエネルギーについて真剣に考えようとしていますが、もともと石炭しかない国というのもあって、エネルギー教育にはずいぶん昔から熱心でした。断熱の仕様にも厳しいし、省エネルギーに対する思いも強い。
エネルギーの安定供給は国民とエネルギーセクターの共同作業であるという意識が高いですね。
小川 21世紀は環境の時代と言われて久しいですが、日本における環境教育にはまだまだ課題がありますよね。それはテクノロジー教育についても同様です。理系的には「理科」の範囲を、文系的には「社会科」の範囲を超えておらず、もっと複合的な視点を養う必要があります。環境について学ぶ、あるいは教えるということは、複合的な視点から構築されるリベラルアーツ教育が必要です。環境やテクノロジーに関する事象は、人間の活動すべての土台です。環境問題も、生活様式や政治経済、そして価値観など、複合的な要素が重なって生じているものですから。
北 その点でも、ドイツは環境教育の先進国のひとつだと言えます。ドイツでは1990年代から初等・中等教育で省エネルギー、再生可能エネルギー、原子力、気候変動など多岐にわたるプログラムが展開されています。すばらしいのは、それぞれの長所・短所をしっかりと学び、最終的には「自分たちで選択する」という姿勢を貫いているところでしょう。
小川 ずいぶん以前から、根源的な教育指針を展開しているのですね。
北 日本のエネルギーには課題も多いですから、今以上の関心と知識を持たなければならないと思うのです。そのためにも、エネルギー教育を幼少期から行うべきです。次世代を担う子どもたちがエネルギーに興味を持ち、適切な判断を行うための基礎力を構築する必要があります。かつての日本人には「もったいない精神」が備わっていたため、省エネルギーなどの重要性は感覚的に理解していたはずなのです。近い将来、エネルギーの話を「子どもが親に教える時代」が来てほしいと思っています。大学に「総合エネルギー学科」を設けたり、教職員の試験に「エネルギー」を取り入れることもありでしょう。
小川 難題の解決にはイノベーションが不可欠ですが、それを阻害するのは往々にして短期的な損得勘定ですよね。大学の基礎研究等に資金が回らないのもその典型です。教育にも長期的な視点での投資が必要です。
北 今の若年層には期待していますし、教育には力を注がないといけませんよね。彼らの親たちは私も含めて「バブル世代」で、人生の価値が物質的な豊かさに偏り気味でした。これを反面教師として「浪費は格好悪い」という認識を持っているケースは多いです。電力、ガス、石油の頭文字を取るとE・G・O。つまりエゴ。できれば、ここに地球との”コミュニケーション“の”C“が割り込んで、ECOになってほしいものです。
小川 そのためにも、教育の方法論を練るべきですね。頭ごなしに教えようとすれば、子どもたちには拒絶感が生まれてしまいます。環境観を主体的に身につけ
るためには、身近なテーマはよいきっかけになります。
例えば、幼少期から周りに電子機器があふれていた若年層にとっては、バッテリー起点の話は理解しやすいですよね。常にスマートフォンのバッテリー残量を気にして過ごしていますから。スマートフォンにまつわる電力や環境問題の話から始めて、自然は愛すべきものだという価値観を持てるように段階的に導き、実際の行動につながることを目指す。五感で体験することも大事ですね。
北 日本でも総合学習の機運はあったのですが、結局のところ普及しなかったのは、そのような視点に欠けていたからでしょう。エネルギーについて総合的かつ体感的に学ぶために期待している技術が、ICT(Information and Communication Technology)を活用したラーニングメソッドです。すでに、中学・高校生の語学学習の現場では、タブレットによるインタラクティブな教育方法が浸透しているそうですが、これをエネルギー教育に採り入れることができないかと思いますね。
小川 テクノロジーは、VRなどを通じて人間の五感すべてに訴えかけることができるレベルにまで進化します。可視化が難しく、複雑に絡み合うエネルギーに関する様々なトピックスを解き明かすためにテクノロジーを使うことは、次の世代の人材を育成するために重要なことです。環境やエネルギーを正しく理解するために、テクノロジーを用いてロジカルに学ぶ。政治的あるいは経済的な判断を下すうえでも、感情論ではなく論理的な判断が優先されるべきですからね。
北 ドイツのエネルギー思想や判断などは、とてもロジカルだと思います。ドイツの環境教育の積み重ねは、その原動力になっているはずです。
小川 そして何より、特定の価値観の押しつけではなく、中立的な教育が必要ですよね。
北 中立、かつ総合的に学び、次の時代を描ける人が現れなければいけません。それにはディベート教育も役立つでしょうね。ヨーロッパでは、エネルギーについて子どもたちが活発に討論をしています。
小川 鶏と卵の関係みたいなところはありますが、まずは指導者を増やさないといけませんね。子どもは純粋で吸収力がありますから、やはり教育次第です。ゲーム感覚があって楽しめるような方法も有効でしょう。興味を持続させながら、総合的に環境やエネルギーについて考察できる力を磨く。
北 学校の先生は環境のことはまだ教えやすいのですよね。川を見に行きましょう、ここにお魚がいるでしょう、自然を大切にしましょうね、というように。でもそこで止まってしまいます。ドイツのように教育が進んでいるところは、環境とエネルギーはあくまでもセットです。
小川 環境教育の中にエネルギーが含まれるのか、その逆か、どちらが先であるかは考え方次第ですが、いずれにしても双方同時に教育しないといけませんね。一対で学んでこそ、立体的に見えてきますから。
北 そして、ドイツのように理想を持つこと、バックキャスティング思考も必要ですね。対症療法ではなく、俯瞰的に考えて対応すべきです。
小川 人間として、地球、さらには宇宙全体に最終的に何を残していくのかという視点を持ちたいですね。人工知能が人間の代わりに多くの仕事を担うようになると、人間の存在意義すら考えなければいけなくなります。人間がつくり出した人工知能に「最大の目的はこの美しい星を守ることだ」とインプットされたとすれば、テクノロジーは人間よりも地球や宇宙を重要視します。SFみたいな話ですが、100年後の姿としてあってもおかしくない。人間は何を最終目的にするのか。人類がサスティナブルなのか、それとも地球がサスティナブルなのか、どちらが正しいのか。合理的な人工知能だったらどちらを選ぶのか。ロボットがわずかな風すら自分のエネルギーに変換する仕組みを持ったり、自らエネルギーをつくる構造になったら、人間よりもロボットのほうが地球環境にとってはふさわしいパートナーになるかもしれません。
北 だからこそ、人間が環境やエネルギーとどのように向き合い、テクノロジーと共存すべきかを真剣に考えなければならないと思うのです。再生可能エネルギーへの挑戦もその一環ではないでしょうか。再生可能エネルギーは「宇宙の仕組みを使うエネルギー」であり、日本が持ち得なかった純国産エネルギーです。この純国産エネルギーの割合を、常識を超えた形で上昇させるためには、知恵を結集させなければなりません。大前提としての大義、理想像や未来予想図が必要です。
小川 不安定と言われる再生可能エネルギーを社会全体でうまく使いこなすという課題は、国民性を考えても、日本の課題解決能力はとても高いはずです。そして、「宇宙の仕組みを使うエネルギー」として宇宙規模で考えるべきです。
北 再生可能エネルギーは、まさに宇宙エネルギーです。太陽と地球と月、つまり宇宙のシステムがそれぞれに相関し合ってエネルギーを生み出してくれているのです。石炭、石油、天然ガスは太陽起源の資源ではありますが、人類が宇宙のエネルギーを使いこなすまでの宇宙がくれた貯金だと思います。エネルギーや環境に対する正しい取り組みで守られるのは、結局は地球であり、地球が守られるということは人間社会も守られるのです。
小川 惑星としての地球環境学と、人間の棲み処としての環境学の決定的な違いは、人間はエネルギーを必要とし、エネルギーを消費する生き物だということですよね。そこからテクノロジーが生まれ、人類の進化の歴史があります。火をおこし、化石燃料を使う術を覚え、電気をつくり出しました。つまり、エネルギーの変化はテクノロジーの進化によるもので、電気が最終エネルギーというわけでもありません。20世紀後半から現在、この先もしばらくは間違いなく電気エネルギーの時代だと思いますが、テクノロジーは今後も進化していきます。未来では、今は想像もできない新しいエネルギーが生まれるかもしれません。そこでも重要な視点は、「自然と環境に対する責任感」であるはずです。