起業家として新しいものを創造するときは、奇異なものへの視線のシャワーを浴びることになるし、既存勢力や凝り固まった構造を変革する主として、反発や冷ややかな圧を受けることはつきものだ。研究者として新たな発見や論を追究するにあたっても、同様の空気を味わうことは稀ではない。慣れっこになってくると、むしろそれを楽しめたり、圧が大きいほど手応えに感じられたりするものだが、不確実なものへの懐疑心に押しつぶされると、自壊してしまう。生かされている宇宙についてもよくわからない、全員がいつか死ぬ運命に置かれている人間の根本的な不確実さはさておいて、不確実さを否定できることのほうが不思議だなと思っても、安全欲求を理解することで傍らに寄せておく。
19世紀初頭、詩人のジョン•キーツは「ネガティヴ・ケイパビリティ」という概念を表明した。短期に事実や理由を求めずに、不確実さや不可解なこと、懐疑の中にいることができる能力と定義される。起業家、研究者をやっていると、いつの間にかネガティヴ・ケイパビリティと共に生きていることに気づくのだが、情報のフローが高速で移り気な社会においては、スピード感という名の“短絡”が蔓延しやすい。パターン処理中心の教育や仕事の弊害もあろう。環境破壊、感染症、紛争など地球規模の多くの問題を突きつけられている中で、手の付けようがないと目を背けてしまうならば、未来は閉ざされる。それらの解決には長尺的思考が求められ、即座に解答を見出そうとしないネガティヴ・ケイパビリティで向き合う必要がある。
あやふやな状態に耐えた先の未来には、耐えた分だけ大きな可能性と受容が待っていると信じて、答えの出ない事態に耐える持続力。ネガティヴ・ケイパビリティにより宙ぶらりんから脱出し、未来の成功体験に変えるための思考と行動の精度を磨く。潜在的な可能性を無為にしないための力でもある。そもそも、人間は不確実さの上に生きているのだから、ネガティヴ・ケイパビリティはもっと身近なものであっていい。
文●小川和也